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経済時評-低い生活基準に合わせるのが公平かー

2007-03-02 20:58:58 | 国内経済
経済時評
「下に下に」病に効く薬は…

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 先日(二月十三日)の衆院予算委員会で、日本共産党の志位和夫委員長が生活保護の母子加算問題をとりあげたのにたいし、安倍首相は、一般母子世帯との「公平性の確保」のために撤廃すると答えました。その後、笠井亮議員の老齢加算についての質問(二十二日)に、柳沢厚労相も、同じような理由でやめたと答えました。

 このように、「公平性」を口実にして、福祉を「下に下に」と切り下げていくやり方をみていると、江戸時代の大名行列の「下にィ下にィ」という掛け声(注1)を、つい思い出してしまいます。

 こうした「下にィ下にィ」の掛け声は、いろいろな分野で広がっています。いわば「下に下に」病とでもいうべき風潮のまん延です。

日本大企業に根深い「下に下に」病
 日本の財界・大企業にとっては、「下に下に」病は、“生活習慣病”といえるほど根深いものになっています。「海外の低賃金と競争するには総額人件費管理の徹底が必要だ」といって、賃金を「下に下に」と押し下げる。中小企業の下請け単価も「下に下に」と切り下げる。最近は、正規雇用と非正規雇用の労働条件を「下に下に」そろえる動きさえみせています。

 これから本格的に実施される「市場化テスト法」は、政府の事業に民間企業との競争入札方式を持ち込んで、政・財・官が一体となって「下に下に」のコスト切り下げ競争を推進しようとしています。

 「下に下に」病は、日本だけの流行ではありません。「新自由主義」の横行する資本主義諸国では、どこでも共通の病です。しかし、日本の場合は、独特の特徴があります。それは、サービス残業などによって、労働時間を際限なく延長して、ひたすら利潤を増やす方法とセットになっていることです。さらに、ホワイトカラー・エグゼンプション(残業代ゼロ法案)の導入を許してしまうなら、労働時間の上限が取り払われて、残業時間は逆に「上に上に」と増えていくおそれがあります。(注2)

特効薬は最賃制などの確立と改善
 「下に下に」病とたたかう方法、特効薬は、すでに実践的に発見されています。

 たとえば、賃金の「下に下に」病にたいしては「最低賃金制」、年金なら「最低保障年金」、生活保護なら「生活保護基準」、税金なら「課税最低限」、農民なら「米価をはじめ農産物価格保障」などなど、さまざまな方法があります。これらの制度を確立し、それぞれの水準を改善して、鉄壁の歯止めを築くなら、「下に下に」病を退治することができます。

 そして、こうしたナショナル・ミニマムを支える共通の土台として、すべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障した憲法二五条があります。

 もちろん、すぐれた特効薬があっても、それを活用するためには、労働者・国民の運動が必要です。政治の力が必要です。「下に下に」病とたたかう方法がわかっていても、労働者・国民の運動の力で政治を動かして法制化しないならば、「宝の持ち腐れ」になってしまうでしょう。

最賃制の発展は世界史的な法則
 世界史的に振り返ってみると、労働時間の上限を規制する工場法は十九世紀に生まれたのにたいし、賃金の下限を規制する最賃制は二十世紀の産物でした。

 「最低賃金制は、工場立法と同じく、資本主義にとって必然性をもった産物なのである」(藤本武『最低賃金制』岩波新書)。

 世界最初の最賃制はニュージーランドで一八九四年に生まれ、資本主義の最先端を走っていたイギリスでは、それは一九〇九年に成立しました。その後、世界各国に広がり、二八年にILO(国際労働機関)が「最低賃金決定制度の設立に関する条約」(第二十六号)を採択しました。

 二十世紀に入って、世界的に最賃制の運動が広がったのには、法則的な必然性がありました。十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、重化学工業が急速に発展し、独占資本による中小資本の収奪、就業や雇用の構造的格差、不熟練労働者や女性労働者の増大、膨大な低賃金労働者、ワーキングプアが形成されました。また資本主義大国は、対外侵略を競い合い、帝国主義時代に入りました。

 こうした世界史的条件のもとで、十九世紀に支配的だったクラフト・ユニオン(熟練労働者中心の職業別・職能別組合)に代わって、職種や企業の枠を超えて労働者を広範に組織する新しい労働組合運動が発展し、最賃制の確立は、そのたたかいの主要な目標の一つとなりました。(日本でも一九五九年に最低賃金法が成立したが、きわめて欠陥のある不十分なものだった)

 そしていま、グローバル化とICT(情報通信技術)革命の新しい世界的展開のもとで、「新自由主義」のまん延に対抗する運動が世界中で広がりはじめています。

 財界や政府は、グローバル化のなかで大競争に勝ち抜くには、ICTを活用し、効率化と生産性向上でコスト削減を徹底させなければならないと主張します。しかし、グローバル化とICT革命だから、「下に下に」病を受け入れろという理屈は通りません。

 グローバル化とICT革命は、経済の国際化と科学技術の新たな発展を示す世界史的条件です。この新たな条件を労働者・国民の雇用や暮らしの向上にどう生かすか、資本主義のルールや制度のあり方が、いまあらためて問われています。

(友寄英隆 論説委員会)


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 (注1)「下に下に」というのは、将軍と紀州・尾張・水戸の御三家だけに許され、一般の大名のときは、「片寄れ片寄れ」という掛け声で道路わきに寄るだけでよかったという。

 (注2)経済理論でいえば、労働時間を「上に上に」と延長することは絶対的剰余価値を増やすことになり、コストを「下に下に」と引き下げることは相対的剰余価値を増やすことになる。

(出所:日本共産党HP 2007年3月2日(金)「しんぶん赤旗」)
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