宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

リラ冷え

2011-05-31 18:22:18 | 日記
  とてもよい天気の一日でした。宇野ゆかりの皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
 「リラ冷え」という言葉をご存じですか?

 リラとは、ライラック(ムラサキハシドイ)のフランス語名です。札幌などでは、このリラの花が
 咲く今ごろに、オホーツク海高気圧の影響で、冷える日があることから使われるようになりました。
 
 ライラック自体は、明治にアメリカから持ち込まれたものですが、「リラ冷え」の言葉の歴史は
 1960年代から1970年年代になってからのものですから、それほど古いわけではありません。道内
 出身の作家の「リラ冷えの街」という小説が定着に貢献したと言われています。

 リラの花が咲く頃に合わせて、札幌市内では「ライラック祭り」が開かれます。ライラックは、
 「札幌の木」となっていますから、あちこちに植えられ、満開ともなると甘い香りが漂います。
 この祭り、昭和34年に始まり、今年で53回目だそうで、これほどの歴史とは知りませんでした。

 リラの花咲く頃に満開を迎えるのが芝桜です。この芝桜の花を見るたびに思い出すのは、昭和48年
 5月31日の朝です。この日の朝早く、母・美代子は斗南病院で亡くなりました。リラ冷えの朝でしたが、
 なぜかライラックの印象はなく、露に濡れた芝桜のピンクが、今も鮮やかによみがえります。

 芝桜は、各地で町おこしに一役かっているようですが、中頓別町にある鍾乳洞周辺の芝桜も見事です。
 小規模ながらもドリーネが見られ、カルスト地形になっている、この日本最北の鍾乳洞は一見の価値が
 あるものと思います。宇野貞誠一家が暮らした時代には芝桜はなかったかもしれませんが、今でも
 当時と変わらない自然が残されています。

  南区東簾舞(ひがしみすまい)の芝桜です。「宇野ルーツだより」特別編の方が、先に
 完成しましたので、6月上旬に発送します。熊本のご先祖にたどりつくまでの経緯をまとめました。
 

三角山の姿

2011-05-18 07:49:58 | 日記
 今日は朝から晴れています。最高気温も20℃超となる予想で、今年一番に
 なりそうです。今まで肌寒い日が続いていましたが、札幌にもやっと本格的な春が
 来たようです。宇野ゆかりの皆さまの地域ではいかがでしょうか?

 写真は、市内の西区にある三角山の姿です。標高330mあまりの山ですが、まさに
 その名にふさわしく、きれいな三角の形状です。海底の火山の噴出物が隆起して
 軟らかい部分が削られて、今のような形になったようです。

 山の姿、当然ながら見る方向によっては違った形に見えることもあります。この
 三角山も、そうです。それに気づくと、何も山の姿に限らず、いろいろな物事、
 さらに人の姿も、見方によっては違うように見えているのではないかと思い、
 一面的に見ることの戒めになるような気がしました。

 「宇野ルーツだより」の「清源院の旅日記」について、さまざまな反応を寄せて
 いただきありがとうございました。江戸時代の女性の旅、さまざまな制約がある
 中でも、清源院の好奇心が素直に表現されている部分も垣間見えて興味深い
 ものでした。引き続き、熊本から江戸までの復路の日記「青葉の山路」を入力
 しています。ここでは「宇野さん」も登場します。出来次第送ります。

 三角山では春の味覚も盛りです。先日は「タラの芽」(タランボ)の天ぷらを
 蕎麦といっしょにいただきました。最近は栽培されたものも出回っているよう
 ですが、やはり苦みなどの味の濃さは、野生のものにはかないませんね。その
 土地の地味が凝縮されているのでしょう。

江戸の紀行文

2011-05-11 19:37:16 | 日記
  久しぶりに晴れた一日となりました。連休中は、雨まじりのはっきりしない
 天気で寒い毎日でした。それでも気温は低めです。サクラは開花していますが、
 どこか寒そうです。宇野ゆかりの皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

 「清源院の旅日記」を読んでいて、江戸時代の紀行文は面白いなぁと思って
 いたら、表題の「江戸の紀行文」という本があることを知りました。さっそく
 目を通してみました。

