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継体天皇・樟葉宮跡伝承地

2010年11月19日 | 陵 古墳 墓 遺跡

 武烈天皇の死後、大連大伴金村らによって越前の三国から迎えられたオホド王は507年に樟葉宮で即位したと伝えられています。 このとき王の知己であった河内馬飼首荒籠が密使として活躍しており、即位には北河内を本拠地とする馬飼部の大きな貢献があったと考えられます。 継体天皇は5年後に山背国筒城、12年後に弟国に移りましたが大和国にはいったのは20年後のことです。 以上は日本書紀によりますが、古事記には樟葉宮以降のことについては何も記していません。 樟葉宮と伝えられるのは、貴船神社のある小丘のあたりです。 続古今和歌集で、関白左大臣・一条実経は次の歌を詠んでいます。 「くもらじな ますみの鏡 かげそふる くずはの宮の 春の夜の月」  (樟葉宮跡 説明板より)

 澄み切った鏡のような池に春の夜の月が映っていて、樟葉宮も光を浴びて池に影を落としていると、樟葉宮と月を重ね合わせている歌である。 この池は鏡伝池と呼ばれていて、古くから鏡池の名で月の名所だった。 今では市民の森公園がつくられ人々の散策が絶えないが、鎌倉時代には継体の樟葉宮が鏡池の間近にあったと伝えられていたのである。

  

  

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