今日も寒い一日でした。昨日は春分の日でしたが、春はまだ先のようです。
お彼岸の墓詣りも、まず積もった雪を除けることから始まります。宇野ゆかりの皆さま、
いかがお過ごしでしょうか? 季節は確実に進んでいますから、うらかかな春の陽も
もうじきかと思います。
「墓詣り」の歴史を調べていると、標題の本に出会いました。著者は永六輔さんです。
文芸春秋に連載された「蓋棺録」を紹介しながら、筆者独自の感想、コメントを綴った
ものです。タイトルや「蓋棺録」などから察せられるように、さまざまな人の生きざま、
死にざまが紹介されています。なお、「蓋棺」は造語のようです。
その中から、面白い話題をいくつか挙げておきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・寝姿での火葬は、効率よく焼くため?
・災害時に備えて、棺の備蓄はあるのか?
・棺に蓋をして釘を打つ意味は?
・墓は寺のミニチュアか?
・一般市民が石の墓を作るようになったのは日清戦争後?
・お通夜は、生き返るのを待つ時間?
・戒名は、冥土への通行手形?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まだまだありますが、興味がある方は、実際に本(文春ネスコ、2003年)を手に取って
みてください。寺社、葬儀会社まかせのまま、何気なく過ぎていく「葬式」ですが、
改めてその意味、歴史を調べてみると、なかなか奥が深いものがあります。
「墓」というものひとつとっても、それが死者のためのものか、生者のためのものか
なかなか難しい問題ですし、今のような石塔墓がいつごろから普及し始めたのか、
永さんが言うように本当に日清戦争後なのか、などなど。私の父方の墓は、藻岩山の
ふもとにありますが、昭和10年代の建立です。また、熊本の前の宇野家の墓は、やはり
昭和10年代に宇野貞度さんによって建立されたものでした。
その一方で、こうした伝統的な石塔墓の見直しが進んでいます。核家族化の進行で、
「墓守」の担い手がいなくなり、無縁墓になるケースが増えたり、墓地敷地の減少で
新たな設置が難しくなったりしています。特に公営墓地での新規設置は難しくなって
いるようです。そのため、最近は、散骨するケース(石原裕次郎さんや沢村貞子さんの
ような)、樹木葬、共同墓など新しい試みも始まっています。石の墓は何のためにある
のか、これからも必要なのか・・・死はすべての人に平等ですから、やはり考えておか
なければならないことかもしれませんね。
北区新琴似を歩いていて見かけた寺紋です。市内では歴史のあるお寺のようです。
お彼岸の墓詣りも、まず積もった雪を除けることから始まります。宇野ゆかりの皆さま、
いかがお過ごしでしょうか? 季節は確実に進んでいますから、うらかかな春の陽も
もうじきかと思います。
「墓詣り」の歴史を調べていると、標題の本に出会いました。著者は永六輔さんです。
文芸春秋に連載された「蓋棺録」を紹介しながら、筆者独自の感想、コメントを綴った
ものです。タイトルや「蓋棺録」などから察せられるように、さまざまな人の生きざま、
死にざまが紹介されています。なお、「蓋棺」は造語のようです。
その中から、面白い話題をいくつか挙げておきます。
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・寝姿での火葬は、効率よく焼くため?
・災害時に備えて、棺の備蓄はあるのか?
・棺に蓋をして釘を打つ意味は?
・墓は寺のミニチュアか?
・一般市民が石の墓を作るようになったのは日清戦争後?
・お通夜は、生き返るのを待つ時間?
・戒名は、冥土への通行手形?
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まだまだありますが、興味がある方は、実際に本(文春ネスコ、2003年)を手に取って
みてください。寺社、葬儀会社まかせのまま、何気なく過ぎていく「葬式」ですが、
改めてその意味、歴史を調べてみると、なかなか奥が深いものがあります。
「墓」というものひとつとっても、それが死者のためのものか、生者のためのものか
なかなか難しい問題ですし、今のような石塔墓がいつごろから普及し始めたのか、
永さんが言うように本当に日清戦争後なのか、などなど。私の父方の墓は、藻岩山の
ふもとにありますが、昭和10年代の建立です。また、熊本の前の宇野家の墓は、やはり
昭和10年代に宇野貞度さんによって建立されたものでした。
その一方で、こうした伝統的な石塔墓の見直しが進んでいます。核家族化の進行で、
「墓守」の担い手がいなくなり、無縁墓になるケースが増えたり、墓地敷地の減少で
新たな設置が難しくなったりしています。特に公営墓地での新規設置は難しくなって
いるようです。そのため、最近は、散骨するケース(石原裕次郎さんや沢村貞子さんの
ような)、樹木葬、共同墓など新しい試みも始まっています。石の墓は何のためにある
のか、これからも必要なのか・・・死はすべての人に平等ですから、やはり考えておか
なければならないことかもしれませんね。
北区新琴似を歩いていて見かけた寺紋です。市内では歴史のあるお寺のようです。