宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

初山別村

2011-06-27 19:55:22 | 日記
  九州や東北での大雨の被害が心配です。宇野ゆかりの皆さまの地域は
 大丈夫でしょうか。札幌は「梅雨寒む」の様相。気温が上がらない日が続いています。

 先日、道北の初山別村・遠別町を訪れる機会に恵まれました。隣り同士のこれらの地域、
 北海道の宇野家と縁があります。大正2年8月に宇野豊子さんの出生届が出されたのが、
 初山別村でした。もう100年も前のことです。おそらく宇野桝江さんが出したのでしょう。
 また、前田家の長男は、大正3年7月に遠別町で亡くなっています。

 当時の村の様子や宇野家の事情はどうだったのか、今となっては知るすべはありません。
 ニシン漁でにぎわい、その手伝いをしていたのかもしれませんが、言えるのは、今よりは
 にぎわって活気のあふれる村だったということでしょう。訪れた村は、幹線道路沿いを
 中心にわずかな住居・施設があるだけでした。全村で600戸、中学生は40人だそうです。

 その中でも、観光客が集まる場所がありました。天文台です。海岸近くにありました。
 この場所からは夕日が美しいそうです。今回は見られませんでしたが・・・そんな過疎が
 進む村ですが、IT化で、その弱点をカバーする動きがあるようです。全戸に携帯電話などの
 情報端末を配布して、様々な生活支援に利用するといいます。ネットスーパー・通販・
 宅配・教育など・・・過疎地ならではの取り組みのようです。

  それにしても札幌から初山別までは、さすがに遠い。道路が整備され車社会と
 なっても大変なのですから、大正初期の酒田からの移動は、どうだったのか・・・想像すると
 気が遠くなりそうです。この道北へのルーツ探索の旅、機会を見て「ルーツだより」で
 紹介します。

男子の本懐

2011-06-10 20:20:59 | 日記
  蒸し暑い一日でした。雨が降る予報でしたが、降りませんでした。沖縄では
 早くも梅雨明けとのこと。宇野ゆかりの皆さまの地域では、梅雨の真っ最中でしょうか、
 札幌も「えぞ梅雨」かもしれません。

 宇野家と縁があった小橋家。その小橋家の小橋一太氏は、戦前の浜口雄幸内閣で文部大臣に
 任命されました。その浜口雄幸首相は、1870年生まれで初めての明治生まれの総理大臣と
 なったのですが、皆さまご存じのように、昭和5年11月に東京駅で狙撃され、一命はとりとめた
 ものの、昭和6年4月に総辞職を余儀なくされ、同じ年の8月に亡くなりました。狙撃された時の
 浜口の言葉が「男子の本懐」でした。

 大震災以降の「永田町の政治」を見ていると、被災者の心情や原発の現状を本当に考えている
 のかと疑う動きが目につきます。政党間や政治家間の権力争いに熱心で、日本の現状をどう
 するかという具体的展望が見えてきません。与党の責任が問われるのは当然ですが、批判する
 側も、政権を取ったら現状がどう変わるかの具体策を示せません。これでは政治不信が増す
 だけでしょう。

 浜口内閣が発足した時も二大政党が対立する状況で、足の引っ張り合いに終始して意地の
 張り合いが続きました。政権を獲得・維持するために、できもしない公約で国民の関心を
 惹いて議席を獲得したものの、実際には何もできずに失望を招き、軍部の台頭へとつながって
 いきました。現状は、こうした昭和初期の政治状況と似てなくもないと思います。今まさに
 身を捨て「男子の本懐」と言える行動ができる潔いリーダーが必要でしょう。

 小橋一太文部大臣は、鉄道疑獄事件のとばっちりで間もなく辞職しますが、本人は潔白だと
 思っていても、周囲に迷惑をかけたことは本意ではないと、潔く身を引きました。この辺の
 事情は、小橋一雄氏の「折りふしの記」で読むことことができます。裁判で無罪になったこと、
 選挙資金の調達の様子など興味深いものです。機会を見て「ルーツだより」で紹介します。
 
  今、近郊の野山ではエゾハルゼミの大合唱です。抜け殻も目立ちます。成虫に
 なって一週間余りの寿命、今月末から7月にかけては、エゾゼミやアブラゼミなどの夏のセミの
 登場になります。「宇野ルーツだより」特別号への感想などお寄せいただきありがとうござい
 ます。この場を借りてお礼申し上げます。