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犯罪抑止力論ー人間の本能が犯罪原因?ーその2

2008-01-09 04:41:31 | 随筆・論説
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死刑廃止論者と存置論者の争いは、本質的には人間観・宗教観に関わることで、宗教論争同様どうしようもないです。
でも、「冤罪防止」「被害者支援」「犯罪発生防止研究」「再犯防止研究」が必要だということは合意できないでしょうか?
どれも死刑の存廃に関わらず必要なはずです。
死刑廃止・存続の議論に費やされるエネルギーを、なぜ上に使うことができないのでしょう。
あと、どちらも死刑議論の背景にある自分の人間観・宗教観を一歩引いて分析・反省し、それらの多様性を認めることはできないでしょうか。

[2008/01/07 21:00] URL | Chic Stone [ 編集 ] TOP ▲

コウトさんへ

わぁ~お久しぶりです。

う~ん・・平行線ではないですよ。
同一線でしょう(笑)
ただ、少し観る位置が違うだけでは?

例えば、人は理由なく悪にはまらない・・ですが、
人は、もともと悪でしょう。
東西南北さんによれば、愛情や教育の足りない人間は、犯罪者になるようですから。

『生まれながらの犯罪者はいない』のではなく、
『生まれながらの善人はいない』が真実に近いのでは?
だからこそ、教育が重要なのですね。

あと、刑罰の抑止効果は認めるが、どの程度かは疑問・・ですが、
その通りだと思います。
ただ、少しでも抑止効果があれば、意味はあるでしょう。
それによって助かる人がいるわけですから。

最後に、どんな生き方をしたいのか・・以降の部分に関しては、その通りだと思います。
『内面からの安定』が必要・・これが達成できれば、問題は解決でしょう。
しかし、これを1億2千万人すべてに求めるのは、不可能では?

もしも、遠い将来に達成できたら、その時点で、刑罰以外の手段を取るべきだと思いますが?

う~ん・・やっぱり平行線ですかね?
それとも離れてますか(笑)

[2008/01/08 01:31] URL | 田柄 [ 編集 ] TOP ▲

Chic Stone さんへ
 
 人間には犯罪の遺伝子はないから犯罪の可能性もないというのは価値観ではなく、事実ですので共通認識ですよ。ただし、精神障害との関係で遺伝子に原因があるという人間は存在しますから、特別に医療が必要です。しかし、人間は他人の人権を侵害する犯罪の遺伝子・素質は存在しないというのが事実であり、ゆえに、人間には生まれながらに犯罪の可能性はないです。にもかかわらず、他人の人権を侵害する犯罪が存在するには何故か?という問題なのです。ですから、人間には犯罪の遺伝子があるだとか、素質があるだとか、犯罪の可能性を遺伝子に秘めているいう価値観は事実無根であるということです。

 ですから、「死刑廃止を推進する上で、抑止力や冤罪を主題にする事がふさわしくないと考えているのです。死刑廃止を訴えている人の多くは仮に、抑止効果があるとはっきりした場合でも、冤罪の全く起こりえない制度が出来たとしても、死刑廃止の考え方を変えるものでは無いと思います。(自分もそうです)」という見解が正しいと思います。

 殺し合い、人殺しに対して反対しているのが死刑廃止論者ですので。ただし、その理由は多様であり、認めて当然です。東西のように科学の立場で反対もいれば、宗教的、精神的な理由で反対の人もいるでしょう。

[2008/01/08 05:02] URL | 東西南北 [ 編集 ] TOP ▲

 >東西南北さん
僕は「抑止」の話より先にやることがある、と申し上げただけですが?

>人間には犯罪の遺伝子はないから犯罪の可能性もないというのは価値観ではなく、事実ですので共通認識ですよ。

前のコメントでも言ったように、遺伝子だけでも育った環境だけでもなく、パチンコの玉がどこに入るか同様予測不能のカオスだ、と僕は考えています。
犯罪の可能性がないなら、なぜ現実に犯罪があるのでしょう。
自分の人間観を「事実」「共通認識」と思い込むのは危険ですよ。

[2008/01/08 08:11] URL | Chic Stone [ 編集 ] TOP ▲

 Chic Stone さんへ

「犯罪の可能性がないなら、なぜ現実に犯罪があるのでしょう。自分の人間観を「事実」「共通認識」と思い込むのは危険ですよ。」

 犯罪の原因は人間の遺伝子、素質にないなら社会に原因があるということですよ。家庭環境、職場環境、自治体・国家環境、教育環境などに原因があるから社会を人間らしくしていく運動に意味があるんですよ。人間の特質として労働の遺伝子があるように犯罪の遺伝子があるのならば、社会や政治を「人間らしく」するというのは根拠があるのでしょうか?

