日常

こちらの世界にエールを送っている

2016-07-17 12:56:21 | 考え
先日は田口ランディさんの「いのちのエール」の講演会。
森のイスキア・佐藤初女さんとの15年にわたる交流の中で、ランディさんが受け取ったもの。
→○田口ランディ「いのちのエール - 初女おかあさんから娘たちへ」(2016-05-17)


人は死を迎える時、次の世代にそのいのちを渡そうとする。何らかの形で。
それを受け取るか受け取らないかは、生きている人の自由意思にゆだねられている。

初女さんからランディさんが受け取ったもの。そしてそれをさらに私たちが受け取ること。
初女さんの<森のイスキア>のSpiritを受け取れば、青森でなくても森ではなくても、どこでも実践できる。


初女さんからランディさんが受け取ったシンプルなことは、
<自分を信じる>ということ。
自分を信じることがベースとなり、相手を信じることにつながる。
自分を信じ続けることができなければ、相手を信じ続けることは難しい。

ランディさんの佇まいを通して、自分の中にも佐藤初女さんのいのちの分霊のようなものが流入してきたのを感じた。

<自分を信じる>とは簡単なことのようだが、実践は難しい。
言葉というのは、単独で存在するものではなく、誰から届いたか、そのルートこそが大事なのだ。
適切なルートを経ないと、ドアは開かない。


亡くなった方は、この世を見守り、こちらの世界にエールを送っている。
亡くなった方を味方や先生と思い敬意を持ち関係性を持つか、関係のない存在として何も考えずに生きていくか、、、、
故人との関わり方で、人生は大きく変わりうると、思う。



・・・・・・
昨日は、石神井舞台でのお能の発表会だった。
橋弁慶と猩々。
少し間違えましたが、大枠でかなり頑張りました。

自分が能楽をやりたいと思ったのも、そうした故人とのつながりや、先人への敬意から。
亡くなった祖父の袴をはいて仕舞いをするので、祖父もきっと喜んでいることだろう。母方、父方、どちらの祖父の袴も、自分は受け取って大切に保存している。


死者のいのちを受け取る、ということを「芸能」という形で体系化しているひとたちは、ほんとうにすごい。

能楽の「ワキ」という存在は、舞台の上で微動だにせず、ただ、聞き続ける。佐藤初女さんのあり方と、だぶる。


先人は、いのちが時代を超えて確実に伝わっていく仕組みとして、美という形にまとめあげたのだ。
体感として、体の全ての細胞で受け取るものとして。


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●橋弁慶(はしべんけい)
比叡山西搭の近くに住む武蔵坊弁慶は、ある願い事があって、北野の天神へ丑の刻詣をしています。
ちょうど今夜が満願なので出かけようとすると、従者は昨夜、五条の橋に十二、三歳の少年が出て、通行人を小太刀で斬って廻ったとのことだからと、今夜の参詣をやめるようにいいます。
弁慶が、大勢で捕まえればいいのにと言うと、従者は、目にもとまらぬ早業で、広い都にもあれ程の者はいない、多分、人間ではなく化生の者だとの事と答えるので、弁慶も一度は思いとどまります。
しかし、弁慶ほどの者が聞き逃げは無念と、かえって討ち取る決心を固めて、五条の橋へ向かいます。
牛若は、母の命により、明日からは鞍馬山へ上ることとなっているので、今夜を名残りと五条橋へ行き、通る人を待っています。
そこへ大鎧に身をかため、大長刀を肩にした弁慶がやって来ます。
弁慶は、女装をしている牛若に気を緩めて、通り過ぎようとすると、牛若は大長刀の柄を蹴り上げます。
怒った弁慶が斬りかかりますが、散々に牛若にもてあそばれます。
弁慶は、牛若と聞いて降参し、主従の契りを結んで、九条の邸へお供します。
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●猩々(しょうじょう)
親孝行で評判の高い高風という男が、揚子の市で酒を売ると富貴の身になるという夢を見、そのお告げのとおりに酒を売って金持ちになりました。
その高風の店に来て酒を飲む者で、いくら飲んでも顔色が変わらない者がいるので、ある日、名を尋ねると海中に住む猩々だと明かして帰っていきました。
そこで、高風はある月の美しい夜に潯陽の江のほとりに酒壺を置き、猩々の出てくるのを待つことにします。
やがて、猩々は薬の水とも菊の水とも呼ばれる銘酒の味をみたい、よき友と会うことを楽しみに、波間から浮かび出て、高風と酒を酌み交わします。
折から空には月も星もくまなく輝き、岸辺の芦の葉は風に吹かれて笛の音を奏で、波の音は鼓の調べのように響きます。
この天然の音楽にのって、猩々は舞い出します。
そして高風の素直な心を賞し、汲めども尽きぬ酒壺を与え、消えていきます。

2 コメント

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存在を感じる (スイッチ)
2016-07-18 20:09:00
講演会にINAさんがきてくれたこと、
本当にうれしかったです。(o^―^o)

最後の方のご質問に、「迷子の女の子のようなランディさんが今、初女さんに娘として何をお伝えしたいですか?」
を聞いたランディさんが舞台の上でほつれそうで、あの時、初女さんと舞台でお会いしていたんだろうなと思いました。

縄文人は、ストーンサークルのエネルギーで
一番気持ちのいい流れを、祖先の墓に向けて流れるように石を組んでいました。100年ほどの時間をかけて。それほど、祖先への思いが大きかったんですね。

関係ないですけど、天皇陛下と美智子さまの動きを見ていると、能のように体で語っているように思えてならないこの頃です。能の人が外交をやったら、すごいだろうなあ。(*´ω`)
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Jyomon (INA)
2016-07-27 08:23:48
>スイッチさん
青森は縄文時代のものがゴロゴロ残ってますし,いままさに,そういう古のものを温故知新で現代と融合させる土台が揃ってきているように思いますね・・・・。
佐藤初女さんや木村秋則さんや,,,青森には本当に個性的で素敵な方がたくさん住まれていて,民俗学でも面白い風習や土地がのこっていて,興味は尽きません・・・。
吉増剛三さんの<声ノマ 全身詩人、吉増剛造展>@東京国立近代美術館を見てきましたが,そこでも恐山を旅している吉増さんの映像が出てましたよ。
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