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伊藤博文暗殺 明治42年(1909)

2011-06-25 17:34:21 | 歴史隠れ話

歴史かくれ話と今日は何の日



「「今日は何の日?」明治時代」カテゴリ 記事一覧

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・黄海海戦 明治27年(1894)
・大村益次郎襲撃される 明治2年(1869)
・「君が代」が正式に国家となる 明治26年(1893)
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・明治天皇崩御 明治45年(1912年)
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・明治天皇に国産ビールが献上される 明治10年(1877)
・版籍奉還 明治2年(1869)


2006年10月26日




伊藤博文暗殺 明治42年(1909)



この暗殺事件が起きたのは日本国内ではなく、満州のハルピンであった。

伊藤博文は、南満州鉄道などの権益の確認のために満州に渡っていたが、日露戦争の敗戦後もロシアは不凍港を求めて東進を狙っていたため、伊藤はこの時にロシア側の要人と会談を行って、利害関係の調整をすることになった。

伊藤博文は部下と共に奉天からの列車に乗って、午前9時にハルピンに到着。ハルピンではロシア側とハルピン駐在の警備員、ロシアの軍楽隊などが待っており、列車が到着するとロシアの使者であるココチェプ財務大臣が列車の中に入っていって、伊藤に挨拶をして連れ立って列車を出たという。

ホームで軍楽隊の演奏が鳴り、伊藤は儀杖兵を閲兵、列国外交官らの挨拶を受けた後、ロシア兵の前のさしかかった。

その時銃声が響いた。まず3発。人々がざわめく中でさらに4発。弾丸は伊藤と側近に命中しており、伊藤はうめき声をあげて崩れた。

その直後である。ロシア兵の後ろから一人の東洋人が「朝鮮万歳!」と叫んで拳銃を高々とあげると、それを捨てた。この男こそ、伊藤博文暗殺の犯人とされる安重根30歳であった。

撃たれた伊藤はすぐに列車内のベッドに運ばれた。意識はあったので、勧められたブランデー一杯を飲み干した。
「誰がやったのか?」
「朝鮮人のようです。」
それを聞いた伊藤は愕然として「馬鹿な…」と言いかけて絶命したという。

安重根はただちに取り押さえられていた。カトリック教徒だった彼は、伊藤の死を聞かされると、神に感謝の言葉を捧げた。安重根は以前から反日運動を繰り広げていた男で、今回も伊藤を狙ったものである。旅順の監獄に投獄された後、翌年3月26日に処刑された。
その行動から朝鮮では英雄として扱われている。

※写真は『伊藤博文を撃った男―革命義士安重根の原像』。暗殺事件の詳細を遺品資料と、地道な取材で追うノンフィクション。事件に興味がある方は必見。


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(補足情報)

●巻き添えで重傷を負った人
安重根の放った弾は全部で7発。伊藤の側にいた人間にも当たった。
被害者は、ハルピン駐在総領事川上俊彦、宮内大臣秘書官森泰次郎、満鉄理事田中清次郎の3人。


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伊藤をはじめ日本政府は、朝鮮のためとうたって朝鮮に介入していたんですが、朝鮮人にとっては、はた迷惑な話だったのかもしれませんね。当時の日本は日清戦争、日露戦争と意外な大勝利。ちょっといやらしい言い方をすると、のぼせていたのかもしれませんねぇ。


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