寺田寅彦「夏目漱石先生の追憶」
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『自分は「俳句とはいったいどんなものですか」という世にも愚劣なる質問を持ち出した。それは、かねてから先生が俳人として有名なことを承知していたのと、そのころ自分で俳句に対する興味がだいぶ発酵しかけていたからである。その時に先生の答えたことの要領が今でもはっきりと印象に残っている。
「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである。」
「扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。」
「花が散って雪のようだといったような常套な描写を月並みという。」
「秋風や白木の弓につる張らんといったような句は佳(よ)い句である。」
「いくらやっても俳句のできない性質の人があるし、始めからうまい人もある。」』
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『先生からはいろいろのものを教えられた。
俳句の技巧を教わったというだけではなくて、自然の美しさを自分自身の目で発見することを教わった。
同じようにまた、人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け、そうして真なるものを愛し偽なるものを憎むべき事を教えられた。』
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『いろいろな不幸のために心が重くなったときに、先生に会って話をしていると心の重荷がいつのまにか軽くなっていた。
不平や煩悶のために心の暗くなった時に先生と相対していると、そういう心の黒雲がきれいに吹き払われ、新しい気分で自分の仕事に全力を注ぐことができた。
先生というものの存在そのものが心の糧となり医薬となるのであった。
こういう不思議な影響は先生の中のどういうところから流れ出すのであったか、それを分析しうるほどに先生を客観する事は問題であり、またしようとは思わない。』
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「寺田寅彦随筆集 第三巻」岩波文庫(1963/01)より
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『自分は「俳句とはいったいどんなものですか」という世にも愚劣なる質問を持ち出した。それは、かねてから先生が俳人として有名なことを承知していたのと、そのころ自分で俳句に対する興味がだいぶ発酵しかけていたからである。その時に先生の答えたことの要領が今でもはっきりと印象に残っている。
「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである。」
「扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。」
「花が散って雪のようだといったような常套な描写を月並みという。」
「秋風や白木の弓につる張らんといったような句は佳(よ)い句である。」
「いくらやっても俳句のできない性質の人があるし、始めからうまい人もある。」』
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『先生からはいろいろのものを教えられた。
俳句の技巧を教わったというだけではなくて、自然の美しさを自分自身の目で発見することを教わった。
同じようにまた、人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け、そうして真なるものを愛し偽なるものを憎むべき事を教えられた。』
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『いろいろな不幸のために心が重くなったときに、先生に会って話をしていると心の重荷がいつのまにか軽くなっていた。
不平や煩悶のために心の暗くなった時に先生と相対していると、そういう心の黒雲がきれいに吹き払われ、新しい気分で自分の仕事に全力を注ぐことができた。
先生というものの存在そのものが心の糧となり医薬となるのであった。
こういう不思議な影響は先生の中のどういうところから流れ出すのであったか、それを分析しうるほどに先生を客観する事は問題であり、またしようとは思わない。』
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「寺田寅彦随筆集 第三巻」岩波文庫(1963/01)より