日常

ハウス加賀谷,松本キック「統合失調症がやってきた」

2013-10-29 22:12:27 | 
ハウス加賀谷さんと松本キックさん。コンビ二人の共著となっている「統合失調症がやってきた」イースト・プレス (2013/8/7)を読みました。
とにかく泣けました。
漫画では感極まってよく泣くのだが、活字媒体でここまで泣いたのは久しぶりだった。というほど、泣けた。


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<内容紹介>
人気絶頂の最中、突然芸能界から姿を消した一人の芸人--。「タモリのボキャブラ天国」「進め! 電波少年インターナショナル」など人気番組にレギュラー出演していたお笑いコンビ「松本ハウス」は、ハウス加賀谷の統合失調症悪化により、1999年活動休止。
その後入院生活を経て症状を劇的に改善させた加賀谷は、10年ぶりの芸人復帰を決意する。
相方・松本キックの視点を交えながらコンビ復活までの軌跡が綴られる、感動の一冊。

リリー・フランキー推薦!
「馬鹿は死ななきゃ治らない。でも、生きてりゃ治る馬鹿もある。夢あるねぇ」

<内容(「BOOK」データベースより)>
人気絶頂の最中、突如姿を消した一人の芸人―。
統合失調症という病に襲われたハウス加賀谷の半生と、「松本ハウス」復活までの軌跡が、相方・松本キックの視点を交えて、いま明かされる。
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お笑い「松本ハウス」のハウス加賀谷さんは統合失調症に苦しみながらお笑い芸人をやっていた。

小学生のころは塾通いばかりをして猛勉強をしていたようだ。計り知れない葛藤を抱えていた。
その過度のストレスが引き金になったのかは分からない(単純な因果関係で語ってはいけない)。ただ、小学生のころに突如現れた幻聴に苦しみ続ける日々。
幼い加賀谷さんにはどれほどの受難だったかと、想像するだけで胸がキリキリ痛みながら読み進めた(後ろから「臭い!」という声が突然聞こえ出したとのこと。当時は幻聴という概念がなく、とにかく戸惑っていたようだ。)。
その後、幻覚も見えるようになる。
そんな正体不明で実体のない病と本人が日々格闘していくさまは、当事者でしか語れない。保護室入院の日々もすごい。葛藤。不安。恐れ。混乱。希望と絶望の狭間・・・。様々な感情の洪水に満ち溢れていて、読んでいるだけでとにかく胸が痛んだ。自分の親しい友人が隣で苦しんでいるかのように共感して読み進めた。


統合失調症は100人に1人が発症するといわれている。原因ははっきりしない。

ただ、幼少期に過剰に抑圧された攻撃性。それに伴う自己否定など。計り知れないほど重い感情の抑圧も誘因の一つになっている印象も受ける。
成長の過程での通常の脳の発達(神経線維の結合)がうまくいかず、自分の内的イメージ(それは無意識世界で混沌としている)が現実化して現象化してくるようだ。

以前は精神分裂病と言われていたが、分裂していくことがメインなのではなく、自分の中で統合できなくなることがメインだと考えが変わっていき、今では統合失調症と呼ばれている(名前には偏見の手垢もつくし、そのことも名称変更理由の一つでもあると思う)。





どんな人でも、脳の中で起きている現象と現実世界を重ねあわせながら日々生活している。

統合失調症の人の脳の中でも音は聞こえ、映像も見える。
だから、幻聴も幻覚もその人にとっては現実と区別することができない。
他の人と共有できない、という点が、本人が幻聴や幻覚と判断する手段のようだ。


当事者本人の描写を読むと、見えてくるもの聞こえてくるものは「自己否定」的なイメージやメッセージばかりだ。臭い、飲み込まれる、命を狙われる、・・・など。
幼少期に強く深く激しく抑え込んだ「自己否定」のイメージは、変形して成長しつづけ、自分の中でひとつの生命体として脳の中に寄生しているような印象を受けた。そうなると、その状態と微妙な平衡状態を保ちながら生活していくことが、できうる最善の策だということになる。西洋医学のように<何か悪いものと戦って取り除く>という姿勢では太刀打ちできない状態のようだ。
⇒精神科医渡辺哲夫さんの「知覚の呪縛―病理学的考察」(ちくま学芸文庫)と言う本には、重度の統合失調症患者さんと精神科医との貴重な対話の記録がおさめられているすごい本だ。読んでいてちょっと怖くなる・・。
渡辺 哲夫「知覚の呪縛―病理学的考察」(2013-05-26)






