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パリの凱旋門が完成 1836年(天保7年)

2011-06-07 17:37:52 | 歴史隠れ話
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2006年07月29日


パリの凱旋門が完成 1836年(天保7年)

フランスはパリといえば、シャンゼリゼ通りとエトワール広場(現在はシャルル・ド・ゴール広場という)の凱旋門が有名である。

この凱旋門は、フランスの英雄・ナポレオンが、1805年のアウステルリッツの戦いの勝利の翌年に、パリを世界一の都市にしようと、記念碑的建造物を数多く立てようとしたうちの一つだそうで、現在もシャンゼリゼ通りの西の端にある。

高さは50メートルもあり、四面には精細なレリーフが施され、そのなかにはローマ皇帝を模したナポレオンのレリーフもある。また、凱旋門は屋上に登ることもできる。入門料を支払って、中に入ると螺旋階段があって、そこを登って屋上に行けるらしい。(頂上からの眺めなど、写真は他の多くの旅写真掲載サイトが掲載されているので、グーグルで「凱旋門」をキーワードに検索すれば、いろいろ見ることができます。)

ところで、この凱旋門、ナポレオンが命じて起工したのだが、ナポレオン存命中には完成しなかった。ナポレオンは、1813年にドイツのライプツィヒの戦いで破れた後、反フランス連合軍のフランス侵入を招き、1814年の3月まで各地で連戦したが、ついに3月31日にパリを奪われ、4月にはエルバ島へ追放されてしまった。このため、工事も中止されてしまったのである。

ナポレオンは、その後エルバ島を脱出し、テュイルリー宮に帰還。兵を集めて再起をはかる。しかし、ワーテルローの戦いでまたしても反フランス連合に敗北。俗に言う「ナポレオンの百日天下」で、今度はセントヘレナ島へ追放となった。そして、同地で1821年5月5日に死去した。

しかし、ナポレオンの死後にこの凱旋門工事は再開される。1825年、ブルボン家のシャルル10世が工事を再開。そして、1836年、オレルアン家のルイ・フィリップの復古王政の時代に完成を見た。

ナポレオンは、1840年に遺骨を祖国移送され、その際にこの凱旋門をようやくくぐったという。なお、ナポレオンの遺骨は遺志により、アンヴァリッドに安置された。

※写真はナポレオンのアルプス越え…のパズル。⇒『1000ピース ナポレオンのアルプス越え』。完成させる楽しさと飾る喜びをあなたに(笑)。

※ナポレオンの本は『ナポレオン言行録』や、『ナポレオン―英雄の野望と苦悩〈上〉(下巻もあります)』などが詳細に記述されていてオススメです。

※あと、海外旅行に無料で行ける極秘マニュアルなんてのがあるようです↓




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あ、二日連続で外国史ネタに…。日本ネタもあるにはあったんですが…微妙に興味を惹かれなかったので、むしろ興味を惹かれた凱旋門完成を採用してみました。

ナポレオンについてはよく知らないですが、調べてみると面白そうですね。登りつめたのに没落してしまうということだけ知ると、「間に何があったんだ!」というのが気になります。

詳しく知りたいけど…ややこしいことはわからんぜよ…。

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