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日常

2011年度涸沢登山

2011-07-25 23:11:19 | 生活
2011年度の涸沢診療所から無事に下山してきました。(7月16日から7月24日まで)
写真はココをクリックしてご覧ください。

(基本的に涸沢付近の写真ですが、涸沢→奥穂高→涸沢岳→北穂高→涸沢の写真などもあります。
岩場が激しく見えるのは涸沢岳→北穂高間のやや危険目のルートです。)

2011年度涸沢


雀の涙ほどしかない休暇を、全部寄せ集めてひとまとめにして圧縮しました。7泊8日の滞在。

文明から離れた山の生活は、まるで竜宮城。
電話で呼び出されることもありません。
終電で帰る人もいません。

晴耕雨読。
晴れていれば山に登り、雨が降れば人と語らい本を読む。

下界には台風到来。山の中も一日中雨でした。
その間はおとなしく小屋で読書三昧。
もともとおとなしく留守番モードで山に入りました。
大目に持って行った本を堪能しました。


■井筒俊彦「意識と本質」岩波文庫(1991)
■孔子(貝塚茂樹訳)「論語」中公文庫(1973/7)
■老子(小川環樹訳)「老子」中公クラシックス(2005)
■「新約聖書 英和対照新改訳」(2006)
■チャールズ・サイフェ「異端の数ゼロ ―数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念」ハヤカワ文庫NF(2009)
■米原万里「打ちのめされるようなすごい本」文春文庫(2009)

なるべく何度も読み返せそうなものを、山に行く前に部屋からかき集めました。
おかげさまで、往復の高速バス含めて全部読了。
新約聖書。はじめて読みましたがすごくいいですね。
さすが数億人が読んでいる聖書。読み込んで研究する価値があると改めて気づきました。




山の中ではテレビも電話も新聞もありません。
邪魔ものがない空間で読む読書は最高です。

時には鳥の鳴き声が耳に入ってきます。その中での読書。
ホーホケキョ。

・・・とか言うと、なんだかお洒落で風流ですが、実際はハエや蛾やよくわからんいろんな虫も飛び交っています。
自然は生きとし生けるものを差別しないのです。
人間も生命。きれいな鳥も生命です。ひとに嫌がられる虫も生命。植物も生命。
美醜は、人間のせせこましい価値判断に過ぎないものです。大自然は差別しません。





本気で登山をしていると、いかに人間が自然に生かされている存在か肌身にしみて感じます。
生きてるだけで有り難いと、深く思います。

歩きつづけていると、「無」を自覚します。
足が痛かったり、ザックの紐が肩に食い込んできたり、痛かったり、暑かったり、きつかったり・・・
登山ではいろんな負の感情が押し寄せてくることがあります。

ただ、それでも登山では歩き続けないといけません。
それでも、道を歩き続けるのです。

只、只、阿呆のように歩きつづけていると、いつのまにか負の感情がすべて一体化してきます。何も感じません。
それは感覚を遮断したのではなくて、感覚と一体化したことだと思うのです。
自分と感情が一体化すると、自分の脳活動さえも、機能しているはずなのに感じなくなります。
自分のからだと精神活動とが融合して一体化してきます。
自分の中の分離して感じられたものがすべて一つになります。
ある意味では当たり前かもしれません。自分はひとつのからだを持つのですから。

そうして、自分全体がひとつになっていくと、自分と自然とも一体化してきます。
それが「無」です。ゼロです。

その「無」の状態は、後から遅れて気付くものです。その最中は気付きません。遅れてしか感知できません。ふとした拍子に後から気付くだけなのです。

自分がひとつになり、自然ともひとつになる。融通無碍です。
そんな「無」を感じると、ふと頭をよぎる言葉があります。

『行雲流水』

雲のように風に吹かれ、水のように争わず流れ行く。
雲も水も、形あるようですぐにその形は失われる。でも、その失われた形は、つねに次の形の前準備として連続して存在しています。
雲や水の存在を、自分が同じレベルで感じるとき、自分という人間は自然の一部であり、自分という人間は自然そのものであることをふと感じるのです。


人間は自然に生かされている。
人間は意思を持って生きているのだけど、基本的には生かされている。だからこそ、いまこうして生きている。

自然に生かされている存在だからこそ、生きている間はせせこましい利己的な考えはさっぱり捨てて、利他的に生きたい。

自分を愛するように隣人を愛せよ。
自分のためより人のために。
それこそが、こうして自分が健康で生きて存在しているからこそ、やるべき仕事だと思います。
自分が弱く脆いときは助けてもらえばいいし、自分が強く逞しいときは困っている人を助ければいい。
それは常に流動的で相互的なものです。鏡のようなものです。かりそめの立場にすぎません。
そして、その行為に上も下もありません。どれも等しく価値がある。
できることを、できる範囲で精いっぱいやるだけです。


それが、自然から与えられた「生命」というものに対する恩返しの行為だと、山に入ると改めてそう思うのです。
そうして、天と地から滋養を受けて、日常に戻るのです。



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論語 雍也編 第六 二十三
『子曰、知者楽水、仁者楽山、知者動、仁者静、知者楽、仁者壽』
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『子曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。
知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し』
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『先生が言われた。
 知の人は水を愛し、仁の人は山を愛する。
 知の人は動的であり、仁の人は静的である。
 知の人は楽しく生き、仁の人は天寿を全うする。』
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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (Shin)
2011-07-25 23:42:05
写真見せてもらいました!スレイドショーにしてみると、山の雰囲気が伝わってきた。
北穂高は壁づたいに登っていくんだね。
厳しそうだけど、見える景色は最高なんだろうなあと写真を見ていても思った。
自然の中で空気も水もパソコンで疲れ気味の目も生き返ったのではないでしょか。

