宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

「坂の上の雲」の時代と宇野③

2009-12-14 19:48:55 | 日記
  小雪が舞う寒い一日となりました。市内の平地での
 積雪はまだですが、今週中には白くなりそうな気配です。今年も残す
 ところ2週間あまりになりました・・・皆様、どんな1年でしたか?

 「坂の上の雲」の3回目の放送を見ました。ずいぶん裸のシーンが
 登場しましたね。真之の肉体美が強調されていました。一方、女性では
 佐久間多美(松たか子さん・ファンです)が存在感を出していました。

 秋山兄弟が一時寄宿していた佐久間家の屋敷を見ながら、熊本の宇野家の
 屋敷を想像していました。もちろん東京と熊本の違い、家格の違いで比較は
 できませんが、似たようなつくりもあるのではないかと・・・宇野家の
 鷹匠町での生活については、「まきさんの手記」にありましたね。

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 熊本市鷹匠町というところで大きな邸宅を構え、豪勢な生活が始まって
 いました。大きな本玄関と内玄関があり、表門は大きく、お祭りの芸者や
 おはやしを乗せた大きなやたいが表門から入り、玄関前でおどり、女中達
 はお酒のふるまいなどをしていました。裏門は次の通りにあり、庭には
 泉水が4つか5つあって金魚がたくさん泳ぎ、今なら錦鯉というところで
 しょう。私は泉水のおたまじゃくしを取るのが面白くてたまりませんでした。

 姉上には千寿、私にはね寿という女中がついて身のまわりの事をし、大助
 さんという書生さんが居て蛍取りの名人で兄上達の人気者でした。母上は
 髪結いさんが4,5日おきに来て髪を結い、外出の時は決まった車夫の
 人力車に乗り、今なら運転手つきの自家用車というところです。

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 宇野家が鷹匠に移ったのは、日露戦争の少し前のことですから、上のような
 生活をした時代と佐久間家での様子とは、そんなに違わないと思います。
 放送の中で、大きな表門、人力車などを見ることができました。

 日清戦争に行く好古にかけた、佐久間多美の次の言葉が印象的でしたね。

      「生きて帰ってきてください。約束ですよ。」

 軍人の嫁となった上での覚悟はあるにしても、やはり愛する人を戦場へと送る
 気持ちは複雑です。日本はこの戦争をきっかけに本格的な戦争の時代へと
 入っていくことになります。息子や兄・弟などを泣く泣く兵士として見送った
 女性たちはどれほどいたでしょうか・・・貞誠さんも台湾に出征し、負傷した
 ようです。その時の宇野キツさんの気持ちはどうだったでしょうか・・・・・
 男たちは、なぜ戦争をするのか・・・愛する夫や息子、兄、弟などの身を案じ、
 いつも待つしかない女性の思いが、多美の言葉、表情に表れていたように思い
 ます。女性の指導者であれば、紛争の解決のための戦争はしない・・・個人的
 には、そう思っていますが、その理由・分析は別の機会にします。

  円山のふもとで洒落た感じの「Cafe」を見つけました。外に薪が
 積んであります。中ではまきストーブが燃えているようです。今回は入りません
 でしたが、機会があればコーヒーをいただいてみます。