かなりまとまった雪となりました。まだ降る気配です。
各地で寒さも厳しいようですね。皆様、いかがお過ごしですか?
「坂の上の雲」第4回を見ました。いよいよ日清戦争に突入しました。
ずいぶん戦闘シーンが多かったですね。中には、目を覆いたくなるような
リアルな場面もありまりました。
「日本の近代史がはじめて経験した戦争」(司馬遼太郎)・・・多くの
犠牲者を出しましたが、その多くは戦闘でというよりも、病気で命を落と
したようです。多くの犠牲を伴ったこの戦争は何だったのか・・・・・・
後の歴史家などが様々な面から解釈する中で、司馬遼太郎は次のように
述べています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日清戦争とはなにか。その定義づけを、この物語においてはそれをせねば
ならぬ必要が、わずかしかない。そのわずかの必要のために言うとすれば、
善でもなく悪でもなく、人類の歴史のなかにおける日本という国家の成長
度あいの問題として考えてゆかねばならない。 (「坂の上の雲」より)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「善でもなく悪でもない戦争」・・・果たしてそのような「戦争」があるのだろうか、
と率直に考えてしまいます。今回の放送では、次のシーンが印象的でした。
東郷平八郎:軍人は決めたことに責任を持つ。場合によって腹も切る。
神のごとく決断を信じるだけだ。
山本権兵衛:おはんは、しぶといのう。
海軍の中枢にいた人物の会話です。その一方で、子規の母のぽつりと漏らした
次の言葉が重く感じられます。
「清は憎い国ではなかったはずです」
男性と女性での受け止め方の違い、もちろん立場の違いもあるでしょう。
しかし、どうも男に戦争という手段を選ばせる理由の一つを、上の東郷の
言葉に見ることができるような気がします。決断に対する「こだわり」です。
「面子」「プライド」などと言ってもよいかもしれません。男たるもの決めたことは、
どんなことがあっても変えない、それを「神のごとく信じる」というのが「男らしさ」
の象徴だとしたら、軍などの指導者の「こだわり」によって多くが犠牲になるのは、
どうでしょう。「決断」は絶対ではなく時に誤りだってあるわけですから・・・・・・
間違った決断を変えないというのでは、やはりおかしい。偏見はいけませんが、
その面での「女性の潔さ・順応性」には注目すべきと思っています。
何か1つのことに拘って追求するのにも両面があるものと思います。「こだわり」は、
別の言葉では「捨てられない・諦められない」という意味でもあります。やはり時には
きっぱり諦める潔い「決断」も必要です。それで「面子を失う」ことにはなりません。
日本はこの戦争をきっかけに、およそ「50年にわたる戦争の時代」へと進んでいく
ことになります。誰がというより、国全体、社会全体が何かありもしない「面子」に
拘って縛られていた50年という気がしてなりません。
一方、「こだわり」は社会を豊かにする源でもあるようです。伝統工芸をこだわりを
持って継承する人々、「こだわりの店」で独自の味を提供する人々、不思議な自然
現象にこだわって追求し偉大な発見をする人々・・・・よい意味での「こだわり」が
実を結ぶ例だと思います。そこにはおそらく「面子」などとは無関係な世界が広がって
いるのでしょう。よくも悪くも「こだわり」は人間の重要な「本能」であるようです。
山本権兵衛は、その後首相になりますが、緒方惟一郎氏が関東大震災後に青森県
知事に任命されたのは、この内閣の時でした。緒方惟一郎氏が晩年の山本権兵衛
首相から辞令をいただいていたのかと想像するのと、何だか山本権兵衛が身近な
存在に思えてくるのが不思議です。
近くの公園は真っ白です。雪を待ちかねていた子供たちの声が響きます。
ポプラの木もすっかり裸ですが、枝を切り落とされた姿はどこか痛々しいですね。
各地で寒さも厳しいようですね。皆様、いかがお過ごしですか?
「坂の上の雲」第4回を見ました。いよいよ日清戦争に突入しました。
ずいぶん戦闘シーンが多かったですね。中には、目を覆いたくなるような
リアルな場面もありまりました。
「日本の近代史がはじめて経験した戦争」(司馬遼太郎)・・・多くの
犠牲者を出しましたが、その多くは戦闘でというよりも、病気で命を落と
したようです。多くの犠牲を伴ったこの戦争は何だったのか・・・・・・
後の歴史家などが様々な面から解釈する中で、司馬遼太郎は次のように
述べています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日清戦争とはなにか。その定義づけを、この物語においてはそれをせねば
ならぬ必要が、わずかしかない。そのわずかの必要のために言うとすれば、
善でもなく悪でもなく、人類の歴史のなかにおける日本という国家の成長
度あいの問題として考えてゆかねばならない。 (「坂の上の雲」より)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「善でもなく悪でもない戦争」・・・果たしてそのような「戦争」があるのだろうか、
と率直に考えてしまいます。今回の放送では、次のシーンが印象的でした。
東郷平八郎:軍人は決めたことに責任を持つ。場合によって腹も切る。
神のごとく決断を信じるだけだ。
山本権兵衛:おはんは、しぶといのう。
海軍の中枢にいた人物の会話です。その一方で、子規の母のぽつりと漏らした
次の言葉が重く感じられます。
「清は憎い国ではなかったはずです」
男性と女性での受け止め方の違い、もちろん立場の違いもあるでしょう。
しかし、どうも男に戦争という手段を選ばせる理由の一つを、上の東郷の
言葉に見ることができるような気がします。決断に対する「こだわり」です。
「面子」「プライド」などと言ってもよいかもしれません。男たるもの決めたことは、
どんなことがあっても変えない、それを「神のごとく信じる」というのが「男らしさ」
の象徴だとしたら、軍などの指導者の「こだわり」によって多くが犠牲になるのは、
どうでしょう。「決断」は絶対ではなく時に誤りだってあるわけですから・・・・・・
間違った決断を変えないというのでは、やはりおかしい。偏見はいけませんが、
その面での「女性の潔さ・順応性」には注目すべきと思っています。
何か1つのことに拘って追求するのにも両面があるものと思います。「こだわり」は、
別の言葉では「捨てられない・諦められない」という意味でもあります。やはり時には
きっぱり諦める潔い「決断」も必要です。それで「面子を失う」ことにはなりません。
日本はこの戦争をきっかけに、およそ「50年にわたる戦争の時代」へと進んでいく
ことになります。誰がというより、国全体、社会全体が何かありもしない「面子」に
拘って縛られていた50年という気がしてなりません。
一方、「こだわり」は社会を豊かにする源でもあるようです。伝統工芸をこだわりを
持って継承する人々、「こだわりの店」で独自の味を提供する人々、不思議な自然
現象にこだわって追求し偉大な発見をする人々・・・・よい意味での「こだわり」が
実を結ぶ例だと思います。そこにはおそらく「面子」などとは無関係な世界が広がって
いるのでしょう。よくも悪くも「こだわり」は人間の重要な「本能」であるようです。
山本権兵衛は、その後首相になりますが、緒方惟一郎氏が関東大震災後に青森県
知事に任命されたのは、この内閣の時でした。緒方惟一郎氏が晩年の山本権兵衛
首相から辞令をいただいていたのかと想像するのと、何だか山本権兵衛が身近な
存在に思えてくるのが不思議です。
近くの公園は真っ白です。雪を待ちかねていた子供たちの声が響きます。
ポプラの木もすっかり裸ですが、枝を切り落とされた姿はどこか痛々しいですね。