中村明一さんの「倍音 音・ことば・身体の文化誌」春秋社(2010/11/1)はおもしろかった。
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<内容紹介>
美空ひばりのカリスマ、小泉純一郎のリーダーシップ。
彼らの影響力には「倍音」という、目には見えない音の秘密があった!
風鈴の音を楽しみ、鈴虫の鳴き声を愛でるのは、世界でも日本人だけ。
他の国々の人には雑音にしか聞こえていない音をわれわれが感ずることができるのはなぜか。
はたまたモンゴルの「ホーミー」やオーストラリアの「ディジヤリドゥ」、インドの「シタール」からブルガリアの「ブルガリアンヴォイス」まで、人々を魅了する不思議な音の謎を解く。
脳科学の知見からもさまざまな効果・影響が探られている不思議な音「倍音」のすべてを、世界的な尺八奏者がいま明らかにする。
お笑い芸人が売れるための鉄則から、古来より伝わる秘伝の呼吸法「密息」までつなぐ画期的身体文化論。
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中村明一さんは尺八奏者。
演奏家でありながら音に対する理論的な考察をしている。
いろいろ学んだことも多くて、自分のメモ書きも兼ねて下に書いておきます。
■音
「音」とは、ある媒質における圧力変化が聴覚でとらえられたもの。
たとえば、空気の圧力変化が耳に伝わると、それが音として知覚される。
圧力の変化は振動となる。
その振動が周期を持つと、音の高さとして知覚される。
その周期的な変動の、時間あたりの数を周波数と呼ぶ。
1秒間に440回振動したら440Hz。
数字が大きいほど、速く振動して、それは高い音として知覚される。
音の成分の中で、周波数が一番小さいものを基音、そのほかのものを倍音という。
人間の聴覚の一番敏感な場所は3-4kHz。
話し声は男性で100-150Hz、女性で200-300Hz。
高音域のソプラノでもせいぜい1.3kHzまでしか出ない。
ピアノは基音の上限が4kHz、倍音だと7kHzまで出せる。
尺八は基音の上限が2kHzだけど、倍音で200kHzまで出せる。
ちなみに、枯れ葉を踏む音、呼吸音、風の音は、人間の聴覚に敏感な3-4kHzにある。(不思議なもんだ)
■「ハーモニー」、「旋律」、「リズム」
音は、(1)音量、(2)音高、(3)時間的位置という3つの要素でつくられる。
その3つから「音子」という音の中でもっとも単純な音の素ができる。
数学での「点」(長さや面積を持たない)のようなもの。
「音子」に垂直的な連なりをつくると、「音質」(音子+倍音)ができる。
「音子」に時間的な連なりをつくると、音子+長さができる。
そのふたつをあわせて、音(音質+長さ)ができる。
その「音」に、垂直的な連なりをつくると、「ハーモニー」ができる。
「音」に、時間的な連なりをつくると、「リズム」ができる。
「音」に、垂直的+時間的な連なりをつくると、「旋律」ができる。
「ハーモニー」に時間を足すと「旋律」となり、「旋律」に時間を足すと「リズム」になる。
逆に、「リズム」に垂直的な連なりを足すと「旋律」となり、「旋律」に垂直的な連なりを足すと「ハーモニー」になる。
その「ハーモニー」、「旋律」、「リズム」の混ざって溶け合ったたものを、音楽の構成形式がつくられる。
ちなみに、足せば足すほど「音楽」になるのではなくて、どの段階であってもすでに「音楽」である。
単に様式(スタイル)の違いに過ぎない。
ミクロにみると、ひとつの音の部分ですでに倍音構造が複雑になっていて、マクロにみると、構成や形式の複雑さが見えてくる。
尺八では「一音成仏」と言い、ひとつの音にそべてを包含する事が言われる。
■倍音(harmonic overtone、harmonics)
音の成分の中で、周波数が一番小さいものを基音、そのほかのものを倍音という。
倍音も大きく二つに分かれる。
「整数次倍音」と<非整数次倍音>。
「整数次倍音」は基音の振動数の整数倍。
<非整数次倍音>は整数倍以外の、不規則な振動で起きた倍音のこと。
一般的に、構成形式が複雑な音楽は倍音構造が単純で(西洋の音楽)、倍音構造が複雑な音楽は構成形式が単純(日本などの音楽)。
