宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

旅愁

2009-12-28 06:57:55 | 日記
 
 それほど冷え込んではいませんが、雪が降り出しました。これから
 荒れた天気になる予報です。今年も残りわずかになりましたね。
 皆様、いろいろと慌ただしくされているのではないでしょうか。

 ルーツ探しを始めてから7年余りが経ちました。この間、皆様の
 ご協力のおかげで、多くの御先祖、縁者の方々に出会うことが
 できました。その一方でいくつかの謎も出てきました。今後も
 あせらず着実に「旅」を続けていきたいと思っています。

 ところで、先日、30数年ぶりにある歌と再会することができました。
 「旅愁」という曲です。長い間、記憶の片隅にあって気になって
 いましたが、探せずにいました。インターネットのおかげで時空を
 超えることができました。その歌詞は、ルーツ探しの旅をする私の
 今の心情と重なるものがあります。

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        あなたを探して ここまで来たの
        恋しいあなた あなた 今どこに
        風にゆれ 雨に濡れて
        恋は今も今も 燃えているのに
        白いほほえみも 後ろ姿も
        遠い夢の中 あなたはいない


        わたしの夜空に 星は見えない
        あなたに会える 会える その日まで
        鳥は飛び 鳥は帰る
        それはいつもいつも 花の咲くころ
        白いほほえみも 後ろ姿も
        遠い夢の中 あなたはいない
                   「旅愁」(歌:西崎みどり)

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  原曲では、いなくなってしまった恋人を探して旅をする女性の
 心情が歌われていますが、「あなた」は特定の恋人を指すもので
 ある必要はありません。ルーツ探しをしている自分には、それは
 実際には会うことはできないけれども、何かしらのイメージや
 生き様などをつかめるかもしれない御先祖の「あなた」なのです。

 この曲を久しぶりに聴いて、遠くなった過去がよみがえりました。
 著作権の問題はあるにしても、14歳の西崎みどりちゃんの歌声を
 聴くことができるのです。1974年の歌声です。すごいことですね。
 どういうことがきっかけで、この曲が記憶の底に沈んだのかは
 今となっては分かりませんが、きっと強いインパクトがあったに
 違いないと思います。音楽は自分に起きた何かの出来事と深く
 結びついて記憶に残るものです。しかも、その出来事の多くは
 つらく悲しいものです。歌はそんな心情を癒し、勇気を与えて
 くれるものですね。

 最近の若い人たちの間で流行っている音楽の多くについていく
 ことができません。分からない、記憶に残せないのです。これは
 どうしたものかと気になっていたところ、ある音楽家が明快な答を
 与えてくれました。それは、若い人々の曲が悪いのではなく、聴く
 側の記憶力の問題だというのです。

 音楽とは、文字通り「音を楽しむ」ですが、記憶に残せないのでは
 楽しむことができません。記憶のどこかにあるはずの「調べ」と
 合わせることができないのです。歳とともに薄れていく感受性は
 記憶力の低下とも関係していました。歳とともに「頑固」になる
 のは、新しいものを受け付けなくなる「脳の容量」と関係している
 といいます。

 しかし、最近の音楽(とくにJポップ)がすべていいというわけ
 ではないと思います。早口で歌詞が分かりずらい上に、わざとか
 どうかは分かりませんが、巻舌・裏声が多すぎる。ヨーデルの
 ような歌さえあります。歌詞だけ読めば心に響くものもたくさん
 あるのに惜しい気がします。日本語が持つ本来の美しい響きを
 はっきりと伝える工夫が必要と思います。


 年内に「宇野ルーツだより」の特別号を発送しようと思って準備
 していましたが、怠慢で間に合いませんでした。皆様にお詫び
 いたします。年明けに「先祖付け」および「田賦考」の特別号を
 解説付きでお届けします。宇野ゆかりの皆様、どうぞ暖かくして
 よい年をお迎えください。今年1年、「ルーツだより」にお付き
 合いいただき本当にありがとうございました。

 
  近所から眺めた三角山です。すっかり白くなっています。

 
 


 

「坂の上の雲」の時代と宇野④

2009-12-21 21:36:46 | 日記
  かなりまとまった雪となりました。まだ降る気配です。
 各地で寒さも厳しいようですね。皆様、いかがお過ごしですか?