 著者は、板坂耀子さん(福岡教育大学名誉教授)で、江戸時代の紀行文研究の
 第一人者(特に女性の紀行文?)です。一時期、熊本の短期大学で講師も務め
 られたようです。

 この著作で、著者が伝えたいことは、次の3つであるといいます。
  1.江戸時代の紀行は面白い
  2.その面白さを理解するには、「豊かな情報」「前向きな旅人像」
   「正確で明快な表現」という、新しい評価基準で紀行を見直す
  3.江戸時代の紀行の代表作は「おくのほそ道」ではない・・・

 興味がおありの方は、あとは、実際に本を手にとって確かめてください。
    板坂耀子「江戸の紀行文」(中公新書・2093/2011年1月)
 特に、江戸時代の女流紀行の特徴として、抑圧された暗いイメージとは異なる
 ものがあって驚かされるといいます。確かに「清源院の旅日記」も多くの制約が
 ありながらも、いくつかの場面では屈託のない明るさ、自由さが表現されている
 なぁと感じました。社会上の制約はありつつも、やはり一人の女性として感じる
 ことは、いつの時代でも変わらないものと思います。

 「海辺の秋色」を紹介した「宇野ルーツだより」を発送しました。引き続き、
 復路の「青葉の山路」を作成していますので、出来次第送ります。

  連休中、帯広の宇野家の墓参りに出かける機会に恵まれました。
 宇野貞誠・桝江、宇野誠、宇野元子さんなどのお墓が、つつじヶ丘にあります。
 ちょうど天気がよく、エゾエンゴサクなどの春の花盛りでした。帯広の寺町さん、
 お世話になりました。ありがとうございます。

 
 

獣が町にやってきた

2011-05-02 18:49:43 | 日記
  連休の谷間。風が強く、雨降りの一日です。ここ2,3日、こんな天候なので
 自然観察にも足が向きません。西日本から関東にかけては黄砂とのこと。宇野ゆかりの
 皆さまの地域ではいかがでしょうか?

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                 獣が町にやってきた

       それは、これといって稼げる漁のない貧しい町だったが
       白砂青松の浜を誇りとして、共に助け合って暮らす町に
       ある日、こっそり訪れた人々が、町長に
       「まだ決まったわけではないが」と前置きして
       「あの獣を引き受けてほしい、ここで飼い始めたい」と耳打ちした

       「大丈夫か、凶暴だと聞いているが」町長が言う
       「大丈夫だ、絶対に逃げ出さないから」男たちは何度もくり返した
       「頑丈な檻に閉じ込めている、どんな災害にも壊れない」とも言った
       せまい町のことだ、東京からの珍客のうわさは
       あっという間に拡がり、町は騒然となった

       「安心できねぇ、外国では逃げ出したことがあるって聞いたぞ」
       「先祖代々の浜を壊す気か、漁ができねくなるべさ」
       「逃げ出したら、真っ先に襲われるのは子どもなのよ」
       「絶対に許さない!」町を二分した争いになって
       人々から、屈託のない笑顔が消えていく・・・

       「今後、10年間は、迷惑料として獣交付金を支給させていただく」
       町の予算とは、ひとけた違う数字が並んでいた
       「獣を管理するために、地元から1000人規模の雇用を約束する」
       「自然環境の保全には、じゅうぶんな配慮をさせていただく」
       作られたアセスメントの分厚い報告書が積み上げられ、さらに
       「町の振興プランですが、こんなのはどうでしょうね」
       机上に拡げられた青図、水産観光センター「マリンパーク希望」

       前の首相の構造改革の影響で、町の財政は逼迫していた
       高卒で若者が町を出て行き、子どもたちの声が消えていく
       その町に、ふってわいたような「いい話」
       「町の将来、発展を考えるとやむをえないな」
       町長たちから、想像力を奪っていく・・・

       やがて、太い道路ができ、資材搬入のトラックが行きかい
       青い松林が、白くなっていく、砂ぼこりで
       「ここが、安住の地なのか・・・」
       その獣は、檻の建設を静かに見つめていた、怪しく青白く輝きながら・・・
         
                              (宇野誠一郎、つづく)

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   雨降りの寒い日々ですが、植物たちは耐えながら花開く時を準備しています。
   被災地にも、本当の春が必ず来るものと信じ、早くそうなることを願っています。