聞こえないけれど、倍音が隠れている。
その倍音の中で、「整数次倍音」と<非整数次倍音>に違いがある。
■「整数次倍音」
「整数次倍音」は、声や楽器の中に自然に含まれているもの。
「整数次倍音」の音量が大きくなると、より硬い音、ギラギラした音になる。
荘厳、普遍性、宇宙的、神々しさ、宗教性、カリスマ性・・・を感じる。
ことばでは、母音は「整数次倍音」がメイン。
楽器では、チャルメラ、バグパイプ、雅楽では篳篥(ひちりき)。
声では、ブルガリアン・ボイス。
歌手では、美空ひばり、郷ひろみ、浜崎あゆみ、ユーミン。
話し声では、黒柳徹子、タモリ。日本の「歌いもの」と言われる民謡、謡曲、称名、長唄、地歌も。
■<非整数次倍音>
<非整数次倍音>は、濁った、ザラザラ・ガサガサした音。
高次だと、カサカサした音になって、少しソフトで優しい感じになる。
重要性、情緒性、親密性、自然を想起させる、注意を喚起・・・を感じる。
ことばでは、子音(母音の強調)は<非整数次倍音>がメイン。
楽器では、ケーナ、バンパイプ。
声では、アフリカ、ジプシー系。ハスキーボイス、ウィスパーボイス。
歌手では、森進一、宇多田ヒカル。
話し声では、明石家さんま、たけし。年を取るとこちらになる。
日本の「語りもの」と言われる義太夫節、説教節、浪曲。
日本の楽器の、尺八、琵琶、能管、三味線・・は、この<非整数次倍音>が出るように中国の楽器を改良したもの。
■脳
一般的に、左脳は言語脳、右脳は芸術脳(イメージ)と大雑把に言われる。
角田忠信さんの「日本人の脳」という本によると、
<西欧人>
左脳:子音を含む音節
右脳:持続母音、楽器、虫の声、自然の音・・それ以外すべての音
言語は左脳、それ以外は右脳
<日本人>
左脳:子音を含む音節、持続母音、虫の声、自然の音・・その他多くの音
右脳:西洋楽器音、機械音、雑音
人工的な音は右脳、それ以外は左脳
⇒
日本人は、左脳で、論理、感情、自然・・といった観念が一緒になってる。それを<非整数次倍音>で結びつけている。
西欧人は、左脳は論理、右脳は感情、自然という風に分離されている。
6-9歳に持続母音を使う環境にあると、日本型の脳になるらしい。
『日本語で育ったひとは、母音の持つわずかな周波数の揺らぎに対応するようになる。
日本人以外は、子音の破裂音のようなはっきりしたFM(=周波数の変調)が加わった時に、それを言語脳に振り分けるというスイッチの特性を持っている』
■日本と欧米
日本は、「アイ」「アオ」みたいに母音だけで意味のある言葉がある。これは日本とポリネシアの民族くらい。
日本は母音優勢で子音同士の組み合わせがない。
そのために、組み合わせの可能性が少なく、音声構成が単純になる。
欠点としては同音語が多発するので、それを区別するために音響が複雑になる。
母音と子音の組み合わせを常に使っているから、短時間で音響的に違うものの変化を聴き分けないといけない。
こういうことが、欧米人と日本人の脳の違いになるのではないかと書かれている。
26kHz以上の音(超音波、高周波の聞こえない音)は、hypersonic effectと言う。耳ではなくて皮膚から脳に伝わる。
和服は袖、襟、裾・・が空いていて、皮膚と外界はつながっていた。
ちなみに、都市の環境音は5-15kHzで、熱帯雨林の音は100-130kHzに達している。(CDは20kHz以下の音)
■密息
日本は湿気が多い。響かない空間。相対的に、高い音や倍音が聞こえてくる
日本人が倍音に敏感なのは、昔の呼吸法「密息」にも関係があるかもしれない。
「密息」は、骨盤を後ろに倒して、お腹を膨らませたまま横隔膜だけを上下する呼吸法のこと。
江戸時代までは日本人の呼吸は「密息」だった。
帯をしめて着物が崩れないように、お腹を出し続けなければいけないことと関係があるかもしれない。
「密息」だと骨盤と上体が一体化(=カブトムシ状態)になり、身体が安定する(=ナンバ歩き)。
身体自体が、感度の高い受信機になる。
身体の上下の動きがなくなり、横の線が浮き上がり、静けさも際立ってくる。
聴覚と視覚、時間と空間を静けさの中に統合するようになる。
そこで、「間」という概念が生まれる。
日本語には擬音語、擬態語、擬声語、掛声、愛図(=オノマトペ)が多い。言葉と音楽の中間のようなもの。