 「坂の上の雲」第4回を見ました。いよいよ日清戦争に突入しました。
 ずいぶん戦闘シーンが多かったですね。中には、目を覆いたくなるような
 リアルな場面もありまりました。

 「日本の近代史がはじめて経験した戦争」(司馬遼太郎)・・・多くの
 犠牲者を出しましたが、その多くは戦闘でというよりも、病気で命を落と
 したようです。多くの犠牲を伴ったこの戦争は何だったのか・・・・・・
 後の歴史家などが様々な面から解釈する中で、司馬遼太郎は次のように
 述べています。

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   日清戦争とはなにか。その定義づけを、この物語においてはそれをせねば
   ならぬ必要が、わずかしかない。そのわずかの必要のために言うとすれば、
   善でもなく悪でもなく、人類の歴史のなかにおける日本という国家の成長
   度あいの問題として考えてゆかねばならない。 (「坂の上の雲」より)

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 「善でもなく悪でもない戦争」・・・果たしてそのような「戦争」があるのだろうか、
 と率直に考えてしまいます。今回の放送では、次のシーンが印象的でした。

  東郷平八郎:軍人は決めたことに責任を持つ。場合によって腹も切る。
       神のごとく決断を信じるだけだ。
  山本権兵衛:おはんは、しぶといのう。

 海軍の中枢にいた人物の会話です。その一方で、子規の母のぽつりと漏らした
 次の言葉が重く感じられます。
         「清は憎い国ではなかったはずです」

 男性と女性での受け止め方の違い、もちろん立場の違いもあるでしょう。
 しかし、どうも男に戦争という手段を選ばせる理由の一つを、上の東郷の
 言葉に見ることができるような気がします。決断に対する「こだわり」です。
 「面子」「プライド」などと言ってもよいかもしれません。男たるもの決めたことは、
 どんなことがあっても変えない、それを「神のごとく信じる」というのが「男らしさ」
 の象徴だとしたら、軍などの指導者の「こだわり」によって多くが犠牲になるのは、
 どうでしょう。「決断」は絶対ではなく時に誤りだってあるわけですから・・・・・・
 間違った決断を変えないというのでは、やはりおかしい。偏見はいけませんが、
 その面での「女性の潔さ・順応性」には注目すべきと思っています。
 

 何か1つのことに拘って追求するのにも両面があるものと思います。「こだわり」は、
 別の言葉では「捨てられない・諦められない」という意味でもあります。やはり時には
 きっぱり諦める潔い「決断」も必要です。それで「面子を失う」ことにはなりません。
 日本はこの戦争をきっかけに、およそ「50年にわたる戦争の時代」へと進んでいく
 ことになります。誰がというより、国全体、社会全体が何かありもしない「面子」に
 拘って縛られていた50年という気がしてなりません。


 一方、「こだわり」は社会を豊かにする源でもあるようです。伝統工芸をこだわりを
 持って継承する人々、「こだわりの店」で独自の味を提供する人々、不思議な自然
 現象にこだわって追求し偉大な発見をする人々・・・・よい意味での「こだわり」が
 実を結ぶ例だと思います。そこにはおそらく「面子」などとは無関係な世界が広がって
 いるのでしょう。よくも悪くも「こだわり」は人間の重要な「本能」であるようです。


 山本権兵衛は、その後首相になりますが、緒方惟一郎氏が関東大震災後に青森県
 知事に任命されたのは、この内閣の時でした。緒方惟一郎氏が晩年の山本権兵衛
 首相から辞令をいただいていたのかと想像するのと、何だか山本権兵衛が身近な
 存在に思えてくるのが不思議です。


  近くの公園は真っ白です。雪を待ちかねていた子供たちの声が響きます。
 ポプラの木もすっかり裸ですが、枝を切り落とされた姿はどこか痛々しいですね。

 
 
 
 
 



 

「坂の上の雲」の時代と宇野③

2009-12-14 19:48:55 | 日記
  小雪が舞う寒い一日となりました。市内の平地での
 積雪はまだですが、今週中には白くなりそうな気配です。今年も残す
 ところ2週間あまりになりました・・・皆様、どんな1年でしたか?