医師という仕事柄、統合失調症の方と接することが多い。
自分の本職は心臓だが、精神的な病を併発している人も意外に多い。
在宅医療でも、統合失調症、躁うつ病、、、色々な精神的な病を抱えながら生活している人と接する。患者さん本人のこともあれば、そのご家族として接することもある。患者さんだけではなく個人的な友人でも病に苦しんでいる人もいる。


果たしてどう対応するのが適切なのか自分でも自信が持てず、その場で途方に暮れることもあるし、後で自分の対応や発言を反省することもある。
だからこそ、こうした本も含めた当事者からの情報発信は、リアルで多次元的な視点を与えてくれる。
相手をもっと深い視点で見るきっかけを与えてくれる。学ぶことが多い。人生はお互いに学ぶことばかりだ。


松本キックさんが実践されているように「できるだけ自分に正直に、特別扱いせずに」対応することが大事なのだろう。
それは簡単なようで難しいものだ。
そのためには、自分自身が自分自身に対して常に正直で素直であることが前提となるからだ。


僕らは本能的に、「よくわからないもの」「未知のもの」を恐れの対象としてとらえてしまう。
だからこそ、相手を知ろう、わかろうとする姿勢こそが、お互いの「恐れ」をなくすための重要な行程の一つだと思う。








この本は、ハウス加賀谷さんが病気と格闘しながら、色んな失敗を繰り返しながらも、それでも必死に懸命に1日1日を送り、お笑いを求め続けるドキュメントだ。
人を笑わせる、人に笑われる、・・・そういうことで見ず知らずの誰かに愛を与え続ける、というのはすごいことだと思う。それは誰にでもできるものではない。


加賀谷さんはかなりの読書家らしく、そのせいか文章もうまい。文章がとにかく胸を打つ。
本人の自己分析も的確で、思わずうなる部分も多かった。

その懸命でひたむきな姿勢に、思わず泣けてしまうのです。
やはり、素直で純粋な姿というのは、ただそれだけで人の心に響くのでしょう。
ここまで書き切るのは、色んな葛藤があっただろう。色んな批判を受けただろう。
その人生には数えきれない悲しみや苦しみが満ちていたことと思う。
でも、その受難と同じくらいの笑いをこの世に創造しつづけ、すべてを手の平から溢すことなく受け止めて書き切った本だと思う。
とにかく、不思議なくらい心をうつ本だと思う。


いろいろあっても、自分は自分の人生を生きるしかない。
いくら他人の人生がよく見えても、悪く見えても、それは自分の独立した人生とは関係ない。

自分の道は自分で切り開くしかない。自分で自分を愛し、自分で自分のすべてを肯定していくしかないのだ。
それは偽りの肯定ではなくて。
自分の全人生と全尊厳をかけた一世一代の肯定のようなもの。どんなに困難でどんなに辛くとも。
そんな狭くて重い門を通過すると、人は改めて自由になる。「新しい人」になる。
repair(修復)ではなく、reborn(新生)だ。

読後、ハウス加賀谷さんの現在進行形でのreborn(新生)を追体験させてもらったような気分になった。



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(本書より)
「社会の偏見は根深く、なかなかなくならない。
だけど、ぼくは、偏見がなくなることを期待するより、
自分がどう生きるかが大事だと考えてるんだ。」
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7 コメント

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こんばんは (shi)
2013-10-31 01:34:19
最後の引用文ぐっときました。
それだけでちょっと泣きそうなくらいに。
良さそうな本ですね^^
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楽しみにしています (山猫)
2013-10-31 08:54:33
時々こちらに来て、ブログを読ませて頂いています。
「『普通がいい』という病」一書を友人に紹介した所、
大変に喜ばれました。
私は在日外国人ですが、人の偏見は決してなくなら
ないものです(先に、自分自身が他者に対して偏見
だらけな訳ですし・・・)。自分を愛するのは自分だけ。
そして、その愛が充足したら、やがては外へ溢れ出す・・・、そんな風に思っています。
貴ブログ、とても参考になります。
いつもありがとうございます。
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大絶賛 (いなば)
2013-10-31 13:36:57
>Shiさん
いい本ですよー。
作者のいろんな悲しみや悔しさが詰まってますが、最後はそれをすべて乗り越えて進んで行っている感じがして、泣けました・・。アマゾンのレビューでも評価高いです。いい本は、支持されますねー。



>山猫様
コメント有難うございます。
そうなんですよね。人の偏見っていうのは難しいものです。ただ、いづれか先にはなくっていくものだと思います(それは数十年先かも、数百年かも、数千年かも、数万年かも・・・しれませんが)。
差別や偏見。分離意識というものが大元になっていますし、そのあたりは人間が自我というものとどう付き合っていくかという、ある種人間という種の宿命的な問題かもしれません・・・。