「ヤッホー」も「ヨイショ」も、言葉の論理性よりも音響が重視される。
吉本隆明は、宮沢賢治のオノマトペを語り
『意味以前のところでとどまるように、分節化以前の不完全な機能で使わなくては由緒ある擬音にならない』
これは、非言語の無意識下のコミュニケーションの重要性のことか。
西欧の「ワッハッハ!」と笑い、日本は「エヘヘッ」と笑う。
その違いは、西欧は基音で笑い、日本は倍音で笑うからかもしれない。
■「間」
「間」には二つの意味がある。
1つ目は、時間や空間の間隔。Timing, space。何も存在しない, blankの意味。
2つ目は、何もないように見えてそこにこそ広く深い宇宙があるという意味。
時間や空間がほかの要素で歪められた、特殊な時間、空間への感覚が込められている。
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六代目尾上菊五郎「藝」より
『踊りの間にも2種類ある。教えられる間と教えられない間だ。
大切なのは教えられない間だ。これは天性のものだ。
教えてできる間は、「間」と書く。教えてできない間は、「魔」の字を書く。
それから先の教えようのない「魔」の方は、自分の力で探り当てるのが肝心だ。』
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・・・・・・・・・・・・・・
なんでも、いろいろ勉強してみると面白いものですね。
食わず嫌いせず、自分を狭く限定せず。自由に。軽やかに。
何かを真面目に謙虚に素直に学ぶと、世界は違って見えるし、違った音が倍音のように多層に聞こえてくる気がします。
自分だけに使うものは単なる知識ですが、それが人のために使われと智慧と呼ばれる。
知識は智慧という花を咲かすための種子。それはいづれ、闇を照らす明るい光源へと成長していくのだと思います。
「人間万事塞翁が馬」 今日学んだことがどこでどう生きてくるのかわかりません。
ただ、この世に無駄なものなど一切ありませんから、自分の行為はすべて、自分へと意味を与え続けます。
そんなことを考えながら、仕事の合間に本を読んでいます。
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<内容紹介>
美空ひばりのカリスマ、小泉純一郎のリーダーシップ。
彼らの影響力には「倍音」という、目には見えない音の秘密があった!
風鈴の音を楽しみ、鈴虫の鳴き声を愛でるのは、世界でも日本人だけ。
他の国々の人には雑音にしか聞こえていない音をわれわれが感ずることができるのはなぜか。
はたまたモンゴルの「ホーミー」やオーストラリアの「ディジヤリドゥ」、インドの「シタール」からブルガリアの「ブルガリアンヴォイス」まで、人々を魅了する不思議な音の謎を解く。
脳科学の知見からもさまざまな効果・影響が探られている不思議な音「倍音」のすべてを、世界的な尺八奏者がいま明らかにする。
お笑い芸人が売れるための鉄則から、古来より伝わる秘伝の呼吸法「密息」までつなぐ画期的身体文化論。
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中村明一さんは尺八奏者。
演奏家でありながら音に対する理論的な考察をしている。
いろいろ学んだことも多くて、自分のメモ書きも兼ねて下に書いておきます。
■音
「音」とは、ある媒質における圧力変化が聴覚でとらえられたもの。
たとえば、空気の圧力変化が耳に伝わると、それが音として知覚される。
圧力の変化は振動となる。
その振動が周期を持つと、音の高さとして知覚される。
その周期的な変動の、時間あたりの数を周波数と呼ぶ。
1秒間に440回振動したら440Hz。
数字が大きいほど、速く振動して、それは高い音として知覚される。
音の成分の中で、周波数が一番小さいものを基音、そのほかのものを倍音という。
人間の聴覚の一番敏感な場所は3-4kHz。
話し声は男性で100-150Hz、女性で200-300Hz。
高音域のソプラノでもせいぜい1.3kHzまでしか出ない。
ピアノは基音の上限が4kHz、倍音だと7kHzまで出せる。
尺八は基音の上限が2kHzだけど、倍音で200kHzまで出せる。
