2006年09月17日
黄海海戦 明治27年(1894)
ブログ村 歴史ブログ
この黄海海戦は、日清戦争の最中に起こった日本軍にとって無謀ともいえる戦いであった。
そもそも日本は明治に入ってから、条約を結ぶなどして強国・清と極力衝突しないようにしてきたのであったが、朝鮮問題で対立することになってしまう。やがて対立は激化し、ついに朝鮮東学党の乱発生により、清と戦闘状態に突入した。
黄海海戦時、清には当時世界最大級といわれた定遠・鎮遠という2隻の戦艦があった。さらに、その周りを固める艦隊の艦数は、軍艦82隻に水雷艇が25隻。これに対し、日本軍は速度の遅い旧式艦や、輸送船を含み、軍艦31隻、水雷艇24隻という陣容であった。
ところが、戦闘はなんと日本軍の勝利に終わる。4時間にも及ぶ死闘だったというが、圧倒的不利と考えられていた日本が勝ってしまったのであった。
日本軍の勝因は、速射砲による縦陣攻撃だったらしい。これをやると、敵艦の砲撃は当たりにくくなるのだが、こちらの砲撃も当たりにくくなる。そこで、速射砲で数を撃てというわけであった。
海戦の司令官は伊藤祐亨だったが、独断専行が功を奏したという意味では第一遊撃隊を率いていた坪井航三の功績も評価されるであろう。
※写真は『日露戦争物語―天気晴朗ナレドモ浪高シ (第14巻)』。
これは漫画ですが、黄海海戦のことが非常に詳しく書かれています。タイトルからして日露戦争まで続くんでしょうから、今後も楽しみです。
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(その他の9月17日の出来事)
●安倍貞任討ち死に 康平5年(1062)
⇒前九年の役の始まりとなった安倍頼時の子。
●正岡子規誕生 慶応3年(1867)
⇒俳人であり、歌人でもある。『ホトトギス』の主催として有名。肺結核で若くして死亡した。
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『日露戦争物語』はけっこうマニアックですが、好きな人にはたまらない作品ですよ。黄海海戦に至るまでのことも書いてあるし、オススメです。
それにしてもこの形式なら毎日書けるかもと思ったのですが、なかなかしんどいです(笑)。でもなんとかがんばります。日にち抜けても怒らないでまた見てやってください。