 人類、人間に犯罪の遺伝子、素質があるという事実があるならば教えてもらえますか?そんな事実は無根だということであり、東西の価値観ではないですよ。事実と価値観は次元が違います。価値観は多様であっても当然ですが、事実、行為については共通認識が必要です。

[2008/01/08 08:47] URL | 東西南北 [ 編集 ] TOP ▲

>自分の人間観を「事実」「共通認識」と思い込むのは危険ですよ

横からごめんなさい。でもお玉もそう思います。「私はこう思います」という書き方をして頂きたいです。

[2008/01/08 08:49] URL | お玉おばさん [ 編集 ] TOP ▲

 本能と社会性

>犯罪の原因は人間の遺伝子、素質にない
というのは無理があるでしょうね。
遺伝子に組み込まれた、人という生物の本能(食欲、性欲など)を発揮する方法を間違えれば犯罪になります。

同時に人には、その本能をコントロールし、社会的な動物になれる素養もあるのでしょうね。その素養を伸ばし、自分を尊重するのと同じように、他者を尊重できる人に育てるのが、親だけでなく社会全体の責任なんだろうと思います。

もっとも、今はある程度ワガママで強引でないと生きていけない社会になっちゃってますが・・・

[2008/01/08 10:53] URL | Looper [ 編集 ] TOP ▲

Looperさんへ
 
 いや、コメントありがとうございます。違う記事では共感もしてくれていました。ありがとうです。Looperさんのことは「反日ブログ監視所」で奮闘しているのをみたり、眠り猫さんのブログで見たりして、「おー、良識ある人だ」とずっーと思っていました。今も思っていますし、結論、行動は同じ立場だと思います。ですから、まったく気楽に話せる感じです。

 さて、一言でいってその観念というか常識で論を推し進めていくと、例の法律と憲法の関係に行き着きます。全体主義と個人の尊重の問題です。やはり、社会合意=法律に対抗する憲法は事実関係しかないと考えます。多数の社会合意に少数の理論を対置しても、多数意見にも少数意見にも理論はありますし、感情もあります。ですから、どちらが人間の事実関係に基づいているかで争うのが憲法だと考えます。そこで、人間の本能について犯罪可能性、すなわち他人の人権を侵害する行為の可能性を容認しているようですが事実無根なことを説明します。

 人間は①社会貢献のために労働する②火など道具を使う③言葉を使う④二本足歩行をする。以上の4要素を総合した社会的存在である。

 人間の本能は①食欲②性欲③睡眠欲。以上の3要素を総合した社会的存在である。

 人間の本能は生きていくための社会的存在です。しかし、人間らしい本能である。例えば、猿らしい本能。豚らしい本能。鳩らしい本能。カンガルーらしい本能。犬らしい本能。レッサーパンダらしい本能があります。人間の本能は人間らしい本能であって、猿や豚などの本能と同列ではなく、還元すれば事実誤認です。人間の本能と猿、豚などの本能は次元が違います。猿の本能=人間の本能ではないです。種族が異なりますから質が異なるのであり比較対象として成立しません。

 人間、つまり生きていくための社会的存在は①社会貢献のための労働を行い②内面言語(意識)、文字言語、音声言語で意思疎通を行い③道具を使い、改良していく社会活動の中で人間らしい在り方に発展していきます。

 人間は食欲、性欲、睡眠欲を「衝動」として「人殺し」などの反社会的行動を実現する存在ではないです。

 ①食料はみんなで協力して労働して生産して分けます。
 ②異性は両性の合意と社会的労働に基づいて子孫を繁栄させていきます。 
 ③睡眠は社会的に安全な環境を創りながら、各個人に実現していきます。

 こうして人間の反社会的行動は人間の本能から出てくるものではないことが分かります。すなわち、反社会的な社会構造が人間の意識に反映し、人間の社会性を破壊し、蝕み、ついには人間を反社会的行動に追い込みます。

 反社会的な社会構造が人間の反社会的意識、行動の真因なのです。

[2008/01/08 17:38] URL | 東西南北 [ 編集 ] TOP ▲

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