 「坂の上の雲」の3回目の放送を見ました。ずいぶん裸のシーンが
 登場しましたね。真之の肉体美が強調されていました。一方、女性では
 佐久間多美(松たか子さん・ファンです)が存在感を出していました。

 秋山兄弟が一時寄宿していた佐久間家の屋敷を見ながら、熊本の宇野家の
 屋敷を想像していました。もちろん東京と熊本の違い、家格の違いで比較は
 できませんが、似たようなつくりもあるのではないかと・・・宇野家の
 鷹匠町での生活については、「まきさんの手記」にありましたね。

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 熊本市鷹匠町というところで大きな邸宅を構え、豪勢な生活が始まって
 いました。大きな本玄関と内玄関があり、表門は大きく、お祭りの芸者や
 おはやしを乗せた大きなやたいが表門から入り、玄関前でおどり、女中達
 はお酒のふるまいなどをしていました。裏門は次の通りにあり、庭には
 泉水が4つか5つあって金魚がたくさん泳ぎ、今なら錦鯉というところで
 しょう。私は泉水のおたまじゃくしを取るのが面白くてたまりませんでした。

 姉上には千寿、私にはね寿という女中がついて身のまわりの事をし、大助
 さんという書生さんが居て蛍取りの名人で兄上達の人気者でした。母上は
 髪結いさんが4,5日おきに来て髪を結い、外出の時は決まった車夫の
 人力車に乗り、今なら運転手つきの自家用車というところです。

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 宇野家が鷹匠に移ったのは、日露戦争の少し前のことですから、上のような
 生活をした時代と佐久間家での様子とは、そんなに違わないと思います。
 放送の中で、大きな表門、人力車などを見ることができました。

 日清戦争に行く好古にかけた、佐久間多美の次の言葉が印象的でしたね。

      「生きて帰ってきてください。約束ですよ。」

 軍人の嫁となった上での覚悟はあるにしても、やはり愛する人を戦場へと送る
 気持ちは複雑です。日本はこの戦争をきっかけに本格的な戦争の時代へと
 入っていくことになります。息子や兄・弟などを泣く泣く兵士として見送った
 女性たちはどれほどいたでしょうか・・・貞誠さんも台湾に出征し、負傷した
 ようです。その時の宇野キツさんの気持ちはどうだったでしょうか・・・・・
 男たちは、なぜ戦争をするのか・・・愛する夫や息子、兄、弟などの身を案じ、
 いつも待つしかない女性の思いが、多美の言葉、表情に表れていたように思い
 ます。女性の指導者であれば、紛争の解決のための戦争はしない・・・個人的
 には、そう思っていますが、その理由・分析は別の機会にします。

  円山のふもとで洒落た感じの「Cafe」を見つけました。外に薪が
 積んであります。中ではまきストーブが燃えているようです。今回は入りません
 でしたが、機会があればコーヒーをいただいてみます。
 


「坂の上の雲」の時代と宇野②

2009-12-11 19:34:43 | 日記
  よい天気の一日でした。陽があるうちは暖かいくらいです。
 12月も中旬になって「小春日和」というのも変な感じですが・・・週末から
 冬の天気になるとの予報です。師走で何かと慌ただしいことでしょう。でも
 こちらでは雪が積もらないと実感がわきません。背景を変えたのが早過ぎ
 だったのかも・・・いや温暖化で冬の到来が遅くなっているのかもしれない
 ですね。

 引き続き「坂の上の雲」についてです。前回放送分も見ました。宇野貞度・
 キツさんが主人公たちと同時代に生きたことは紹介しましたが、もう一つ、
 注目しているのは、登場する女性たちの様子です。どんな服装だったのか、
 どんな生活だったのか・・・など気になっていました。

 まず、子規の妹の正岡律・・・菅野美穂さんが演じていますが、ずいぶん
 「おてんば」いや、活発ですね。律は明治3年(1870)生まれです。明治の
 一般的な女性像として、あまり出しゃばらない「大和撫子」や「良妻賢母」
 のような姿を勝手に想像していましたが、どうも違うようですね。もちろん
 個人によって異なるでしょうから、偏見はいけませんが・・・

 律は、本当に兄思いだったようです。離縁した後は、病気に伏す兄の身の
 回りのことを、下の世話も含めて心をこめて面倒を見ました。その辺りは
 これからの放送になるのでしょうが、いつの時代でも忘れてはならないこと
 でしょう。

 そのような献身的な看病をされてもなお、子規は思い通りにならない苛立ちを
 律など周りにぶつけたと言います。これもまた、当然の心情かもしれません。
 まだまだやりたいことがあったにちがいありません。一個人の最期にあたって
 どう向き合うか・・・だれもが迎えるものとして考えさせられます。

