おじんの放課後

仕事帰りの僕の遊び。創成川の近所をウロウロ。変わり行く故郷、札幌を懐かしみつつ。ホテルのメモは、また行くときの参考に。

龍燈鬼という箱舟

2024年07月21日 | 雑談

車に乗ったり、

海へ行ったり山に登ったり。

陽に焼かれながらスポーツしたり。

それぞれの小トリップ。

僕はそのどれも苦手(笑

ゲームはつまらないし、

本を読むのも、たるい。

なので連休でもとれない限り、

休日たいてい、寝過ごしからの、

静かな部屋のなかで、

頭の中の小トリップを

愉しんで終わりです(笑

日常からの離脱。

平日とは別の世界。

今回は、

前回ちょっと紹介した、

龍燈鬼さんのパンツ。

じゃない褌(笑

の周辺を探ってみましょうかと。

Wikiから拝借しました、

龍燈鬼さんの雄姿(笑

国内でも国外でも

パブリックドメインの写真だそうです。

できたら、後ろ姿もほしいんですけどね。

まずは

ご本人を知っていただかないと。

像の高さ2尺5寸(75センチくらい)。

頭まで?灯篭まで?よく分からん。

鎌倉(13世紀)作と言われるけど、

実際にその名前が文献に出るのは

1717年。実はかなり新しい。

顎に植毛跡あり。

現在、体に巻きつく龍は

改作されたものらしい。

取り付けに、体の一部が

削られたりしているとのこと。

牙と角は水晶製だったかも。

体には緑青の跡がある。

青鬼だったみたい。

問題のふんどしは純白(笑

(装飾品の)首輪や

腕輪をしていたかも。

手足は人体と同じ。

特に足の指には力が入ってて

台座を穿(うが)つほど

ガッチリと足をふまえている。

あと、ご覧の通りの筋肉美(笑

と、

ここまでが文献で

よく紹介されてる箇所ですが。

みなさん、上の写真を見て、

お気づきになりませんか?

