宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

「坂の上の雲」の時代と宇野②

2009-12-11 19:34:43 | 日記
  よい天気の一日でした。陽があるうちは暖かいくらいです。
 12月も中旬になって「小春日和」というのも変な感じですが・・・週末から
 冬の天気になるとの予報です。師走で何かと慌ただしいことでしょう。でも
 こちらでは雪が積もらないと実感がわきません。背景を変えたのが早過ぎ
 だったのかも・・・いや温暖化で冬の到来が遅くなっているのかもしれない
 ですね。

 引き続き「坂の上の雲」についてです。前回放送分も見ました。宇野貞度・
 キツさんが主人公たちと同時代に生きたことは紹介しましたが、もう一つ、
 注目しているのは、登場する女性たちの様子です。どんな服装だったのか、
 どんな生活だったのか・・・など気になっていました。

 まず、子規の妹の正岡律・・・菅野美穂さんが演じていますが、ずいぶん
 「おてんば」いや、活発ですね。律は明治3年(1870)生まれです。明治の
 一般的な女性像として、あまり出しゃばらない「大和撫子」や「良妻賢母」
 のような姿を勝手に想像していましたが、どうも違うようですね。もちろん
 個人によって異なるでしょうから、偏見はいけませんが・・・

 律は、本当に兄思いだったようです。離縁した後は、病気に伏す兄の身の
 回りのことを、下の世話も含めて心をこめて面倒を見ました。その辺りは
 これからの放送になるのでしょうが、いつの時代でも忘れてはならないこと
 でしょう。

 そのような献身的な看病をされてもなお、子規は思い通りにならない苛立ちを
 律など周りにぶつけたと言います。これもまた、当然の心情かもしれません。
 まだまだやりたいことがあったにちがいありません。一個人の最期にあたって
 どう向き合うか・・・だれもが迎えるものとして考えさせられます。

 子規の死後、律は女子職業学校で家政を学び、母校で和裁を教えることになり
 ます。大正10年まで勤め、昭和16年(1941)に亡くなっています。71歳でした。
 こうした生涯を見ていくうちに、なぜか宇野キツさんの姉、築山順子(としこ)
 さんのことを思い浮かべていました。

 順子さんは、正岡律よりは少し上の世代ですが、早くに御主人を亡くし息子の
 教育のことを考えて長崎の料理学校で資格を取り、熊本の尚絅高女で教鞭を
 執りました。律とほぼ同じ時代に、同じような教育に携わっていました。これ
 からの放送で律の姿もしばしば出てくるでしょうから、注目しています。

 
 先日、思いがけず素敵な贈り物を頂戴いたしました。たっぷりの葉がついた
 ミカンです。まず、こちらでは見ることができない珍しいものです。こうした
 うれしい体験ができるのも「宇野ルーツ」のおかげかな、などと思っており
 ます。東京の江口様、本当にありがとうございました。この場を借りて改めて
 お礼申し上げます。