 子規の死後、律は女子職業学校で家政を学び、母校で和裁を教えることになり
 ます。大正10年まで勤め、昭和16年(1941)に亡くなっています。71歳でした。
 こうした生涯を見ていくうちに、なぜか宇野キツさんの姉、築山順子(としこ)
 さんのことを思い浮かべていました。

 順子さんは、正岡律よりは少し上の世代ですが、早くに御主人を亡くし息子の
 教育のことを考えて長崎の料理学校で資格を取り、熊本の尚絅高女で教鞭を
 執りました。律とほぼ同じ時代に、同じような教育に携わっていました。これ
 からの放送で律の姿もしばしば出てくるでしょうから、注目しています。

 
 先日、思いがけず素敵な贈り物を頂戴いたしました。たっぷりの葉がついた
 ミカンです。まず、こちらでは見ることができない珍しいものです。こうした
 うれしい体験ができるのも「宇野ルーツ」のおかげかな、などと思っており
 ます。東京の江口様、本当にありがとうございました。この場を借りて改めて
 お礼申し上げます。

 

「坂の上の雲」の時代と宇野①

2009-12-03 20:56:23 | 日記
 
 数日、小春日和が続きましたが、今日は雪模様でした。この時間、あの
 中頓別町の気温はマイナス13度とのこと・・・いよいよ本格的な冬に
 なります。皆様方、お変りはありませんか。新型インフルエンザでの
 死者の報道も相変わらずあとを絶ちません。お気をつけください。

 NHKの番組で「坂の上の雲」が始まりました。事前から相当宣伝され
 ていましたね。長い期間にわたって続くようです。時代背景に興味が
 あったので観させていただきました。というのも、主人公たちが生きた
 時代は、宇野貞度・キツさんが生きた時代でもあったからです。

      秋山好古:安政6年(1859)生まれ
      秋山真之:明治元年(1868)生まれ
      正岡子規:慶応3年(1867)生まれ
      宇野貞度:元治元年(1864)生まれ
      宇野(緒方)キツ:慶応3年(1867)生まれ

 キツさんと子規とは同じ年の生まれだったんですね。改めて驚きました。
 秋山兄弟は松山藩の下級武士(10石ほどの徒士)の出身だったようです。
 武士の特権がなくなり、秩禄処分でも石高の少ない士族の生活は大変
 だったことでしょう。その辺の生活の様子がよく分かる時代考証がなされ
 ていると思いました。秋山兄弟が軍人の道へと進むことはある程度必然
 だったのかもしれません。日清・日露の戦争へと突き進んでいった当時の
 時代について、原作者の司馬遼太郎は次のように述べています。

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 維新後国をあげて欧化してしまった日本と日本人は、先進国家から見れば
 漫画に見え、アジアの隣国から見れば笑止な、小面憎い存在としか見えず、
 どちらの側からも愛情や好意はもたれなかった。(中略) 西洋が興隆した
 そのエネルギー源はなにか、という点では、日本の国権論者はそれが帝国
 主義と植民地にあると見た。民権論者も、「自由と民権にある」とは言い
 つつも多くのものが帝国主義をあわせて認めた。帝国主義と自由と民権は
 渾然として西洋諸国の生命の源泉であると見、当然ながらそれをまねよう
 とした。西洋の帝国主義はすでに年季を経、劫を経、複雑で老獪になり、
 かつては強盗であったものが商人の姿をとり、ときに変幻してヒューマニ
 ズムのすがたをさえ仮装するまでに熟していたが、日本のそれは開業早々
 だけにひどく「なま」で、ぎこちなく、欲望がむきだしで、結果として
 醜悪な面がある。              (「坂の上の雲」より引用)

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 司馬氏のこのような時代背景についての認識は、大筋ではその通りだと思い
 ます。この時代背景を頭に入れて秋山兄弟の軍人としての功績、正岡子規の
 歌業、宇野貞度さんの「武士の商法」などを見ていくことが大事なってくる
 でしょう。この番組で、「司馬史観」がどこまで表現されるのか、今後も注目 
 して見たいと思います。

 
 小春日和に誘われて、円山のふもとを散策しました。うっすらと積もった
 雪の中から、どういうわけかタンポポが顔を出していました。春とまちがえ
 たのか、温暖化の異変なのか、思わぬ出会いでした。