宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

「気になる! くまもと」

2013-01-26 19:35:13 | 日記
  相変わらず雪が多い札幌です。平年の1.5倍、積雪1mになりました。
 初雪が遅かった分、そのまま根雪となってここまで雪が多めの年となりました。
 でも、あと1か月もしたら春の兆しが現れるでしょうから、もう少しの辛抱です。
 宇野ゆかりの皆さまの地域ではいかがですか?

 「気になる! くまもと」…熊本県広報課が、週一発信しているメールマガジンです。
 このたび登録数が2万人を超えたようです。熊本のさまざまな旬な情報や人気のゆる
 キャラ「くまもん」の様子などが伝わって来ます。

 私も登録しているので楽しみに見ていますが、中でも毎回の熊本弁情報には笑いあり
 驚きありで楽しんでいます。やはり独特の方言のようで、なかなか分からないものも
 多い。明治の熊本時代の宇野さんたちも、当然方言ばかり使っていたのでしょうね。

 メルマガ597号では、「こそばい」が紹介されていましたが、一瞬「あれっ?」と思い
 ました。ひょっとして北海道でも使うことがある「こそばい?」…意味を見てみると
 やはりそうでした。熊本でも「こそばい」なんだ、てっきり北海道弁かと思っていま
 した。よくは調べていませんが、他の地域でも使う表現かもしれません。

 「こそばい」=「くすぐったい」ですが、ほかに北海道では似た意味として「もちょこい」を
 使うことがあります。これは純粋な北海道弁でしょうね、どうでしょうか? それにしても
 明治の終わりに熊本を出て酒田に入った宇野貞誠さん、庄内弁に戸惑ったのではと想像
 しています。一方の前田桝江さん、熊本弁にどう応えたのでしょう。恋愛に言葉は不要?
 だったのでしょうか。デートする2人の会話を聞いてみたくなりました。

  積もった雪でわずかな幅となった生活道路です。市道の除雪・排雪は徐々には
  進んでいますが、私道はなかなか手が回らないようです。

ペーリー来航と宇野家

2013-01-11 18:55:52 | 日記
 年が明けてからの積雪はそうでもないかわりに寒さが厳しい札幌です。
 日中でもマイナス5℃くらいまでしか上がらず、連日の真冬日。中頓別の近くの
 歌登ではマイナス30℃の日が続いているようです。札幌でもかつて子どもの頃
 にはマイナス20℃の日もあったように思います。銭湯帰りの髪の毛がバリバリに
 凍ったことを思い出しました。宇野ゆかりの皆さまの地域はいかがですか?どうぞ
 暖かくしてお過ごしください。

 初回のドラマ「八重の桜」の中に、黒船来航のシーンがありました。八重の兄らが
 「見学」する場面です。嘉永6年(1853年)のことです。そういえば、以前も書き
 ましたが、宇野さんも…と思い出していました。

 この年の11月、熊本藩にも警備が命じられ、家老長岡監物を総帥として総勢1600人
 余りが出兵しました。その中に宇野貞雄さんもいたのです。観音崎・亀ケ崎・島崎・
 旗山台場を担当したといいます。宇野さんが実際にどこにいたのかはわかりませんが
 ドラマと同じような場所であったことでしょう。貞雄さんが見たかもしれない光景が
 再現されているかと思うと感慨深いものがあります。

 この幕末の動乱期、宇野貞雄さんは江戸と熊本を行ったり来たり。政治の動揺に振り
 回されるかのように慌ただしい生活であったようです。参勤交代のお供を断ることは
 できません。ただ、多少の手当ては出ても江戸と熊本との二重生活では家計も苦し
 かったものと想像します。この辺りの事情は「武士の家計簿」にも取り上げられま
 したが、熊本藩ではどうだったのか、宇野さんはどうだったのか「ルーツだより」で
 紹介したいと思います。

    連日の寒さで、残った小さなリンゴの実も凍りついていました。

「ならぬことは、ならぬもの」

2013-01-07 19:17:47 | 日記
  明けましておめでとうございます。年末・年始にかけて札幌近郊では暴風雪で
 交通に影響が出ました。とくに旭川方面へ行くには大変な状況でした。札幌市内では幸い
 それほどでもありませんでした。手稲山が季節風の直撃を緩和してくれているようです。
 それでも寒さは厳しく、日中でもマイナス5℃くらいまでしか上がりません。宇野ゆかりの
 皆さま、どんな年明けになったでしょうか?

 NHKの新しい大河ドラマ「八重の桜」が始まりました。前作の「平清盛」の視聴率が
 芳しくなく評価が分かれた中で注目されましたが、25パーセントを筆頭に札幌圏でも
 15パーセントくらいだったようです。

 ヒロインの山本(のちに新島)八重は、幕末の会津藩で育ちました。当時の会津藩士の
 子弟(男子)の間には「什(じゅう)」という小グループが作られていました。その子ども
 たちに課せられたのが「什の掟」でした。年長者に対する振る舞い、虚言・卑怯の排除、
 戸外での振る舞いなどを厳しく定めました。ドラマの中でも唱和されていました。その
 最後の締めが「ならぬことは、ならぬものです」なのです。

 子どもたちへの有無を言わせぬ「什の掟」。当時の儒教教育の一端が窺われますが、あく
 までも男子へのもの。幼少の八重など女子には別の教育が用意されていました。「女大学」
 などを教科書にした「良妻賢母」が求められたのです。そんな中、女子が鉄砲を扱うなど
 考えられないことでした。それが、戊辰戦争で銃を手に忠義を尽くすことになるのですから
 時代の流れを感じさせます。「幕末のジャンヌダルク」とも呼ばれる所以です。

 この時、熊本藩では会津のような戦闘は避けられましたが、明治維新後に西南戦争で似た
 ような状況を経験することになります。緒方夫門さんは西郷軍とともに官軍と対峙しました。
 この時、娘の緒方キツさんは緒方家を包囲する官軍にとても怖い思いをしたといいます。
 キツさんとほぼ同時代を生きた新島八重。一時期札幌にも滞在していたようですから、
 激動の時代をどう生き抜くのか、注目したいと思います。八重の幼少期を演じた鈴木梨央
 ちゃん、可愛かったですね。演技も迫真でした。

    札幌は厳しい寒さの毎日です。ナナカマドの赤い実が目立ちます。