日常

銀杏と月と転倒したウニ

2011-12-13 18:53:07 | 雑多
(1)
職場を自転車で横切ると、黄色の銀杏のじゅうたんで覆われる季節になりました。
キレイなもんです。

こうして日々は更新されていくのでしょう。


(2)
皆既月食。

2011.12.10.
その日、知らずに外に出ると、やけに通行人が上を見上げるので気づきました。最初はUFO見てるのかと思いました。ちなみに自分はUFOを見たことありません。

皆既月食。
天体の神秘ですね。


月と地球の距離は38万kmで、月は年間約3.8cmずつ地球から遠ざかっていっているらしいです。
なんだかんだボヤボヤして50億年経つと、月と地球の距離が50万kmくらいになる。そうしてちょうど釣り合うらしいです。
50億年後、地球と月のバランスはさておき、この宇宙そのものはどうなってるんでしょうか。
自分も何ものかに輪廻転生しているのかな。それは誰にも分かりません。


小学生の時驚いたこと。
地球と太陽までの距離が、地球と月との距離の400倍あって、太陽の大きさはちょうど月の大きさの400倍ある。
距離と大きさのバランスがちょうど釣り合うから、地球から月と太陽はほぼ同じ大きさに見える。という自然科学的な見解。
なんでこんなことが起きるのか、いまだに不可思議でなりません。


逆に言えば、そういうバランスでちょうど引力とかが釣り合ったからこそ、この世界がこうして存在しているということなのかもしれません。
そうして考えると、この世界にあるどんなゴミのように見えるものでさえも、そこにそうしてあるからこそ、この世界の均衡が保たれているのかもしれません。
ものは考えようです。すべてのものは、世界の均衡のために大切な存在なのです。


ところで。
人間、年を取ると「花鳥風月」の良さが身にしみてよくわかると言います。明石家さんまさんがそう言ってました。
自分も花鳥風月の良さが身にしみて分かるようになってしまったので、どうやらイノセントな時期から脱したのかもしれません。
グッドバイ、イノセント.


(3)
仕事で外に出たついでに、短時間でご飯が食べれる回転寿司に行きました。


そこで見かけた不思議な女性の話。



自分のとなりに座ったひとりの若い女性。30歳くらい。身なりはきっちりしています。黒いロングコートに茶色のスカート。白色のマフラー。
ただ、服装や顔つきからは中国の人かな、と思いました。少なくとも日本人ではなさそう。


回転寿司では、直接湯呑で黒いボタンを押してお湯を出すシステムがありますが、それが分からないような様子。黒いボタンを指で押そうとして熱湯が出てきてヤケドしそうになっていました。隣にいるこちらも他人事ではありません。
自分がやり方を教えました。
<こうしてお茶っぱを湯呑に入れて、黒いボタンを湯呑みで押す。>

たどたどしい日本語で「ありがとう」と一言。ニコッと微笑みながら。


自分はマグロやイワシやアジをせっせとついばみます。回転寿司ですから当然です。

ただ、その隣の女性はあら汁をひとつだけ頼み、まわっているお寿司を見ようとさえしません。
その虚空を向いた視線は、回転寿司屋には似つかわしくない視線でした。


あら汁を愛でるかのように、あら汁の中で箸は螺旋を描き、終わりなき回転運動を続けています。
その螺旋の動きは、終わりは始まりになり、始まりは終わりになる。それが輪廻のように延々と繰り返されます。
ふと何かが頭に浮かんだ時、特別な法則性もなくあら汁をゆっくりとすする。
その繰り返しそのものが繰り返されます。


ある面では不規則、ある面では規則的な反復行為が10分くらい続くと、かき混ぜるお汁自体がなくなる。
御わん内の空気を螺旋回転させるわけにはいかないためか、あら汁だけを2杯目注文。
また同じ螺旋運動は繰り返されます。
指と箸は一体化したように回転運動と螺旋運動を続けます。
眼の前で回転しているお寿司には一瞥さえ与えません。

螺旋にかき混ぜる行為が主で、あら汁を飲むのが従なのか。
その主従関係はいつまでも明確になりません。




そこで携帯に電話がかかります。
そこでの彼女の発言の断片
「まだ閉じ込められているの?」
「あなたはどこにも戻れないのよ。」
「あなたは何者なの?」

・・・

という言葉が勝手に耳に入ります。

聞こうとする意志がなくとも、その微妙な大きさの音声は波となり振動となる。
風と空気に運ばれ、自分の耳へ。そして脳へ。そこまで到達するまでに必要十分な音なのです。


その後も、こそこそと携帯の会話は続けています。
そこで、自分は意識的に音を遮断。回転している寿司へと意識を切り替えます。

そうすると、最後に少し大きめな声で一言。
「グッバイ、メリークリスマス」
と言って携帯を切っていました。


その後、こちらに微笑して
「ごめんなさい」
と一言。


すると、3分の2ほど残った、2杯目のあら汁を一気飲み。ほんの3秒くらいでしょうか。
そして、おもむろに回転する寿司の中心点に位置する職人さんに向かって
「ウニの高いのください」
と。片言の日本語で一言。


すかさず手元にウニが運ばれます。
誇らしげに2つのウニが鎮座しています。

その女性は、ウニから、巻いてある海苔を丁寧に丁寧に、愛でるようにはがします。
そして、裸体となったウニを一口でペロリ。

そのほおばる行為とほぼ同時に、
「ありがとう」
と。こちらに微笑しながら一言。

もうひとつのウニは食べずに、そのまま颯爽と会計へと出ていきました。
最初から、もうひとつのウニは食べないことが想定されていたかのような、そんな間でした。



その女性がバタッと席を立った瞬間、食べてもらえなかったウニが横にコロンと転倒。
その転倒したウニと剥がされた海苔とが絶妙な空間をつくり、この世界から独立して自律した数cm四方の空間を構成していました。
それはまるでモンドリアンの抽象画のようにも見え、禅僧が作る日本庭園のようにも見えたのです。


その特殊な空間に見とれていると、その女性はいつのまにか会計からもいなくなり、自分の眼の前には盲目的に回転する寿司群と、干からびたノリと転倒したウニとが織りなす特殊な空間だけが取り残されたのでした。


・・・・・・

ただ、それだけの話です。
オチはなにもありません。


・・・・

日々は、つねにオチもなく過ぎていくものです。
だからこそ、日常なのです。

2 コメント

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大島渚? (H.P.)
2011-12-24 10:22:12
映画ですね、さながら

その女性が、どのように軍艦へ
醤油をつけたのかが気になります
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醤油なしでほおばってました (いなば)
2011-12-25 17:57:23
>>H.P.さん
おひさしぶりです。あたらしい生活はどうですか?


大島渚さんの映画って、実は見たことないんだよね。
それこそ、HPさんもお好きなみうらじゅんのバンドの大島渚、の方がよく知ってるというか。


この世界には、とんでもない生活を送ってたり、信じられないような人生送ってきた人がいっぱいいますよね。
仕事でそういう人と接するときも、仕事を通してそういう人の人生の一ページに何かしらの形で自分が紛れ込んだのか、と思うと、なんだか不思議な気がしますよ。

人間は多様です。
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