読書。山の中で読むと集中力が違うきがする。思想・宗教系を持って行くなんてさすがのセレクション。
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山は (usako)
2011-07-26 10:23:11
わわわ!
涸沢カールすごいですね。雪渓も青空も日差しも、360度の視界も。PC越しに山の空気が流れてきました。

この風景にたどり着くまでには、「どうしてこんなしんどい思いをしてまで・・・」という長い修行があるんだけど、そうまでしてもなお行きたい場所。下界とはうって変わってひんやりした空気の中、雪渓でカキ氷をたべて、満天の天の川を見たいです。

やっぱり山はいいですね、自然はすごい。学生時代の夏合宿を思い出しました。毎年北アルプスを縦走して、最終日に槍ヶ岳で合流したのでした。写真ありがとう。
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W杯優勝 (YUTA)
2011-07-28 00:11:58
写真全部見ました!

この季節に雪がある所へ行けるだけでも羨ましい……。テントがあれだけ多いのも分かる気がします。本当に険しい、大きな岩山を登って行くのですね。空も植物も美しい。太陽を写したものがありましたが、目は大丈夫なのでしょうか?

いなばさんが山にいる間に、日本がワールドカップ優勝国になりました!私は生中継で観ていて、とても嬉しかった。とにかく試合展開が、やっぱり駄目か→同点!の繰り返しで劇的だった。選手たちの決してあきらめない気持ち、そして大震災後の日本に明るいニュースを届けようと奮闘する姿勢が素晴らしかった。まさか、生きているうちにこの瞬間を見られるとは…。

それから、台風の日はこちらも大雨でした。高知では1000㍉も降ったとか。地震・猛暑・豪雨、と自然はこれでもかと我々を苦しめてきます。せめて人間どうしは団結して助け合いたいものです。
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大自然 (いなば)
2011-07-29 19:03:59
>>>Shinくん
スライドショーにして見るといい感じでしょ!
自分も、研究室で昼飯食べるときとか、スライドショーにして見ながら食べていると、山の妄想が頭の中に広がります。笑

北穂高は、奥穂高から涸沢岳を経由していくルートは壁づたいに登っていくんです。
やや危険ルートで、滑落する人も出るルート。
涸沢ヒュッテから、北穂の南稜経由で登るルートは、初心者でも登れる安全なルートですよ。
延々登りで、コースタイムだと3時間の登りだけどね。


自然の中で、かなりえねるごーを充電しました。
「せせこましい自我」というのを山の中で置き忘れてきたようで、小さいことにこだわらずとてもいい感じ。なんとなく霊性が高まった気がします。笑

まあ、元々、日本人は山を霊山と呼んだり、死者が祖霊になって帰る場所とされていたり、山そのものがご神体だったのですよね。修験道っていう信仰も、日本独特の信仰で。
毎年、山に興味がない人でも富士山にのぼってみたい!と思うのは、やはり日本最強の霊山である富士山の霊力に導かれてのことだと思うな。
いまはパワースポットって呼ばれてるけど、呼び方は本質的じゃないし。
感じるものですな。自分は登山でいろんなものを感じました。きつかったけど楽しかった!

>>>usakoさん
やっぱり山はいいですよ。
学生時代、山岳部でしたよね?
山岳部は、縦走とか含めて、長期で山に入るから、一泊二日とか日帰りとか、そういうプチ登山とは違う精神性があるよね。山に命を預ける感じ。1週間も山にいると、人間は完全に原始化して野生化してくる。笑
きっとどんな人間にも野生が眠っているんだろうと思うと、面白いものです。
山は、そういう眠れる自分を目覚めさせてくれる働きがあるのを感じます。

北アルプスを縦走+最終日に槍ヶ岳で合流!
いいねー。楽しそう!
写真の中にも、いろんなとこでさり気なく槍ヶ岳が顔をのぞかせてます。
何もないところでスカイツリーのように細長く天空に伸びている槍ヶ岳の雄姿はかっこいい。


>YUTAさん
雪がある所・・・と言っても、避暑地というわけではないので、寒いときは凍死するほど寒いんですよね。特に涸沢カールは氷河時代の氷が万年雪で残っている数少ない場所なのです。

空も植物もいいですよね。
今回は、なんとなく植物に惹かれてしまい、いっぱい写真をとりました。気温の変化が激しい高所でもたくましく咲いてる植物たちに、力強い生命力を見ました。


なでしこJAPANですね。噂には聞いてましたが、テレビとかもちろん見てないのであまり詳しく知りません。
ただ、下山後に親と話していて、実家が熱狂的になでしこフィーバーしていたので、自分との温度差を感じました。笑 ふと、自分が浪人していてテレビを見ない生活を送っている時、ちまたでは長野オリンピックで大盛り上がりしていて、その会話にまったくついていけないときの自分がフラッシュバックするようでした。

自然のちからはほんとに偉大ですね。
こうしている間にも、地球は自転し続け、太陽のまわりを公転し続け、その壮大な自然のスケールに、人間のちっぽけさを常に感じます。大自然の圧倒的な営みに思いを馳せると、おのずから、謙虚になる気がしますね。
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