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小野小町終焉の地・井手

2010年11月28日 | 平安時代

 小野小町終焉の地は、丹後本町・五十河、秋田、山口など全国各地に散在しています。 「冷泉家記」によると、「小野69歳井手寺に於いて死す」 とあり、また「百人一首抄」にも「小野小町のおはりける所は山城の井手の里なりとなん」 と記されており、古来「大妹塚」と称されてきた井手の「小町塚」は中でも信憑性のあるものとされています。 世に伝えられる晩年の零落のの姿は、絶世の美人であったがゆえに語られた伝説で、歌枕として数多くの歌に詠まれるここ井手の里で、山吹の咲きこぼれる玉川堤を散策しながら、穏やかな余生を過ごしたとも云われています。

     

 平安の歌人・小野小町は、出羽の国福富の荘桐木田の地で、郡司の小野良真の娘として生まれました。 たいそう美しい娘で13歳にして都へのぼり 都の風習や教養を身につけ、 その後20年程宮中に仕えたといいます。 容姿の美しさや才能の優れていることなど、 多くの女官中並ぶものがないといわれ、 数々の逸話や伝説を残し、晩年は、世を避け、 香を焚きながら自像を刻み92歳で世を去りました。 「小町」というのは天皇の妻のうち更衣に与えられた名であったと考えられ、小野小町という名は当時の有力貴族小野氏出身の更衣だったことを示しています。このことから9世紀中頃に小野氏から宮仕えし活躍していた「小野吉子」が小町の本名ではないかと推測されています。 小野小町は当時、仁明天皇に仕えていました。そして思い焦がれていたと推測されています。しかし、小町は更衣という身分ではありながら天皇の寵愛はそれほど受けていなかったようです。 850年、仁明天皇は41歳でこの世を去りました。その後、小町は宮仕えを辞し里に戻り、再婚などもしなかったようです。小町の歌には他の男のプロポーズの歌への返答歌もあるのですがどれもやんわりと断っています。それなのに、浮名の噂を流されたりして、その時の嘆きの歌が次です。

うきことを 忍ぶるあめの 下にして 我が濡れ衣は ほせど乾かず

花の色は うつりにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに

 これは、日本初の勅撰「古今集」に挿入された詠歌で、時代の思潮をしっかり残します。 また。古今集の巻頭を飾った夢の歌三首が次のものです。

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを

うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき

いとせめて恋しき時はむば玉の夜の衣を返してぞ着る

 全部で18首が入る「古今集」は醍醐天皇の勅命によって905年に奏覧されたもので、小野小町はその100年ほど前に生きた女性です。 600年に聖徳太子が遣わした遣隋使以来、中国が隋から唐に変遷するなかで、日本の唐文化の輸入に政策に大改革が起こります。 その発端は、醍醐天皇と父・宇多上皇が登用していた菅原道真が時の摂関家・藤原時平の政略により大宰府に左遷されることに始まります。右大臣にまで登りつめた唐国派の道真が失脚することにより政府方針に大変革を及ぼしたのです。 それは894年の遣唐使の廃止です。 これを機に歴史に顕れたのが紀貫之で、「古今集」を編纂し漢文学にかわって仮名文学「土佐日記」を著したのです。そしてこの歴史の転換期に六歌仙(僧正遍昭・在原業平・文屋康秀・喜撰法師・大友黒主)の唯一の女性として登場した歌人こそ小野小町でした。 小町は小野篁の子・良真を父に持つと云われており、小町と贈答歌を交わしたのは仁明天皇に出仕していた安倍清行・小野真樹・文屋康秀らで、830年頃に生まれ850年頃宮廷にかかわったと思われます。 そして仁明天皇の更衣・小野吉子が小町であったのではないかという説が自然となっているそうです。 

