<これも竹久夢二>
典型的な夢二式美人画は、細面のしなやかな姿で描かれている。下に
ある「入場券」の下のほうの絵などは典型的な夢二式美人画である。
しかし、挿絵画家としての夢二、ポスター画家としての夢二絵はあまり
見たことがないので、一見しただけではわからない。今日はその挿絵
やポスター画を数枚見ながら、イメージとの落差を探ってみたい。
<竹久夢二美術館入口風景>
<下の絵は典型的な夢二式美人画>
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< 童謡雑誌「金の星」に掲載された、野口雨情作詞
「子守唄」の竹久夢二の絵 >
( この絵には夢二式女性画のイメージがある。)
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<銀座資生堂で開催された「雛によする展覧会」の
ポスター(昭和5年)>
(直ちに竹久夢二の絵のイメージには結びつかない)
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<大正4年「婦人之友」1月号付録>
「手製半襟の図案」
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<昭和初期 東京銀座千疋屋広告図案>
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<婦人之友社発行雑誌「新少女」大正5年1月号付録>
「家族双六」画
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童謡童話雑誌「金の星(当初の名前は「金の船」)」は、大正
時代の童謡・童謡曲・童画・童話世界の指導的、先進的役割
を果たしたが、当時のメンバーを見ると、今でいうところの
「超一流」の作家ばかりである。このメンバーはすごい、の
一語に尽きます。
初代編集長 野口雨情
画家・執筆者
島崎藤村、有島生馬、岡本帰一、若山牧水
西条八十、沖野岩三郎、山本 鼎、竹久夢二、
志賀直哉ほか多数
<上記は童謡童話雑誌「金の星」の表紙。右下の
「子守唄」が竹久夢二画で、後は全部、岡本帰一画>
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<夢二の先入観としてのイメージ、夢二式美人画の世界>
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竹久夢二は天才的な画の才能を持っていますが
早稲田実業学校は4ヶ月で、自ら退学しています。
センチメンタルとか大正浪漫とか、恋多く、漂泊の
人生などといわれていますが、本当にそうだったの
でしょうか。
ともかく49歳11ヶ月で病死するまで、絵画・デザ
イン・詩・童謡の広い範囲にわたって能力を発揮
しています。作詞・絵ともに夢二作といわれている
「宵待草」の大流行によって彼のイメージは決定
づけられたのでしょう。
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<中庭の鯉を見ながら一休みしましょう。>
美術館の前の通りは
暗闇(くらやみ)坂といいますが、江戸時代からこの周辺は、谷や坂が
多いところで、昼なお暗いところから幽霊坂とか暗闇坂という名前が
ついたのです。小石川、上野周辺はものすごい数の「・・坂」があります。
逆に、上野の森は、身を隠す場所もないほど広いので、「忍ばず」と
いい、忍ぶが岡と呼んでいたのです。
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