ちなみに、枯れ葉を踏む音、呼吸音、風の音は、人間の聴覚に敏感な3-4kHzにある。(不思議なもんだ)
■「ハーモニー」、「旋律」、「リズム」
音は、(1)音量、(2)音高、(3)時間的位置という3つの要素でつくられる。
その3つから「音子」という音の中でもっとも単純な音の素ができる。
数学での「点」(長さや面積を持たない)のようなもの。
「音子」に垂直的な連なりをつくると、「音質」(音子+倍音)ができる。
「音子」に時間的な連なりをつくると、音子+長さができる。
そのふたつをあわせて、音(音質+長さ)ができる。
その「音」に、垂直的な連なりをつくると、「ハーモニー」ができる。
「音」に、時間的な連なりをつくると、「リズム」ができる。
「音」に、垂直的+時間的な連なりをつくると、「旋律」ができる。
「ハーモニー」に時間を足すと「旋律」となり、「旋律」に時間を足すと「リズム」になる。
逆に、「リズム」に垂直的な連なりを足すと「旋律」となり、「旋律」に垂直的な連なりを足すと「ハーモニー」になる。
その「ハーモニー」、「旋律」、「リズム」の混ざって溶け合ったたものを、音楽の構成形式がつくられる。
ちなみに、足せば足すほど「音楽」になるのではなくて、どの段階であってもすでに「音楽」である。
単に様式(スタイル)の違いに過ぎない。
ミクロにみると、ひとつの音の部分ですでに倍音構造が複雑になっていて、マクロにみると、構成や形式の複雑さが見えてくる。
尺八では「一音成仏」と言い、ひとつの音にそべてを包含する事が言われる。
■倍音(harmonic overtone、harmonics)
音の成分の中で、周波数が一番小さいものを基音、そのほかのものを倍音という。
倍音も大きく二つに分かれる。
「整数次倍音」と<非整数次倍音>。
「整数次倍音」は基音の振動数の整数倍。
<非整数次倍音>は整数倍以外の、不規則な振動で起きた倍音のこと。
一般的に、構成形式が複雑な音楽は倍音構造が単純で(西洋の音楽)、倍音構造が複雑な音楽は構成形式が単純(日本などの音楽)。
聞こえないけれど、倍音が隠れている。
その倍音の中で、「整数次倍音」と<非整数次倍音>に違いがある。
■「整数次倍音」
「整数次倍音」は、声や楽器の中に自然に含まれているもの。
「整数次倍音」の音量が大きくなると、より硬い音、ギラギラした音になる。
荘厳、普遍性、宇宙的、神々しさ、宗教性、カリスマ性・・・を感じる。
ことばでは、母音は「整数次倍音」がメイン。
楽器では、チャルメラ、バグパイプ、雅楽では篳篥(ひちりき)。
声では、ブルガリアン・ボイス。
歌手では、美空ひばり、郷ひろみ、浜崎あゆみ、ユーミン。
話し声では、黒柳徹子、タモリ。日本の「歌いもの」と言われる民謡、謡曲、称名、長唄、地歌も。
■<非整数次倍音>
<非整数次倍音>は、濁った、ザラザラ・ガサガサした音。
高次だと、カサカサした音になって、少しソフトで優しい感じになる。
重要性、情緒性、親密性、自然を想起させる、注意を喚起・・・を感じる。
ことばでは、子音(母音の強調)は<非整数次倍音>がメイン。
楽器では、ケーナ、バンパイプ。
声では、アフリカ、ジプシー系。ハスキーボイス、ウィスパーボイス。
歌手では、森進一、宇多田ヒカル。
話し声では、明石家さんま、たけし。年を取るとこちらになる。
日本の「語りもの」と言われる義太夫節、説教節、浪曲。
日本の楽器の、尺八、琵琶、能管、三味線・・は、この<非整数次倍音>が出るように中国の楽器を改良したもの。
■脳
一般的に、左脳は言語脳、右脳は芸術脳(イメージ)と大雑把に言われる。
角田忠信さんの「日本人の脳」という本によると、
<西欧人>
左脳:子音を含む音節
右脳:持続母音、楽器、虫の声、自然の音・・それ以外すべての音
言語は左脳、それ以外は右脳
<日本人>
左脳:子音を含む音節、持続母音、虫の声、自然の音・・その他多くの音
右脳:西洋楽器音、機械音、雑音
人工的な音は右脳、それ以外は左脳
⇒
日本人は、左脳で、論理、感情、自然・・といった観念が一緒になってる。それを<非整数次倍音>で結びつけている。
西欧人は、左脳は論理、右脳は感情、自然という風に分離されている。
6-9歳に持続母音を使う環境にあると、日本型の脳になるらしい。
