宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

「坂の上の雲」の時代と宇野④

2009-12-21 21:36:46 | 日記
  かなりまとまった雪となりました。まだ降る気配です。
 各地で寒さも厳しいようですね。皆様、いかがお過ごしですか?

 「坂の上の雲」第4回を見ました。いよいよ日清戦争に突入しました。
 ずいぶん戦闘シーンが多かったですね。中には、目を覆いたくなるような
 リアルな場面もありまりました。

 「日本の近代史がはじめて経験した戦争」(司馬遼太郎)・・・多くの
 犠牲者を出しましたが、その多くは戦闘でというよりも、病気で命を落と
 したようです。多くの犠牲を伴ったこの戦争は何だったのか・・・・・・
 後の歴史家などが様々な面から解釈する中で、司馬遼太郎は次のように
 述べています。

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   日清戦争とはなにか。その定義づけを、この物語においてはそれをせねば
   ならぬ必要が、わずかしかない。そのわずかの必要のために言うとすれば、
   善でもなく悪でもなく、人類の歴史のなかにおける日本という国家の成長
   度あいの問題として考えてゆかねばならない。 (「坂の上の雲」より)

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 「善でもなく悪でもない戦争」・・・果たしてそのような「戦争」があるのだろうか、
 と率直に考えてしまいます。今回の放送では、次のシーンが印象的でした。

  東郷平八郎:軍人は決めたことに責任を持つ。場合によって腹も切る。
       神のごとく決断を信じるだけだ。
  山本権兵衛:おはんは、しぶといのう。

 海軍の中枢にいた人物の会話です。その一方で、子規の母のぽつりと漏らした
 次の言葉が重く感じられます。
         「清は憎い国ではなかったはずです」

 男性と女性での受け止め方の違い、もちろん立場の違いもあるでしょう。
 しかし、どうも男に戦争という手段を選ばせる理由の一つを、上の東郷の
 言葉に見ることができるような気がします。決断に対する「こだわり」です。
 「面子」「プライド」などと言ってもよいかもしれません。男たるもの決めたことは、
 どんなことがあっても変えない、それを「神のごとく信じる」というのが「男らしさ」
 の象徴だとしたら、軍などの指導者の「こだわり」によって多くが犠牲になるのは、
 どうでしょう。「決断」は絶対ではなく時に誤りだってあるわけですから・・・・・・
 間違った決断を変えないというのでは、やはりおかしい。偏見はいけませんが、
 その面での「女性の潔さ・順応性」には注目すべきと思っています。
 

 何か1つのことに拘って追求するのにも両面があるものと思います。「こだわり」は、
 別の言葉では「捨てられない・諦められない」という意味でもあります。やはり時には
 きっぱり諦める潔い「決断」も必要です。それで「面子を失う」ことにはなりません。
 日本はこの戦争をきっかけに、およそ「50年にわたる戦争の時代」へと進んでいく
 ことになります。誰がというより、国全体、社会全体が何かありもしない「面子」に
 拘って縛られていた50年という気がしてなりません。


 一方、「こだわり」は社会を豊かにする源でもあるようです。伝統工芸をこだわりを
 持って継承する人々、「こだわりの店」で独自の味を提供する人々、不思議な自然
 現象にこだわって追求し偉大な発見をする人々・・・・よい意味での「こだわり」が
 実を結ぶ例だと思います。そこにはおそらく「面子」などとは無関係な世界が広がって
 いるのでしょう。よくも悪くも「こだわり」は人間の重要な「本能」であるようです。


 山本権兵衛は、その後首相になりますが、緒方惟一郎氏が関東大震災後に青森県
 知事に任命されたのは、この内閣の時でした。緒方惟一郎氏が晩年の山本権兵衛
 首相から辞令をいただいていたのかと想像するのと、何だか山本権兵衛が身近な
 存在に思えてくるのが不思議です。


  近くの公園は真っ白です。雪を待ちかねていた子供たちの声が響きます。
 ポプラの木もすっかり裸ですが、枝を切り落とされた姿はどこか痛々しいですね。