日常

梅原猛「空海の思想について」

2012-09-21 22:12:31 | 
梅原猛さんの「空海の思想について」講談社学術文庫(1980/1/8)を読みました。


=================
<商品の説明>
密教哲学の魅力を、著者は次のように説く。
「『世界というものはすばらしい。それは無限の宝を宿している。
人はまだよくこの無限の宝を見つけることが出来ない。
無限の宝というものは、何よりも、お前自身の中にある。
汝自身の中にある、世界の無限の宝を開拓せよ』。
そういう世界肯定の思想が密教の思想にあると私は思う。
私が真言密教に強く魅かれ、現在も魅かれているのは、そういう思想である」と。
=================
<著者紹介>
1925年宮城県生まれ。1948年京都大学卒業。
専攻は哲学。京都市立芸術大学教授、同大学学長、国際日本文化研究センター所長を歴任。
著書に『美と倫理の矛盾』『地獄の思想』『美と宗教の発見』『隠された十字架-法隆寺論-』『水底の歌』『日本学の哲学的反省』『日本文化論』『歌の復籍』『古典の発見』など多数。
=================

文庫で130ページなので、仕事の息抜きにすぐ読めちゃいます。

梅原猛さんは本当に偉大なお方ですよね。
膨大な著作集があり、とても全部を読みつくすことはできませんが、難しいことを分かりやすく、時には熱っぽく情熱的に書かれている本はとても読みやすい。膨大な知識に裏打ちされて、そこをかみ砕いて僕ら凡人にも分かるように書かれた文章には、愛を感じますね。


この本は、真言宗の開祖にして大天才の大天才と言われる弘法大使空海に関する本。
日本では浄土真宗開祖の親鸞和尚がとても人気ありますが、弘法大使空海の人気に火をつけたのは梅原さんらしい、と聞いたことがあります。
司馬遼太郎さんの「空海の風景」松岡正剛さんの「空海の夢」もありますし、個人的には別冊太陽の「空海-真言密教の扉を開いた傑僧 (別冊太陽 日本のこころ187)」というのもいい本です。この本の写真のように、まさに「空と海」。壮大で雄大な名前です。名前が既に宇宙的で。



ちなみに、自分がよく見るサイト<うちこのヨガ日記>にも、【2011-01-29 空海の思想について 梅原猛 著】として素晴らしい書評が書かれているのに気付きました。そうなると、このブログで紹介する意味もなさそうですが、せっかくなので、自分的にこの本から気に行って抜き書きした部分をご紹介。




--------------------------------
弘法大師空海は、理論人と実際人との二つの面をそなえた人間である。
宗教を人間として評価するとき、著作のみによって評価すべきではなかろう。むしろその宗教家が、どのような布教活動を行い、そして悩める人間をどのように救済したかという見地で一人の宗教家を評価すべきであろう。
--------------------------------
宗教的真理は彼らの言動を通じて世界に輝きだした。そして、そのような言動によって真理は生きた真理となる。
--------------------------------
宗教家は己の存在を著作の中に閉じ込めようと言う意志をもたないのである。
--------------------------------

→そうなんですよね。どんなに素晴らしいことを言ってても、行動が伴わなかったり、結果的によくないことをしてたら、いかがなもんかと思います。
言葉には行動が伴う事で、両方が生命を得るような気がします。「知行合一」とも言いますし。

どんな言葉も、いい方向へも悪い方向へも持っていけるもの。
己の人生や生き様で、言葉が指し示す方向性を証明していかないといけないんでしょうね。
寡黙な日本人は、それを「背中を見て学べ」と言ったのかもしれませんし。



--------------------------------
弁証法の言葉を借りれば、真言密教は正・反・合の合の立場に立つ。
つまり、ここで仏教そのものが釈迦以来その内面に深く持っていた世界に対する否定の意志を、ほぼ完全に放棄するわけである。
もとより、世俗の世界を構成している欲望がすべて肯定されるわけではない。
あの人間を不幸に落としいれる欲望そのものは否定され、浄化されるが、しかし、欲望そのもの、浄化され、普遍化させた欲望そのものは大欲として肯定され、そして世界そのものは、かつて仏教の歴史において存在しなかった強い全面肯定の感情でほぼ全面的に受け入れられるのである。

