ところで、この改革は中大兄皇子にとってどうだったのか。 大化以前の仏教界は蘇我氏の強い影響下にあった。 飛鳥寺は最高の格式を持った寺院であり、その建立を発願した蘇我氏は仏教界最大の庇護者である。 蘇我氏の息のかかっていない僧侶などいない。 その蘇我氏を滅ぼしたのであるから仏教界とのつながりを構築していくことは最重要課題であった。 そこで十人の高僧を選んで十師とし、仏教界の指導者に任命し、未完成の寺院造営の援助を表明した。 飛鳥寺の本尊が完成するまでを回顧し、稲目・馬子が果たした功績をたたえるという詔は飛鳥寺にて発せられた。 詔には蘇我氏に対する批判はなにもなく、蘇我氏を逆賊として誅殺した事実とはまったく相反するものでる。 すると新政権は自らの正当性を仏教ではなく、どこにおいたのか。 新しく即位した孝徳天皇、皇極太上天皇、中大兄皇子や群臣らは、飛鳥寺の西の聖なる広場で天命思想に基づく誓約を交わしたという。 つまり、この政変は天の意思によるものであり、将来新政権に背くものは蘇我氏同様に天罰がくだるというものである。 これには政権の首脳となった国学士・僧旻の影響がうかがえる。
八角墳は以下の六ヶ所の陵・古墳で採用されたことが知られている
第34代 舒明天皇陵 641没 第37代斉明天皇陵 661没
第38代天智天皇陵 671没 第40代・41代天武・持統天皇陵 703没
第42代文武天皇陵 707没 束明神古墳(草壁皇子墓) 689没