岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「星座α」16号作品批評 茂吉と佐太郎の歌論に学んで

2018年06月01日 00時05分45秒 | 作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで
「われ」に引きつける


 短歌で「素材をわれに引きつける」と言うが、逆に言えば、素材に対して作者が一歩近づくということになろう。


 ・地下を流れる水流の音を聞く歌


 マンホールの上であろうか。自分の足元に激しい音を聞いた。驚いただろう。ある種の不安定感でもある。それを心の動揺と結びつけた。対象が作者の足元にあり、心情も切実である。


 ・日々の単純が得難いという歌


 「無事是名馬」という。日常の平穏は単純だが、得難い。また、仕事上の問題を抱え「単純に解決できるのに」と思っているかも知れない。いずれにせよ作者のごく近いところを深く掘り下げている。


 ・離れ住む老母を思う歌


 実母であろう。作者に最も近い人である。母の消息を案ずる愛情が感じられる。自然、人間、社会への愛情が作品の根底には不可欠と考える。


 ・(退職後の)余白の時間を埋める歌


 退職したのだろうか。生活が一変して、時間的余裕が生まれた。しかし、それは心を満たさない。会社員が退職ののち生きがいを失うのと同じ。生きる目的を探している作者像がここにある。


 ・やさしさを演じ続けて苦しさが増す歌


 演ずることは、偽ることに通じる。短期間なら誤魔化せるが、いつかは破たんする。苦しいだろう。作者の葛藤がここにある。

 ・立春をすぎてガラス切子の光に力づく歌


 春が近づき活力の湧いてくる自己の心情を美しく詠んだ。佳詠である。愛情と美しさが必要な要素だ。



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