
皆様はいかがお過ごしでしょうか。
北海道の開拓というと、「屯田兵」という印象が強いですが、彼らが
北方警備と開拓ために入った地域は限られていました。その他の広大な
未開地に挑んだのは、本州や九州などのいわゆる「内地」からの移住者
たちでした。中頓別も例外ではありません。これらの人々の中には失職
した下級武士もいましたが、多くは農民で、それも故郷での生活に困窮
し北海道で一旗挙げようという人々が中心でした。
中頓別町に「熊本」という地名があることは知っていましたが、どんな
人々が移住していたのか調べたことはありませんでした。今回の訪問で
その地区を訪れることができました。ピンネシリ地区のワッカウエンと
いう場所です。
大正3年(1914年)春、熊本県阿蘇郡出身の家入平次郎という人物が
熊本団体の移住者10戸、30人を率いて入植したといいます。天塩川を
遡った音威子府から道なき山を越えてきたそうです。当時の厳しい開拓
の様子が「中頓別町史」に記録されていますが、詳しくは印刷版で紹介
します。これらの人々と宇野家の移住とは直接結びつきませんが、同郷
の人々の存在は心強いものがあったのではないでしょうか。
このワッカウエン(稚宇遠)は、現在の地名では豊平です。乳牛が遊ぶ
酪農地域となっていました。ペンケ・パンケの山々には朝霧がかかり、
当時と変わらぬ自然がありました。

豊平地区の朝の風景です。やはり空気が澄んでいますね。詳しい様子は
「宇野ルーツだより」の中頓別特集にて紹介します。遅くなりましたが、
11月初旬着の予定です。