宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

国家の寿命

2011-12-31 09:30:52 | 日記
  今年も残りわずかとなりました。何となくあっという間の1年でした。
 3月の大震災が起こるまでは、いつもの春の訪れを期待していました。しかし、
 一瞬の叫びとともに、その期待は裏切られました。さらに原発事故の深刻化と
 とともに、日本全体が「沈黙の春」となりました。

 その一方で、かつてない支援の輪が広がり、目に見える「絆」ができました。
 人それぞれできることは違いましたが、思いはひとつでした。この状況を力に
 変えた「なでしこジャパン」も、ひとつの象徴でしょう。しかし、政治・経済の
 リーダーたちは、この状況の打開に力を発揮したとは、とても言えません。

 個人の平均寿命が、およそ80歳とすると、その時間の中には、たくさんの「山」や
 「谷」があります。登山にたとえれば「山あり谷あり」の人生です。「宇野ルーツ」を
 探索する中でも、登場する人物たちの「山や谷」が見え隠れしていました。

 対して国家にも寿命というものがあるのでしょうか? 明治維新で誕生した「新しい
 日本」は、欧米に追いつき追い越せということで、「ひたすら前のみを見つめて」走り
 ました。日清・日露の戦争で「やんちゃな青春」を送り、その先の壮年期は、ただ
 ただ「戦い」に明け暮れ、ふと気づけば誕生から約80年が経っていました。そして
 敗戦。ここで、ひとつの国家の寿命が尽きました。

 先の戦争に敗れたことで、再び新しい日本が誕生しました。自由を謳歌し、高度経済
 成長にうかれた青春時代。「大きいことはいいことだ」を合言葉に、大量消費に明け
 暮れましたが、それに限界があると知ると、その「つけ」は多くの個人に回され、借金に
 あえぐ壮年時代になりました。そして今、その「新しい国家」が誕生してから、およそ
 70年が経ち、すでに寿命に近づいています。

 1868年の明治維新では、外圧を受けながらも、志士たちなど内部の力で曲がりなりにも
 新しい日本を誕生させました。一方、1945年の終戦後の新しい日本の誕生には、連合国
 など外部の力が必要でした。そして今、第3の「新しい日本」を誕生させる時期にさしかかって
 いますが、どんな力が必要なのでしょうか? 
 
 ひとつの「国家」は寿命を迎えても、日本という「国」、ここに暮らす私たち生活は、これ
 から先もずっと続きます。未来を生きる人々のために、今何が必要で、何が不要か、個人と
 して何ができるか、真剣に考えて行動する時期です。今回の大震災では、多くの人々の
 「する力」を見ることができました。この辺りに新しい日本誕生の力があるかもしれません。
 2012年も「させる力」をなるべく拒否し、「する力」を少しでも発揮できたらと思っています。

  雪でかすむ藻岩山です。雪がかなり積もった年末となりました。ぎりぎりに送った
 「宇野ルーツだより」に対する感想、ご支援などありがとうございました。この場を借りてお礼
 申し上げます。宇野ゆかりの皆さまのご長寿、ご活躍を祈っています。来年もどうぞよろしく! 
 
 

星糞という石

2011-12-04 17:16:41 | 日記
  何だか雨まじりの雪、みぞれが降っています。わずかに積もっていた雪も
 融けているよう。このまま冷え込むと路面がツルツル状態になって危険です。車の
 運転も歩行も慎重になる時期です。宇野ゆかりの皆さま、お変わりありませんか?

 清源院の旅日記「青葉の山路」、一応完成しましたが、登場する人物などの固有名詞、
 まだ不明のものがいくつかあり、今後の課題としたいと思います。一方で解明できた
 ものもありました。

 5月20日の記述に、次のような一節があります。
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    春宮へまうで和田峠をこへてゆきしに、雨はふらねど雲起り行先もみえず。
    もと来し道をかえりみれど供人の登るも見えず。それより野路に出る。此処
    にて星くそと云石を人々ひろひぬ。

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 下諏訪の宿を出た一行が、霧が立ち込める和田峠を越えてゆくと、「星くそと云石」を
 拾っている人々がいたというのです。この石について清源院は説明していません。何の
 ことだろうと疑問に思って調べてみると、どうも「黒曜(耀)石」らしいことが分かり
 ました。あの石器に使われた黒っぽいガラス質の石です。

 当時は「黒曜石」などという名称はなかったでしょう。地元の人々が「星くそ」と呼んで
 いたのを清源院が聞きとめたのだと思います。さらに調べると、近くに「星糞峠」という
 地名があることも分かりました。いつの頃からか、黒曜石は「星糞」と呼ばれ今に残った
 言葉でした。昔の人々は、空から降ってきた「星くず」だと思っていたのかもしれませんね。

 この付近には、旧石器時代の遺跡も見つかっているようです。かなり古くから利用されて
 いたのでしょう。それにしても、江戸時代の人々が拾う「星糞」、何に使っていたのでしょう。
 金属の道具が普及した時代に、石器に加工したとも思えませんから、やはり工芸品かなぁ?
 江戸時代、中山道沿いに「みやげもの」を売る店があって、旅人が記念に買い求めるのを
 想像しました。もし、そんなことがあったとしたら、どんなアクセサリーだったのか見てみたい
 気がします。江戸時代の宇野さんも買い求めたのかもしれませんね。

 北海道にも有数の黒曜石の産地があります。白滝・十勝・置戸・赤井川などが有名です。
 中でも十勝地方のものはよく知られていて、「十勝石」といいます。北海道では、この
 呼び方のほうが通じるかもしれません。かつて祖父からもらった石には赤い縞模様が
 入っていて、それは美しい記憶でしたが、残念ながら今は行くえ不明です。

  近くの団地の一角にイボタの木があります。黒っぽい実が鈴なりでした。鳥たちは
 見向きもしないようですが、どうでしょうか。この実を指でつまむと、中味がはじけて勢いよく
 飛び出します。そんなことをして遊んだことを思い出しました。