               伊都内親王(桓武皇女)
       是公娘・吉子-807       ┣ 在原行平818-893
    ┣ 伊予親王     伊勢継子┣ 在原業平825-880
      ┃乙牟漏皇后 760-790  ┣阿保親王792-842 ┃
      ┃┣ 高志内親王789-809 ┣高岳親王799-865 *5
      ┃┣ 安殿親王  774-824(51平城天皇)
和新笠 ┃┣ 賀美能親王784-842(52嵯峨天皇)
 ┃   ┃┃   ┃┃┏藤原乙春842-866
 ┣山部王(桓武)┃┃┗藤原沢子   -839     藤原元善
 ┃ 737-806   ┃┃  ┃ ┗藤原佳美子-898  ┃平等子
 ┃           ┃┃  ┃    ┣-      ┃┣-
 ┃           ┃┃  ┣58光孝天皇830-887時康親王
 ┃           ┃┃  ┃┃  ┃       ┏藤原時平871-909
白壁王709-781 ┃┃  ┃┃   ┣源旧鑑    ┗藤原穏子885-954中宮(時平・妹)
(49代光仁天皇) ┃┃  ┃┃   ┣源和子-947(女御)┣康子内親王919-957(師輔妻)
         ┃┃  ┃┃   ┣忠子┣慶子内親王┃ 藤原安子(師輔娘)
         ┃┃  ┃┃-899┗周子┣常明親王 ┃   ┣63冷泉天皇
          ┃┃  ┃┣為子内親王┃藤原淑姫 ┃-948┣64円融天皇 壮子女王
 ┏━━━━━━┛┃  ┃┃高藤    ┃┃┃藤原桑子┃    ┣為平親王  ┣具平親王
 ┣有智子内親王 ┃  ┃┃┣定方  ┃┃┃┃和香子┣成明親王(62村上)926-967
 ┃母交野女王斎院┃  ┃┃┃┗能子┃┃┃┃┃-935┣寛明親王(61朱雀)923-952 
 ┃         ┃  ┃┃┗胤子┃┃┃┃┃┃  ┃藤原時平871-909 ┣昌子内親王950-1000
 ┃         ┃  ┃┃  ┃┃┃┃┃┃┃  ┃┣保志890-936  ┃(和泉式部┣-
 ┃         ┃  ┃┃  ┃┃┃┃┃┃┃  ┃┣褒子(宇多女御)┃  奉仕)┣-
 ┣源貞姫810-880 ┃  ┃┃  ┃┃┃┃┃┃┃  ┃┣仁善子-946  ┃  冷泉天皇
 ┃(布勢氏)   ┃  ┃┃  ┃┃┃┃┃┃┃  ┃廉子女王┣煕子女王-950
 ┃       ┃  ┃┃  ┃┃┃┃┃┃┃  ┃    ┣慶頼王920-925
 ┃       ┃  ┃┃  ┃┃┃┃┃┃┃  ┣保明親王903-923(第二皇子 醍醐皇太子)
 ┣源潔姫809-856 ┃  ┃┃   ┣60代醍醐天皇885-930延喜帝   
 ┃(当麻)┣明子 ┃  ┃┃   ┃ ┃┃┃┣克明親王903-927(第一皇子),宣子内親王(斎院)
 ┃藤原良房┗文徳┃  ┃┃   ┃ ┃┃┃源封子(更衣 源旧鑑娘)
 ┣源信810-869  ┃  ┃┃  ┃ ┃┃┣代明親王904-937(邸宅は伊尹,行成の邸とす)
 ┃(広井氏)   ┃  ┃┃   ┃ ┃┃藤原鮮子-915┣源重光 923-998
 ┣源弘812-863  ┃  ┃┃   ┃ ┃┃       ┣恵子女王925-992(伊尹妻 義孝母)     
 ┃(上毛野氏)  ┃  ┃┃   ┃ ┃┣重明親王-954┣壮子女王930-1008(村上帝妃具平母)
 ┣源融823-895  ┃  ┃┃   ┃ ┃源昇娘      ┣厳子女王(頼忠妻 公任母)
 ┣源勤824-┣源昇┃  ┃┃   ┃ ┣勤子内親王 定方娘
 ┃(大原氏)┗源湛┃  ┃┃   ┃ ┣源高明914-982
 ┣源定816-863  ┃  ┃┃   ┃源周子 ┣俊賢959-1027
 ┣源鎮824-881  ┃  ┃┃    ┃-935  ┣明子965-1049
 ┣基子内親王-831┃  ┃┃   ┃   愛宮  ┣頼宗、能信、寛子
 ┣基良親王-831 ┃  ┃┃   ┣敦実親王  藤原道長966-1028
 ┣忠良親王-876 ┃  ┃┃   ┃ ┣源雅信  ┣彰子、頼通、教通
 ┃(百済系)    ┃  ┃┃   ┃ ┃ ┣源倫子964-1053  
 ┣仁子内親王-889┃  ┃┃   ┃ ┃穆子 藤原温子 菅原衍子 橘義子 源貞子 
 ┃(大原氏)    ┃  ┃┃   ┃時平娘    ┃
 ┣源常812-854  ┃  ┃┣ 源定省(59宇多天皇)867-931
 ┣源明814-853  ┃  ┃┣ 簡子内親王-914  ┣雅明親王,行明親王,載明親王
 ┃(飯高氏)    ┃  ┃┣ 綏子内親王-925 藤原褒子?-?(時平娘 元良親王と恋愛)
 ┣源清(秋篠氏) ┃  ┃斑子女王   ┗━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┣宗子内親王-854┃  ┃               藤原長良802-856┣-
 ┃(高階氏)    ┣正良親王(54仁明天皇)810-850     ┣藤原淑子┃
 ┣源寛813-876  ┃        ┃ ┣ -       836-891┣藤原基経┃
 ┃(安部氏)   ┣正子内親王┃小野吉子(更衣)   842-910┗藤原高子┃姣子女王?-?
 ┣源生821-872 橘嘉智子┣恒世┃紀名虎娘・静子 良房┓在原行平娘┃  ┃┃
 ┃(笠氏)           ┣恒貞┃ ┣ 紀有常女*5   藤原明子 ┃ ┣陽成天皇876-884
 ┣源安822-853   淳和天皇  ┃ ┣ 惟喬親王(第1皇子)┣清和天皇850-881┣元良親王890-943
 ┃(粟田氏)                ┣ 道康親王(55文徳天皇)836-858 ┣   ┣元平親王
 ┣純子内親王-863       藤原順子(冬嗣・妹)     ┣源能有 ┃  藤原遠良娘?-?
 ┗斉子内親王-853                伴氏娘 ┗源厳子
  (文屋氏)

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