加賀谷さんは、偏見という巨大な問題を、すべて自分の中に飲み込んで取り入れている、というのがとてもすごいところだと思うのです。
批判する人を無視したり気づかないふりをするわけではなく、そんな人間の業のようなものもすべてを受け止めた。 
その結果が、『自分がどう生きるかが大事だと考えてるんだ。』という言葉に凝縮されています。すべて自分の問題だ、と言う風に問題を次元転換させたすごさだと思うのですね。だからこそ、この本は読む人の胸をうつのだと思います。 読んでいて苦しくなりますが、希望が持てるいい本ですよ。是非お読みください!(^^
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読もうと思っていた本。 (スイッチ)
2013-11-01 23:41:49
いなばさん、紹介してくれてありがとう。
この本、読みたいと思っていたんです!

ほんとうに、最終的には、
自分がどう生きるかにかかってゆくのだと思います。
自分をしあわせにするのは、自分なんだと。

とても大変な目に遭った人が
自らを研究し、社会を研究し、今できることを
研究していけば、いつか一人で立てるのだと思います。

そして、どんな人でも最終的には、一人で立たなければいけないのだと。。。
最近、大変だった友人が自分の病気を勉強して、
明らかに今までと違った人になってきたのを見て
思ったんでした。(^-^)p
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アート (いなば)
2013-11-02 12:11:37
>>スイッチさん
すごくいい本ですよ。
あまり活字を読まない人でも読みやすいと思います。日記を読んでいるような感じです。

12月頃に、友人の坂口恭平君が「坂口恭平躁鬱日記」という、これまたドキュメント闘病記かつアートや妄想が混在した本を医学書院から出すようです。この本の編集者の白石さんとは、一緒にべてるの家に行った関係なので、とても驚きましたが、この本も相当面白い本になると思いますよ。冬にこの本お見かけしたらこちらも是非どうぞ。


もともと、「べてるの家」に火をつけたのは医学書院の本です。
○「べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章」 (シリーズ ケアをひらく) 浦河べてるの家 (2002/5/1)
と言う本。
その後、
○「べてるの家の「当事者研究」」 (シリーズ ケアをひらく) 浦河べてるの家 (2005/2/1)
と言う本も出てます。

この医学書院の「シリーズ ケアをひらく」は、医学会に風穴をあけたとてもいいシリーズです。この編集者が白石さん。すごい方ですね。
http://www.igaku-shoin.co.jp/seriesDetail.do?seriesId=28&kind=series
めちゃくちゃいい本出してます。


動画 ニュースの深層「出版編集者というお仕事」ゲスト・白石正明
http://www.youtube.com/watch?v=OzRDIy_-Feg



「シリーズ ケアをひらく」は当事者研究が主なテーマ。

「病」の現象を対岸の火事として見ているような医療者の目線ではなく、その人生を否応なく生きざるをえなかった、その受難を背負いながら生きている人々から見た視点が多い。

これをひとつの学問や世界に昇華しようとしているのがすごいことです。
従来の「客観的」をうたいふんぞり返っていた西洋医学とは全く別の視点。違うアプローチ。
河合先生のユング心理学、臨床心理士を学問にしようとした動きと同じものを感じますね。
「客観的」学問だけではなく、「主観的」な学問の誕生。



ある受難を経た人が、そんな「自分」を徹底的に見つめ、深め、そしてそれを高い次元でとらえることができたとき、それはある種の普遍性を持ちますよね。極めて個人的な体験が、極めて普遍的な真実にまで昇華される。このことは芸術の本質だと思います。
そういう高い次元で、学問や臨床現場ははじめて芸術と言うものと手を結ぶことができるのではないかと思います。そのとき、本当の意味で医学はアート(芸術であり技術)になると思います。もともと、同じものだったのを近代が勝手に分離させただけですし。
そのあたりを孤独にコツコツと探索中です。イナバクエスト。一面クリアーはいつなのか?!
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イナバクエスト。(笑) (スイッチ)
2013-11-03 20:17:43
クリアー楽しみですね!

坂口恭平さん、好きでよくyoutubeで見ます。
宮台慎二さんとの対話が秀逸でした!
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語りの美学 (いなば)
2013-11-05 20:05:44
そうそう。彼は語りがいいですよねー。(^^
話し方の抑揚とかリズムやテンポって、音楽に通じますよねー。
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