世界と言うものは素晴らしい。それは無限の宝を宿している。人はまだよくこの無限の宝を見つけることができない。無限の宝というものは、何よりもお前自身の中にある。汝自身の中にある、世界の無限の宝を開拓せよ。
そういう世界肯定の思想が密教の思想にあると私は思う。
--------------------------------

→「強い全面肯定の感情」というのはいいです。好きです。
釈迦仏教での「一切皆苦」という言葉を聞いて、「人生は全て苦か・・・たしかに。なんか生きるの辛いなー・・・」と、状況によってはどんどんネガティブスパイラルに向かいそうですが、空海のように微笑みながら「世界を全面肯定する」という生き方は、現代のような閉塞状況でこそ求められるのかもしれません。


自分も、「全面肯定」というのは大切にしています。

まず最初に全てを疑ってかかり、それから何かを信じていく姿勢と、
まず最初に全てを肯定して受け入れ、それから批判的な吟味にかかる姿勢。
その二つは似ているようで、見えてくる世界はまるで違うんじゃないかと思いますね。

自分は、どんな怪しいものでも変なものでも妙なものでも差別されているものでも、まず全てを肯定して受け入れ、とにかく信じる姿勢から始めたいと、思ってます。
まず、「YES」と肯定し受け入れる。あとは、自分の心の調和の働きを信頼しながら、あとは野となれ山となれ。
登山も含め、大自然に対しては、こういう生き方が楽で「自然」な気がします。抗う事は不自然。





--------------------------------
世界には多くの宝が蔵されている。その宝は無限であり、無尽である。それを一生涯人間がほりつくし、なめ尽くしても、容易にその宝は尽きることがない。
それが人間の真の智慧であり、一度そういう智慧のかおりをかいだものは、容易に他の智慧に心を奪われることはない。
--------------------------------
重重帝網なるを即身と名づく。
自己の中に仏身が宿る。我が身が仏身であり、仏身が我が身である。
衆生と仏とが無限に相互にうつしあっている。自己の中に全世界が反映されている。
--------------------------------
五大皆響き有り
十界に言語を具す
六塵悉く文字なり
法身は是れ実相なり
「声字実相義(しょうじじっそうぎ)」
--------------------------------

→「衆生と仏とが無限に相互にうつしあっている。自己の中に全世界が反映されている。」という部分は、「華厳経」のインドラの網を思い出させます。


「インドラの網」とは、インドラ(帝釈天)の宮殿にかかる網のこと。
網の結び目にそれぞれに宝珠がついていて、その一つひとつが他の一切の宝珠を映し出し、一つの宝珠に宇宙のすべてが収まるという壮大な宇宙観、生命観。
自分はこの世界イメージがとても好きです。少しイメージしてみてください。
ひとつの玉に全ての玉が写り込んでいて、その一にして全、全にして一、の世界観がイメージされるかと・・・。



宮沢賢治にも「インドラの網」という短編がありました・・・

*************************
宮沢賢治『インドラの網』より
*************************
・・・・・・・・・
「ごらん、そら、インドラの網を。」
 私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末までいちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金でまた青く幾億互に交錯し光ってふるえて燃えました。

「ごらん、そら、風の太鼓。」
も一人がぶっつかってあわててにげながらこう云いました。
ほんとうに空のところどころマイナスの太陽ともいうように暗く藍や黄金や緑や灰いろに光り空からおちこんだようになり誰もたたかないのにちからいっぱい鳴っている、百千のその天の太鼓は鳴っていながらそれで少しも鳴っていなかったのです。私はそれをあんまり永く見て眼も眩くなりよろよろしました。