『日本語で育ったひとは、母音の持つわずかな周波数の揺らぎに対応するようになる。
日本人以外は、子音の破裂音のようなはっきりしたFM(=周波数の変調)が加わった時に、それを言語脳に振り分けるというスイッチの特性を持っている』
■日本と欧米
日本は、「アイ」「アオ」みたいに母音だけで意味のある言葉がある。これは日本とポリネシアの民族くらい。
日本は母音優勢で子音同士の組み合わせがない。
そのために、組み合わせの可能性が少なく、音声構成が単純になる。
欠点としては同音語が多発するので、それを区別するために音響が複雑になる。
母音と子音の組み合わせを常に使っているから、短時間で音響的に違うものの変化を聴き分けないといけない。
こういうことが、欧米人と日本人の脳の違いになるのではないかと書かれている。
26kHz以上の音(超音波、高周波の聞こえない音)は、hypersonic effectと言う。耳ではなくて皮膚から脳に伝わる。
和服は袖、襟、裾・・が空いていて、皮膚と外界はつながっていた。
ちなみに、都市の環境音は5-15kHzで、熱帯雨林の音は100-130kHzに達している。(CDは20kHz以下の音)
■密息
日本は湿気が多い。響かない空間。相対的に、高い音や倍音が聞こえてくる
日本人が倍音に敏感なのは、昔の呼吸法「密息」にも関係があるかもしれない。
「密息」は、骨盤を後ろに倒して、お腹を膨らませたまま横隔膜だけを上下する呼吸法のこと。
江戸時代までは日本人の呼吸は「密息」だった。
帯をしめて着物が崩れないように、お腹を出し続けなければいけないことと関係があるかもしれない。
「密息」だと骨盤と上体が一体化(=カブトムシ状態)になり、身体が安定する(=ナンバ歩き)。
身体自体が、感度の高い受信機になる。
身体の上下の動きがなくなり、横の線が浮き上がり、静けさも際立ってくる。
聴覚と視覚、時間と空間を静けさの中に統合するようになる。
そこで、「間」という概念が生まれる。
日本語には擬音語、擬態語、擬声語、掛声、愛図(=オノマトペ)が多い。言葉と音楽の中間のようなもの。
「ヤッホー」も「ヨイショ」も、言葉の論理性よりも音響が重視される。
吉本隆明は、宮沢賢治のオノマトペを語り
『意味以前のところでとどまるように、分節化以前の不完全な機能で使わなくては由緒ある擬音にならない』
これは、非言語の無意識下のコミュニケーションの重要性のことか。
西欧の「ワッハッハ!」と笑い、日本は「エヘヘッ」と笑う。
その違いは、西欧は基音で笑い、日本は倍音で笑うからかもしれない。
■「間」
「間」には二つの意味がある。
1つ目は、時間や空間の間隔。Timing, space。何も存在しない, blankの意味。
2つ目は、何もないように見えてそこにこそ広く深い宇宙があるという意味。
時間や空間がほかの要素で歪められた、特殊な時間、空間への感覚が込められている。
===================================
六代目尾上菊五郎「藝」より
『踊りの間にも2種類ある。教えられる間と教えられない間だ。
大切なのは教えられない間だ。これは天性のものだ。
教えてできる間は、「間」と書く。教えてできない間は、「魔」の字を書く。
それから先の教えようのない「魔」の方は、自分の力で探り当てるのが肝心だ。』
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・・・・・・・・・・・・・・
なんでも、いろいろ勉強してみると面白いものですね。
食わず嫌いせず、自分を狭く限定せず。自由に。軽やかに。
何かを真面目に謙虚に素直に学ぶと、世界は違って見えるし、違った音が倍音のように多層に聞こえてくる気がします。
自分だけに使うものは単なる知識ですが、それが人のために使われと智慧と呼ばれる。
知識は智慧という花を咲かすための種子。それはいづれ、闇を照らす明るい光源へと成長していくのだと思います。
「人間万事塞翁が馬」 今日学んだことがどこでどう生きてくるのかわかりません。
ただ、この世に無駄なものなど一切ありませんから、自分の行為はすべて、自分へと意味を与え続けます。
そんなことを考えながら、仕事の合間に本を読んでいます。