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これからしばらく降っては消えのくり返しでしょうね。皆さま、いかがお過ごしですか?
宇野家の先祖付けの冒頭には「宇野貞雄 百石」とあります。この「百石」とは、現代の
年収に換算するとどのくらいになるのか、ずっと興味をもっています。それが分かれば
江戸時代の宇野家の経済がどうだったのか、知る手がかりになるかもしれません。
「百石」の実態を知ることができる参考書として「拝見・武士の家計簿」(磯田道史・
NHK)という平易な解説書がありました。幕末のある加賀藩士が几帳面に付けて
いた「家計簿」を解読して、その生活ぶりを再現したものです。
江戸末期の1両は、今の価値に直すと約25万円。1両で米1石が買えたといいますから
百石は約2500万円ということになります。この年収なら相当裕福な生活!ということに
なりますが、実態はかなり違っていたようです。藩によって多少の違いはありますが、
実際に百石がすべて収入にはなりません。五公五民あるいは四公六民ですし、熊本藩
では、知行百石で18石の手取り(文化年間)だったという記録があります。これだと
年収約500万円。贅沢しなければ何とかなりそうな・・・
でも武士、特に下士はそうはいかなかったようです。武士としての格式を保つための
費用(身分費用)が相当必要でした。藩から支給される俸禄は、もともとは「いざ鎌倉」
というときのための「軍費」の意味合いが強い。家来や使用人への支出、親類縁者との
付き合いの支出、先祖供養など寺社への支出などでかなりの赤字だったようです。また、
江戸詰め(単身赴任)を命じられると、多少の手当ては出るものの、二重生活でさらに
出費が増えました。何となく現代の生活と似ていますね。この辺りの詳しい分析は、別途
「宇野ルーツだより」(印刷版)で紹介します。
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しっかり冬の装いの女性を多く見かけました。