「ごらん、蒼孔雀を。」
さっきの右はじの子供が私と行きすぎるときしずかに斯う云いました。
まことに空のインドラの網のむこう、数しらず鳴りわたる天鼓のかなたに空一ぱいの不思議な大きな蒼い孔雀が宝石製の尾ばねをひろげかすかにクウクウ鳴きました。その孔雀はたしかに空には居りました。けれども少しも見えなかったのです。たしかに鳴いておりました。けれども少しも聞えなかったのです。
 そして私はほんとうにもうその三人の天の子供らを見ませんでした。
 かえって私は草穂と風の中に白く倒れている私のかたちをぼんやり思い出しました。

*************************



脱線し過ぎるとキリがないので、この辺で舞い戻り、梅原さんの「空海の思想について」講談社学術文庫(1980/1/8)から再度引用へ。


--------------------------------
空海の論理は集約の論理と流出の論理である。
すべての声字は一なる大日如来を表す阿字-に集約され、この阿字から流出する。
--------------------------------
私が密教に惹かれるのは、世界の差異というものに好意的だからである。
精神の一元論で世界を塗りつぶすようなことはしない。
--------------------------------
すべての梵字は阿字より出づる。
それは世界の「一」のシンボルであると同時に、世界の「多」のシンボルでもある。
--------------------------------
吽字の中に訶字が含まれる。これはハ・ハ・ハ(ha-ha-ha)という笑声を含んだものである。大笑いの意味である。
しかも、吽字には、上と下に、三昧耶を示している。
上と下には、自利と利他を通るものである。
自ら楽しんで大笑、他人を救って大笑、三世諸仏は皆、このような観をなすという。
--------------------------------
世界の諸仏は皆笑い、とりわけ大日如来が大声で笑っている。
空海もともに笑って、笑いによって大日如来と一体になっている。
『吽字義』はこの等観歓喜義で終わっている。
--------------------------------
自ら生きることは楽しい。他人を利することもまた楽しい。
何とよき言葉ではないか。
私はこの笑い声の愛好者としての空海を心から愛するものである。
--------------------------------

→この梅原さんの本そのものが、最後に笑いながら全肯定して終わる。
空海も梅原さんも私もあなたも・・・すべてがインドラの網の一つの宝珠のように色々なものがシンクロしていく本なのです。

学者さんの本はこ難しいものが多く、しかも何でも斜に構えて批判的に書けばそれでよいと勘違いしている本もあったりして、「果たしてこの書き手は書いている対象を好きなのだろうか?」と疑問に思う事も多々あります。
ただ、梅原さんの本はそういうこ難しい学者めいた様子を垣間見せません。
梅原さんは、恋愛のように書く相手を深く愛しているのが感じられます。そういうところがとても好きですね。

文庫で130ページとコンパクトなのに、すごく勉強になった。



・・・・・・・

以前もこのブログに書きましたが、空海は人間の心の成長段階を10段階に分類しています。
(⇒「10個の階段:十住心論」(2011-11-23))

10段階は、実はそれぞれが色んな宗教に対応していて、最終的には弘法大使空海の「真言密教」の世界としての10段階目に到達するんだ、ということもさりげなく重ね合わせてもいるみたいです。


<第一住心>異生羝羊心 - 煩悩にまみれた心
<第二住心>愚童持斎心 - 道徳の目覚め・儒教的境地
<第三住心>嬰童無畏心 - 超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地
<第四住心>唯蘊無我心 - 小乗仏教のうち声聞の境地
<第五住心>抜業因種心 - 小乗仏教のうち縁覚の境地
<第六住心>他縁大乗心 - 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地
<第七住心>覚心不生心 - 大乗仏教のうち中観・三論宗の境地
<第八住心>一道無為心 - 大乗仏教のうち天台宗の境地
<第九住心>極無自性心 - 大乗仏教のうち華厳宗の境地
<第十住心>秘密荘厳心 - 真言密教の境地



