宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

母・宇野美代子の命日

2015-05-31 07:01:10 | 日記
   小雨の朝となりました。しばらく雨がなく乾燥していたのでちょうど
  よいお湿りになったかもしれません。今日は母・宇野美代子(旧姓)の命日です。

  昭和48年(1973年)の5月31日の朝、母は長い闘病生活から解放されました。
  満44歳は若すぎたかもしれませんが、よくなる見込みのない癌との闘いの
  辛い日々をそばで見守るしかない私にとって、少しでも長生きしてほしい
  という気持ちの一方で、早く楽にしてあげてほしいというのも正直な気持ち
  でした。

  その朝、ずっと混濁していた意識が一瞬ふっと蘇ったように見えました。
  何か言いたかったのでしょうか、口元が少し動いた気がします。次の瞬間、
  大きな深呼吸をして母は旅立ちました。道庁の横にある斗南病院の一室
  でのその瞬間は今でも鮮やかに蘇り、時々涙します。

  母の姉(宇野元子)が帯広からかけつけてくれていてずっと看病してくれ
  ました。後日、納骨の際、次の歌を残してくれました。

      妹の永遠の住処となりし藻岩(やま)緑豊かに美しくあれ

  
  父方の墓が藻岩山の麓にあり、その墓参の際の気持ちでした。家族思いの
  伯母で厳しい面もありましたが、忘れられない思い出です。その伯母も
  今は母と楽しく過ごしていることでしょう。当時、ルーツに関心の薄かっ
  た私は、満州での生活など、今になって色々なことを聞いておけばよかった
  と悔やんでいます。

   母の葬儀の朝も雨上がりで、今日と同じようにボタンや芝桜が雨に
   濡れていました。今日はその山に墓参して来ます。

御料橋と伯母の思い出

2015-05-27 06:13:24 | 日記
   札幌は20℃くらいで過ごしやすい季節ですが、真夏日になって
  いる地域もあるようですね。宇野ゆかりの皆さま、熱中症にお気をつけください。

  札幌の奥座敷と呼ばれる定山渓温泉へと向かう途中に「簾舞(みすまい)」地区が
  あります。ここは私にとって思い出が多い場所で、今でも年に数回は訪れます。
  今年は先日の5月下旬が最初の訪問となりましたが、景観がずいぶん様変わり
  していたのには改めて驚きました。

  国立療養所は閉鎖されて廃墟のようになっています。この療養所には、戦後の
  一時期、伯母・宇野元子が入院していました。脊椎カリエスの治療のためです。
  小学生の頃、母に連れられて何度か見舞いました。当時は定山渓鉄道が通って
  いて豊平駅から東簾舞までの乗車でした。

  東簾舞で降りて左手に砥山ダムを見ながら御料橋を渡ると療養所の病棟が見えて
  きます。この当時の風景が今でも鮮やかによみがえりますが、今は橋も病棟も
  見えません。御料橋は「新御料橋」に架け替えられ、病棟はフェンスで囲まれて
  見ることができません。私たち宇野のルーツゆかりの地のひとつです。

  新御料橋を渡る。裏山では何かの工事が行われていて山が崩されていました。

天北線の痕跡

2015-05-19 19:09:00 | 日記
 雨交じりで風が強い一日でした。気温も上がらず生き物たちも震えていたかもしれません。
 中頓別町に残る旧国鉄・天北線の痕跡を見てきました。
 
 音威子府から小頓別までが開通したのが大正3年11月。ついで中頓別まで開通したのが
 大正5年10月でした。私たちのご先祖が酒田から中頓別に移住したのは、このときだった
 のでしょうか?

 子どもたちの出生届から推測すると、もう少しあとのようです。宇野誠さんが大正7年に
 酒田で生まれていて、宇野吉郎さんが大正10年に中頓別村(当時)で生まれていますから
 この間に移住したと推測されます。いずれにしても開通間近で賑わう村に新天地を求めた
 のでしょう。もちろん利用したのは、この天北線でした。今ではその痕跡しか残っていま
 せんが、往時の様子が次のように記録されています。

 音威子府発15時12分の急行「天北」は天北線を走る唯一の急行列車で、グリーン車を含む
 五両編成であった。乗車率は70パーセントぐらいだからかなりよいほうであろう。
                          宮脇俊三氏の文章より(昭和53年)

 一度は乗りたかった天北線ですが、かないませんでした。今は音威子府からは宗谷バス
 です。しかし、それもなくなり都市間バスだけになると聞きました。途中で乗降する
 時はあらかじめ伝えておくというのです。車のない者にとっては不便です。

 こうした現状で、中頓別町を消滅させないために何ができるか…もちろん個人の力では
 どうにかなるものではありませんが、絶えず気にかけて都市と地方の交流を進めていく
 ことでしょう。定住は無理でも、たとえば旅行とか、また夏だけとか何とか訪問する
 機会を増やすことができればと思います。

 旧敏音知(ピンネシリ)駅の様子です。ちなみに「てんぽくせん」と入力したら「天北線」
  とは変換されず「店舗苦戦」となりました~

中頓別町の春

2015-05-14 05:44:04 | 日記
所用で道北地域を回って札幌に戻りました。今朝は小雨になって寒いくらいです。
 寒いといってもこれが平年並みのようです。真夏日に!というニュースがありました。宇野ゆかりの
 皆さまの地域はいかがですか? 体調管理にお気をつけください。

 中頓別町は私たちの宇野が、戦前まで暮らしたゆかりの地のひとつです。何度か訪問した
 ことがありますが、今回は「ルーツ探し」が目的ではなかったので、ほとんど通過する
 程度でしたが、少しだけ道北の春を感じることができました。

 夕日に映えるピンネシリの山がきれいでしたし、そのふもとにはチシマザクラが花をつけ
 ミズバショウやエゾノリュウキンカがまだ見ごろでした。さすが「北緯45度の町」札幌
 などよりは遅いようです。また、エゾヒメギフチョウという「春の妖精」があちこちで
 舞っているのにも驚きました。

 こんなに豊かで美しい自然があるのに、町の関係者によれば人口減=過疎が止まらないの
 だといいます。現在は約1800人、ピーク時の5分の1。「おためし住宅」提供など移住
 対策も進めていますが、効果はこれからでしょう。冬の厳しさもネックです。もう少し
 若ければ、ご先祖ゆかりの地への移住もありかな…やはり本当にいい土地でした。

  ピンネシリ地区の様子です。詳しくは「宇野ルーツだより」(しばらくごぶさた
  ですが)で紹介します。