知らされていないことによって、「世論」もまた作られる。
「弱い文明」/ “レイランダー”
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日本人はあまり知らないことかもしれませんが、世界中で死刑を積極的に行っている国はむしろ少ないのです。昨年で最も多く死刑を執行した国は、アメリカと、ブッシュ大統領が「悪の枢軸」と呼んだイラン、イラク、そしてパキスタンと中国です。
日本はどうでしょうか。死刑廃止どころか、弁護士が積極的に死刑を求めて、裁判を起こす状態です。国民の間にも死刑を擁護する声が高いのです。マスコミも情緒的な記事を執拗に書いて、殺人者を処刑しようという世論を作りあげています。
法の裁きは社会の秩序を回復させるためにあるもので、復讐のための処刑を執行する“必殺仕事人”ではないのです。社会の秩序を回復するには、たとえば未成年者が何の関係もない主婦と子どもを殺害したとするなら、何がそのような事件を引き起こしたのか、を明らかにしなければなりません。
近年の、少年によって引き起こされる重犯罪の背景には、家族の崩壊、抑圧的な人間関係、子どもへの精神的・身体的虐待、さらには新しい「貧困」という問題があることは数少ない良質の報道によって知らされることがあります。私たちはそれを知っているのです。問題の根本には、社会のありよう、日本が今めざしている「効率主義」=生身の人間の感情や人格を置き去りにする価値観があるのです。
そういうことは飲み屋談義のネタになることはあっても、真剣に取り組もうとすることはどれほどあるでしょうか。わたしは思うのですが、日本人は今、問題の本質から目を背けたいのではないでしょうか。子どもの権利を尊重しようという方向への機運が起こらないようにしたいのではないでしょうか。
「経済大国」にのし上がるに当たって、企業も労働者も人間よりも利益をあげることの方を優先してきました。その結果として公害や家庭の崩壊が生じてきたのです。日本のこういう実態はユネスコをはじめ、人権団体から何度も警告されてきたのですが、日本のマスコミはそういうことはほとんど報道しません。
中曽根さんの時代から、新自由主義が台頭しはじめ、今日、労働者はまるで封建時代の農奴のような扱いをされてきています。何をめざすのかといえば、国際市場での価格を下げるため、そうやって収益効率を上げるため、です。日本人は家族の崩壊や国民の生活の安全よりも、「経済大国」のメンツを維持することの方を選んでいるのです。それが国民自身を害する事になるにもかかわらず!
「日本人が」と一般的な言い方をしましたが、わたしの身のまわりでは、おおかたの人はむしろ逆で、家族を愛している人のほうが多いのですが、選挙があると小泉自民党に票を入れて、自分たちの生活の安全弁を積極的に外そうとするのです。日本人は今、どこにむかって「特攻」しようとしているのでしょうか。自分たちの将来の生活に向かって、です。どう考えても異常な行動です。
これは日本人が望んでしていることとは思えません。異常な行動を取るよう、思考コントロールされているのではないでしょうか。いまやマスコミが自民党の提灯持ちとして情報を取捨選択して、世論を操作しているのです。戦争中のようにウソを報道するのではなくて、事実を知らせないようにする、という方法によって、です。こういうのを「白いウソ」といいます。真実を隠すのです。
今、日本国民を益する政治の方向は、大国主義からの脱却であり、今必要な政策は福祉重視です。社会のあり方を180度転換しなければならない局面に、現実にきているのです。そのためには、わたしたちはこれまでの価値観を切り替えなければならないのですが、それを拒否しようとしているのではないでしょうか。
刑法の厳罰主義化、個人よりも公益という価値観=国家主義的愛国心の教育、老人や身体障害者の切捨て、労働者の商品化。全体主義が子どもたちを荒廃させてきたことを薄々知っているのに、あえてそれを無視しようとしているのが、今のわたしたちの姿ではないでしょうか。わたしたちはマゾヒストではありませんので、自らそれを望んだのではなく、情報操作によってそう望まされているのではないでしょうか。
ひずみや矛盾が顕在化しているのは、それまでの方針に無理や間違いがあった、ということです。わたしたちは今一歩、身を引いて、深呼吸をし、冷静になって考えて見なければならない「淵」にきています。情報が操作されているのだとしたら、情報の受け手であるわたしたちは、慎重に判断しなければなりません。自分の命、自分の生活、自分の将来の問題なのですから。
「預言者のことばは、地下鉄の壁や、安アパートの廊下に書かれている」(「サウンド・オブ・サイレンス」/ ポ-ル・サイモン・作)
真実の情報は、大手新聞紙上ではなく、ましてTVのワイドショー的ニュース番組でもなく、ネット喫茶や、路上や、ハローワーク、たらいまわしにされる妊婦、病床が減り、医師がいない病院、毎年自殺する3万人以上の人間の遺体、自分の平穏な生活に埋没する主婦たち、…そして裁判にかけられている少年の背中に書き記されているのです。
(出所:http://blog.goo.ne.jp/psycho-sedric/e/ac28eff0fb2bb53ff089ea74f500c48b)
「弱い文明」/ “レイランダー”