梅原さんの本からではないですが、空海『十住心論』を皆さまにご紹介して終わります。
梅原さんもそうですが、空海という方は、いやはやなんともすごいお方です。

===============
【第一住心:異生羝羊心 (いしょうていようしん)】
無知で迷いに気付かず、性と食だけに執着する心

【第二住心:愚童持斎心 (ぐどうじさいしん)】
節制があり礼儀をわきまえ、分かち与えることを覚え、良心が芽生え始めている状態。

【第三住心:嬰童無畏心(ようどうむいしん)】
幼児が母親につきしたがって安心をおぼえるような宗教心が目覚め始めている状態。

【第四住心:唯蘊無我心(ゆいうんむがしん)】
モノだけが実在することを知り、自我(ego)の存在を否定する。教えで悟り、無我を知った状態。

【第五住心:抜業因種心(ばつごういんしゅしん)】
すべてが因縁から生じることを体得して、迷いと無知を取り除いた状態。孤高の聖者の心。

【第六住心:他縁大乗心(たえんだいじょうしん)】
人々に対して慈悲の心が生じ、ただ心の働きだけが実在であるとわかっている状態。

【第七住心:覚心不生心(かくしんふしょうしん)】
一切は空(くう)であるとわかっている状態。

【第八住心:一通無為心(いちどうむいしん)】
現象はみな清浄であり、すべてが真実であると知る状態。

【第九住心:極無自性心(ごくむじしょうしん)】
一者において万有を見、万有において一者を見る。すべての対立を超えて真実を見る状態。

【第十住心:秘密荘厳心(ひみつしょうごんしん)】
ここには無限の展開だけがあり、無限無量のマンダラ世界のみがある。
===============

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
十住心論 (いなば)
2012-09-23 15:26:05
>>さ。さん
そうそう。まず本が薄いので、心理的距離感が近くて、ちょっと何かする前に一気読みしよう、という思いにさせてくれるんだよね。それでいて、読んでみると情報量も多いし、感化される点も多いし。すごく良い本だと思う。やはり、分厚い本はどんなに読むことをお奨めしても読んでくれないものだし。笑
1Q84とかも分厚いからねぇ。あまりに面白くて、自分は一気に読んじゃったけど・・

十住心論、いいよね。これをひとつの目安として色々考えてます。
仏教はインド的で、こういうどんどん数字で分類していくのが多いんだよね。感覚は何個に分かれるとか、・・・・ 数字や数学と民族に親和性があるのかなぁ。こういう数字化ってわかりやすい反面、ある新興宗教のように、それで階層化して、差別化してしまうと、元の意義からどんどんずれちゃいますよね。これはあくまでもその人の心の中で自分だけに適用するもので。
それは、ユングが、心理学はあくまでも自分の心理学であって、誰かにあてはめるものではない、と注意を促していたことと同じかもしれない。
ちなみに、十住心論の簡略版が空海「秘蔵宝鑰」で、角川ソフィア文庫から出てるんだよね。860円で買えちゃう。


宮澤賢治も、元々は過激な法華経信者だけど、最終的にはそんな世界ではおさまりつかないところへ行ってるよね。文章もメタファーや自然の鉱石やギリシア神話や。。いろんなものが宝石のように散りばめられていて。今こそ再読される人だよね。ほんとそう思う。
返信する
Unknown (さ。)
2012-09-22 01:24:27
この本、かなりいいよね~
この薄さでこの内容の厚みたるや!と、読んだときに、感嘆いたしました。分かりやすく、深い。そして、やはり、よい文章には、愛がこもっているのが分かる。これ、大事。どんな些細なことでも、仕事でもそうだと思うけれど。

十住心論は、手帳にメモり、たまに見返しています。何かこういう風に十段階にきっちり書かれると、分かりやすく、感嘆する一方で、スーパーマリオの何面クリア!みたいな感じの達成感とか思い浮かんでしまい、ほくそ笑むのは、私がまだ、俗世界にいるからでしょうか。笑。それにしても、最終段階のマンダラの世界は、どんな感じなのだろう…遠い目…

そういえば、宮澤賢治は、昨日が命日だったようです。大好きな作家ですが、彼もかなりレヴェル高そうで、やはり、極無自性心くらいは、いってそう…
返信する