ちなみに、こちらは、

対になっている天燈鬼さん。

同じくWikipediaから拝借しました。

パブリックドメインだそうです。

こちらの天燈鬼さんの造りは、

約束通りの造りをしてます。

おなかの辺りの筋肉の掘りかたから、

着物、髪の毛、鬼の顔、衣類、

足の開きや配置といった

細かいところまで、

日本の仏像と違和感がない感じ。

ひとりのアマチュアが

言うだけですけど(笑

普通、この2体の像は、

阿吽ということもあってか、

セットだと言われるわけですが。

その造りを見ると、

とてもセットとは思われない。

唯一、

阿吽になってるから対だ

と、言えるに過ぎません。

さて、みなさん、

お気づきでしょうか。

特に鬼好きなかたは、

この龍燈鬼さんの姿に

ビンビンと違和感を感じている

だろうと思うんです。

太もも。

ええ。太もも。

丸見えですよね。太もも。

股間と言ってもいいです。

これを13世紀の作ではなく、

18世紀初頭の

江戸の作と見た場合……

この、むき出しの太ももは、

ちょっと無いわ。ましてや、

パブリックな場面、しかも、

お寺のお堂のなかですからね。

そりゃあ、16世紀ごろからの

浮世絵の猥画を

知らないわけじゃないですけど。

あれはもう、当時を代表する

文化になってましたから。

それに、です。

18世紀の江戸ってのは、

元禄文化ですよね。

元禄文化っていえば、

医学(解剖学)から派生した

写実主義(というか理論主義)と、

知識の広がりが生んだ

達観というか、

清閑な美。

ところがこの美ってのが、

けっこう曲者で。

写実ってのは往々にして、

美しくない(笑

そこに密かなデフォルメが

生まれる余地があるわけです。

鎌倉時代の単なる写実とは違う、

味のある写実

とでもいうか(笑

お顔はまあ、置くとしても(失礼

この両鬼の造りは、

鎌倉じゃなく、

元禄文化だなと

僕は思ってます。

しかし、別途、伝承としては、

鎌倉時代までさかのぼる

何かがあったのは確からしく。

その何かがこの両鬼の

モチーフとなったのは

ありえない話ではないだろう。

特にその燈台の発想はね。

そして、さっき書いた、

太もも。

まんが日本昔話とかでも、

出てくる鬼は

太もも(股間)を隠してる。

これが獣皮(特に虎皮)になるのは、

確か江戸以降のことのはず。

それまでは、

パプアニューギニアのひとたちの

ちょっと昔のお祭りの衣装みたいに

蓑(みの)の下半分に、

その上から褌を〆た。

その点でも、

この両鬼の製作年代は、

世の中が言う鎌倉じゃなくて、

元禄文化期だろうと

僕は思ってます。

その常識に

まったく当てはまらない

龍燈鬼さんのお姿。

鬼じゃないんだな、と。

おそらく天燈鬼は、

この龍鬼鬼が先にあって、

これと阿吽にするために、

仏師が彫ったんだろう。

だから約束通りの姿になってる。

吽形の龍燈は静。

阿形の天燈は、いかにも動。

だけど歴史的には、

自由を感じさせる天燈鬼の造りは、

あってはならないモチーフです。

鬼は束縛されてナンボ。

建物の柱を支える鬼も、

四天王に踏まれる鬼も、

黙って耐えるの図が

約束となっております。

そういう約束事を踏襲しながらも、

太ももを隠さない龍燈鬼さん。

このひとは鬼じゃなくて、

奴隷なんだろう、と。

アーリアが、

美しい動物を仕留めて、

その首や皮を飾るように、

この像も美しく、

物言わぬ像です。

そしてもうひとつ、

この世の学者の

考慮しない要素が

あるわけで。

だけどこのブログでは

考慮しないわけにはいかない。

仏教は、

聖書のプロトタイプ

だということをです。

それで廃仏毀釈をやらせた。

そうしないとキリスト教が

進出できないからね。

で、

考えてみてほしいんです。

この龍燈鬼が、

聖書の登場人物だと、

思ってみていただきたい。

当時の奴隷は、

ふんどし一丁でした。

古代ギリシャの時代には、

それさえまとわぬ。

本人のためじゃなく、

ただ見る側を守るために、

そのふんどしは与えられたわけです。

彼らが支えたもの。

支えさせられたもの。

彼らが支えたこの世の宝物。

その燈篭は、

アークです。

そういう過去を知るひとたちは、

興福寺へ観光に来て、

この龍燈鬼の像を見て、

その支配者たる仏像が、

アーリアの姿だということを、

理解するわけです。

そしてこの龍燈鬼こそは、

私の祖先の姿なのだと。

そんな、

人の歴史を秘めたこの鬼の像。

鬼と言っても、

奴隷と言っても同じですけど。

そいつが、

由来不詳のパンツをはいてるわけ。

パンツってか褌だけどな(笑

ヘレニズム文化に

その痕跡を探そうと

思ったんですが。

そういやコイツら、

素っ裸だったわ、と(笑

古代オリンピックの風景とか、

ご存じのかたは納得でしょう。

そもそもアーリアだから、

パンツ知らないしな(笑

ん?!

あった。これか……

グーグル画像検索のキャプチャ

から、対象部分だけ。

パプアニューギニアの伝統行事

行事ってか、観光資源ってか。

「マッドマン」のみなさま。

その褌のうしろ姿をば。

左のように

腰紐の下で縛ってるっぽいのと、

右のように

縛らないで腰紐にかけただけのと。

どういうふうに着用してるかは、

ちょっと見渡したくらいでは

分かりませんでしたが。

おそらく葉っぱの両端を

内側に織り込んで

「もっこふん」のような形に

しているんだろうかと。

龍燈鬼さんは、おそらく、

四角いサラシを三角に折って、

対角線を巻いて腰紐を作り、

腰紐は縛らずに

脇へ挟み入れ、

残る頂点を

股間から後ろへと回し

腰紐に外から内へかけて、

インカのひとたちが

国技の球蹴りをするときの

衣装みたいに、

その頂点をくるりと

腰紐の下へまわして、

腰紐の内側から差し込んむ。

純白って言うんなら、

やっぱサラシでしょうが(笑

歴史的経緯からすれば、

大麻(ヘンプ)100%の

浅黒いキナリだったと思います。

蒸れないし涼しいし。

絵的には

やっぱ純白でしょうけど(笑

構造的には、

マッドマンのやつと同じですが、

こんな、

三角巾から褌なんて、

聞いたことが無いわ。

自分で言うのもなんだけど。

赤ちゃんのオシメは、

三角巾使うけど。

あれはインドのヨガとかで

着けるやりかた

(三角巾がまずお尻にあたる)

だからなぁ……

鬼のふんどしを

つらつらと見て回っても、

だいたい六尺か越中で、

三角巾から始まってるやつは、

僕はこれまで見たことがない。

龍燈鬼さん以外はね。

旧約のアロンが

聖所に入るときだけ着た

神官服としての麻のフンドシも、

いわゆる前張りで、

股の間へ布を回さなかった

んじゃなかろうかと。

今それが、

フリーメーソンの前掛けとして

残ってるなんて話も

いつか書いたような気がします。

龍燈鬼の作者はなぜ、

作者ってか依頼者だな。

なぜ、

この特殊な褌を

龍燈鬼に〆させたのか。

どうせなら、

ふんどしは本物にして、

毎年、注連縄のように

〆なおすとか(笑

実際、注連縄って

そういうものだしな。

鳥居の股につけるもの。

神社では三の鳥居、

つまり

遥拝所の出入り口につける。

そこから神棚の

神殿の出入り口につけるわけで。

そういう像であれば、

海の民が来た道々に

痕跡が残っているわ。

とあるひとたちが

鳥居を通れないのは、

股くぐり(敗北を認める)