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日本人はあまり知らないことかもしれませんが、世界中で死刑を積極的に行っている国はむしろ少ないのです。昨年で最も多く死刑を執行した国は、アメリカと、ブッシュ大統領が「悪の枢軸」と呼んだイラン、イラク、そしてパキスタンと中国です。
日本はどうでしょうか。死刑廃止どころか、弁護士が積極的に死刑を求めて、裁判を起こす状態です。国民の間にも死刑を擁護する声が高いのです。マスコミも情緒的な記事を執拗に書いて、殺人者を処刑しようという世論を作りあげています。
法の裁きは社会の秩序を回復させるためにあるもので、復讐のための処刑を執行する“必殺仕事人”ではないのです。社会の秩序を回復するには、たとえば未成年者が何の関係もない主婦と子どもを殺害したとするなら、何がそのような事件を引き起こしたのか、を明らかにしなければなりません。
近年の、少年によって引き起こされる重犯罪の背景には、家族の崩壊、抑圧的な人間関係、子どもへの精神的・身体的虐待、さらには新しい「貧困」という問題があることは数少ない良質の報道によって知らされることがあります。私たちはそれを知っているのです。問題の根本には、社会のありよう、日本が今めざしている「効率主義」=生身の人間の感情や人格を置き去りにする価値観があるのです。
そういうことは飲み屋談義のネタになることはあっても、真剣に取り組もうとすることはどれほどあるでしょうか。わたしは思うのですが、日本人は今、問題の本質から目を背けたいのではないでしょうか。子どもの権利を尊重しようという方向への機運が起こらないようにしたいのではないでしょうか。
「経済大国」にのし上がるに当たって、企業も労働者も人間よりも利益をあげることの方を優先してきました。その結果として公害や家庭の崩壊が生じてきたのです。日本のこういう実態はユネスコをはじめ、人権団体から何度も警告されてきたのですが、日本のマスコミはそういうことはほとんど報道しません。
中曽根さんの時代から、新自由主義が台頭しはじめ、今日、労働者はまるで封建時代の農奴のような扱いをされてきています。何をめざすのかといえば、国際市場での価格を下げるため、そうやって収益効率を上げるため、です。日本人は家族の崩壊や国民の生活の安全よりも、「経済大国」のメンツを維持することの方を選んでいるのです。それが国民自身を害する事になるにもかかわらず!
「日本人が」と一般的な言い方をしましたが、わたしの身のまわりでは、おおかたの人はむしろ逆で、家族を愛している人のほうが多いのですが、選挙があると小泉自民党に票を入れて、自分たちの生活の安全弁を積極的に外そうとするのです。日本人は今、どこにむかって「特攻」しようとしているのでしょうか。自分たちの将来の生活に向かって、です。どう考えても異常な行動です。
これは日本人が望んでしていることとは思えません。異常な行動を取るよう、思考コントロールされているのではないでしょうか。いまやマスコミが自民党の提灯持ちとして情報を取捨選択して、世論を操作しているのです。戦争中のようにウソを報道するのではなくて、事実を知らせないようにする、という方法によって、です。こういうのを「白いウソ」といいます。真実を隠すのです。
今、日本国民を益する政治の方向は、大国主義からの脱却であり、今必要な政策は福祉重視です。社会のあり方を180度転換しなければならない局面に、現実にきているのです。そのためには、わたしたちはこれまでの価値観を切り替えなければならないのですが、それを拒否しようとしているのではないでしょうか。
刑法の厳罰主義化、個人よりも公益という価値観=国家主義的愛国心の教育、老人や身体障害者の切捨て、労働者の商品化。全体主義が子どもたちを荒廃させてきたことを薄々知っているのに、あえてそれを無視しようとしているのが、今のわたしたちの姿ではないでしょうか。わたしたちはマゾヒストではありませんので、自らそれを望んだのではなく、情報操作によってそう望まされているのではないでしょうか。
ひずみや矛盾が顕在化しているのは、それまでの方針に無理や間違いがあった、ということです。わたしたちは今一歩、身を引いて、深呼吸をし、冷静になって考えて見なければならない「淵」にきています。情報が操作されているのだとしたら、情報の受け手であるわたしたちは、慎重に判断しなければなりません。自分の命、自分の生活、自分の将来の問題なのですから。
「預言者のことばは、地下鉄の壁や、安アパートの廊下に書かれている」(「サウンド・オブ・サイレンス」/ ポ-ル・サイモン・作)
真実の情報は、大手新聞紙上ではなく、ましてTVのワイドショー的ニュース番組でもなく、ネット喫茶や、路上や、ハローワーク、たらいまわしにされる妊婦、病床が減り、医師がいない病院、毎年自殺する3万人以上の人間の遺体、自分の平穏な生活に埋没する主婦たち、…そして裁判にかけられている少年の背中に書き記されているのです。
(出所:http://blog.goo.ne.jp/psycho-sedric/e/ac28eff0fb2bb53ff089ea74f500c48b)
この、稀代のペテン師を凌駕する題目を考え出さぬ限り、半永久的に軍国主義者の姦計に嵌る日本なのかもしれません。