・天(そら)のいろ顕(た)ちくる朝のいとまにてわれのこころを静かならしむ・
「群丘」所収。1961年(昭和36年)作。
先ずは佐太郎の自註から。
「島木赤彦の歌に『冬とおもふ空の色ふかし』という句がある。・・・ありふれた日常嘱目だが、これだけを感じただけでも一首の歌となり得る内容だ・・・このあたりの観入の方向がここにも出ている。朝の空は、夜が明けると同時に白々明けから徐々に空の青さが立ってくる。自然の機微を見るものは敬虔になる。」(「作歌の足跡-海雲・自註-」)
「夜が明けて青天の色がおひおひに濃くなって来ることを言った。刻々に動く色を見ながら敬虔に一日を迎へるのである。天が白むとか白々明けるとかは常套だから比較すれば上句はやはり現実を見てゐるだらう。」(「及辰園百首自註」)
佐太郎は上の句を盛んに気にしているが、下の句に主観が詠まれ、結句の「静かならしむ」が表現の特徴だ。論理的に言えば、「心を鎮める」のは空ではない。なにがしかの脳内物質分泌のはたらきで、そのきっかけが「空を見た」という経験である。
科学的説明はどうでもいい。「朝、次第に明けてくる空を見上げた」「そのとき心が鎮められた」ここが感動の中心である。「限りない透徹がゆらいでいる」由谷一郎著「佐藤佐太郎の秀歌」。
同書は続ける。
「『群丘』はこの敬虔、荘厳な響きをもつ一首で終る。・・・その出版に際しての、『この6年間に、ものを見る眼がすこしづづ的確になり、言葉にも年輪のやうなものがいくらか加はってきて、自分では[歩道][帰潮]につづく収穫のやうな気がしてゐます』という言葉をつけくわえておくことにしよう。」
歌集「群丘」の最後にふさわしい一首だ。