になるからです。

ついでに言えば、この鳥居、

元々は三羽の水鳥だったんで。

鶴とか鵜とかね。

なので初期形態は

三輪の鳥居みたいなのや、

サントリヰの鬼門を守る

何とか言う神社の

上から見ると△のやつなわけ。

それをこの世は許せないから、

三つに割って

一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居

にしたり、

鵜だったのを

あの汚い鳥にしたりしたわけ。

烏って漢字は、

顔だけに白い部分のある鳥。

本来は鵜なわけです。

でもこの世は、

それを許さなかった。

熊野神社のお札が

あの汚い鳥だと思ってるひとに、

ご利益なんかないわけです。

と、まあ、

一応、原型らしい褌は

みつかったようですが。

今さらそれを世に出しても、

手遅れですわな。

だけどこうして、

小トリップするには、

もってこいの題材

ではありました。

(追伸)

龍燈鬼像のなかに

書付けが残されていたそうで。

まず依頼人が

「大法師聖勝」

という人物だと言い、

依頼の時期を、依頼人の

「生年五十一」

だと言う。

そしてこの書付けこそが、

龍燈鬼の初出(1717年)となる。

で?

という程度の

書付けかもしれないが。

興福寺という、名の知れた寺の、

しかも大法師という肩書きのある

人物なんだけれども。

その詳細は、

詳細どころか

存在そのものさえ

ハッキリとはしない。

ハッキリしないどころか、

記録そのものがないという、ね。

1717年に何者かが、

大法師にもかかわらず

身元不明な聖勝なる人物を

創作したというのは、

ありうるでしょうな。

なぜ「聖勝」なのかは、

聖をセイントと読めば、

大天使ミカエルの名前は

その筋のひとたちであれば、

素直に出てくるところでしょう。

もっとも、ミカエルは、

マリアを孕ませた

ガブリエルに比べたら、

預言者エリヤと同じくらい、

歴史の薄い登場人物で。

新約聖書の時代になってから

その名が知られるようになった。

51は無論、数え年なので、

今風に言えば50歳。

新約聖書で有名な数字と言えば、

「汝五十にもならぬに神を見しか」

ですな。

そういうメッセージが、

この龍燈鬼に託されているわけです。

龍燈鬼の、もの言わぬ姿とともにね。

周りが神神言ってもてはやすのを、

いつまで一緒になってやっているのか。

その神とやらの実際を見なさいと。

まあ、ね……

もしも龍燈鬼さんが、

この不思議なフンドシを

着けていなければ、

僕はここまで

関心持たなかったなぁ、と。

(追記2)

この聖勝という名前について、

仏教大学の植村さんというかたが、

欄外での私的な考察で、

平康頼のペンネーム

性照(せいしょう)と、この

聖勝(せいしょう)との

音の一致を指摘されてます。

もちろん、当の平康頼が、

龍燈鬼像の誕生と直接

関わったわけではなく。

まあ最大いって、

1717年の書付けを残した人物が、

この像と平康頼とを

関連付けるためですけれども。

この平康頼、島流しの折に、

面白い辞世の句を残してます。

  つひにかく

  背きはてける

  世の中を

  とく捨てざりし

  ことぞくやしき

ここまで出来上がってしまうと、

1717年の書付けを残した

何者かの意図も、

現実味を帯びてくるなぁと。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸せな時間

2024年07月21日 | 雑談

昨日載せた

ニッコニコな奴の下の

白いやつですけれども

(まだやってる(笑))

今朝起きがけに

うとうとしながら

あれ?でも、

長石ってけっこう硬い。

こんなツルツルになる?

なんて、とめどなく

考えてたんですが。

そういえば何か、

歯の感じに似てるなぁと。

歯。アパタイトですか。

あー、これ、

貝殻の成れの果てや……

なんて、

ひとりで楽しんでました。

その横のは砂岩でなく、

汚れた長石だなぁ……

素人が確定診断するには、

薄く削って

偏光顕微鏡で見るよりなく。

「だなぁ……」

なんて思いながら、

判断のつかないことを

頭のなかで

誰にも邪魔されずに

やってました(笑

なんか、ね、

たあいもないですけど、

こういう

ムフフ(=`ェ´=)

な時間って、

幸せだなぁと。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒトが大脳を発達させたのは

2024年07月21日 | 雑談

今の50代のひとは、

ちょうど、

この世が裂けたとき

の世代だから、

この世ではないものを

垣間見ちゃった世代

でもあり。

それが何かは

ハッキリとは分からないけど、

この世以外の何かがあることは

知ってる世代で。

そしてこの世はほころびを縫い、

至上最長の好景気を醸して。

ひとびとを再び魅了した。

それがまた裂けちゃったのが、

今の10代のとき。

しかしもう、

教育制度も社会も

それらの中身もまったく

変わっていたんで。

言いかたを変えれば、

教訓は生かされて、

今の10代はおそらく、

この世ではないものを

見ていない。

市販薬をもてあそぶ

原因は同じでも、

今の50代と10代とでは、

理由が違います。

10代はこの世ならざるものを

アニメやゲームで

与えられている。

それは、

この世ではないものとは

違うもの。

だからおそらく、

今の50代と10代とが、

お互いを

再発見することはない。

互いに近づくことは

ないんだろう。

50代は幻想のなかで、

10代は空想のなかで、

日々をやりすごすほかない。

だけどそれが、

どこかほかの星ではない、

この地球での

唯一可能な

幸せなんだと思いますわ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする