岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

角川「短歌」6月号:「特集・挽歌」

2012年05月25日 23時59分59秒 | 総合誌・雑誌の記事や特集から
特集では、三人の歌人が論考を書き、宗教学者、民俗学者、歌人の三人による鼎談が行われ、それに「現代挽歌秀歌選四十五首」が選ばれている。そのなかでも鼎談に注目した。「日本人にとって挽歌とは何か」というタイトルが示すように「文化」としてとらえているように思われ、三人の顔ぶれにも興味をひかれたからである。



:「日本人にとって挽歌とはなにか」:(=議論の内容が多岐に渡っているので、参加した人物ごとにまとめてみた。)



・山折哲雄(宗教学者)

「吉本隆明が亡くなったが、すれ違いが多かったにもかかわらず亡くなったということを聞いて、現代と吉本隆明の全体をどう捉えるか、どういう言葉で表現するかということを瞬間的に考えて或ることを言った。これは(上野が言ったような意味での)挽歌になっていた。」

 (=上野はその直前に薬師寺管主のした話を例に「死者との対話」について発言している。)


「大切な人が亡くなって初めて出てくる言葉というか、歌というか、さきほどの話になる。」「あれだけの大災害の現場に行くと自分の感情が揺れるし乱れる。それを整えて、ある言葉にしようとすると短歌という型に頼らざるを得ない。型に頼ると、感情はある程度整理されて流れる。その感情の流れを受け止めてくれる器、その典型的なものが『万葉集』の世界であると思う。だから、自然にそういう歌が浮かび上がってくる。」「(一年経って震災忌を迎えると)災害の全体像が何となく見えてくる。人間の運命の全体がある程度、見えてくる。・・・ここで言葉に表現するにはどうしたらいいかという問題が出てきて、短歌的抒情だけでは全体を捉えることができないのではないかという感覚が僕にはある。」

 (=もっともだ。短歌は抒情詩であり、ルポルタージュやノンフィクションではないのだから、災害の全体像を示したり原因の解明をしたり、また責任の所在を明らかにする役割を果たすことは出来ない。短歌には短歌の守備範囲がある。山折が例に挙げた俳句が「全体を鷲づかみ」にしているとは、僕には思えない。)


「(『きけわだつみのこえ』に)危機的な状況で上官の罪を負って死ななければならない学徒兵の歌が出てくる。(死に瀕して)短歌的抒情というものが、・・・宗教的な意味での重要な機能を果たしている。死とは何か、戦争とは何か、人を殺すとは何か、そういう究極の問いを問い詰めないままに、大事な問題は最後の段階で短歌的抒情で乗り越えてしまう。それをプラスと見るか、マイナスと見るか。あるいは独自性と見るか、日本の後れているところと見るか。まだ決着がついていないような気がする。」

 (=これには吉本隆明が答えている。「短歌や俳句といった日本の伝統文芸の評価に西洋文学の価値基準を持ち込んではならない。短歌や俳句には、西洋の文学にはない味わいがある。」)


「日本の歴史とか伝統とかを考えてみると、自殺文化と言っていいようなものがどうも内在している感じだ。(例えば武士の切腹、乃木大将、三島由紀夫)・・・戦争が深刻化し大量死がつみ重ねられていく時代の中で、初めて彼(=斎藤茂吉)は万葉詩人になる。だから、国を危うくするのが短歌だという批評にもつながっていく。」

 (=武士の切腹と、短歌や日本の伝統文化とを結びつけるのは、やや乱暴な議論だ。戦争の問題もしかり。すでにこのブログの記事にしたように「短歌(和歌)と、武士道や偏狭なナショナリズムとが結びついた」のは短歌の「マイナス面」だが、それは短歌という詩形にあるのではない。武士道や偏狭なナショナリズムと結びつかない短歌を詠めばそれでいいこと。斎藤茂吉のことについては「負の遺産」なのだ。)


「人生五十年時代の人生モデルは、死生観という言葉だった。これには二つの意味がある。一つは死が生に先立っている。二番目は生と死を同じ比重で捉えて、生きることは死ぬことだ、死を覚悟することが生きることだと。」「(急速に人生八十年になった現代に)かつての人生五十年時代の死生観をどう取り戻すか。これにはそうはいかないだろうという不安感が私にはある。」

 (=不安を抱くには及ばないと僕は思う。とどのつまりは「人生八十年をどう生きるか」の問題だ。結局はどんな人間も死ぬ。死なない人間はいない。だが、どんな人でも「如何に生きるか」を考えている。死はその先にある。生前葬や高齢者の身辺整理、遺言など死後のことを見据えながら、生きている人が多数派だと僕は思う。逆説的な言い方になるが、「生きることは死ぬこと」「死ぬことは生きること」だ。心配には及ばない。)




・上野誠(民俗学者)

「死んだ人と会話をするということが挽歌の一つのありようではないか。」「短歌体という詩型そのものが、生者への恋歌(相聞)、死者への恋歌(挽歌)を表現するために、七世紀代の前半の人たちが作った詩型なので、生死を歌う詩の形なのだ。」

 (=その通りだと僕も思う。ゲーム感覚の短歌はこの際論外だ。)


「『万葉集』が盛んな時代は決していい時代ではないのかも知れない。(明治維新・太平洋戦争と多くの人間が命を落とした時代)」

 (=それはかなり事実とかけ離れている。正岡子規の「万葉尊重」は旧派和歌へのアンチテーゼ、マニフェストであり、広義の明治維新の時期にもはいらない。太平洋戦争は「短歌とナショナリズムの問題」だ。問題の次元が異なる。)



・水原紫苑(歌人)

「(切腹と和歌の結びつきは)武士の世の中になってからではないか。」「歌うということは魂を引っ張ることではないか。死んでいようと生きていようと、人間でなくて動植物、または無生物であろうと、その魂を歌によってこっちへよぶわけ。」

 (=かなり宗教的な意味合いが強いが、言わんとすることはわかる。ただ肝心の歌人が余り発言しないのがなぜなのか気になった。)


 最後に秋山佐和子選による挽歌四十五首のなかから数首を挙げる。

・あかつきの風白みくる丘蔭に命絶ゆく友を囲みたり・宮柊二

・くろぐろと水満ち水にうち合へる死者満ちてわがとこしへの川・竹山広

・海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も火夫も・塚本邦雄

・ふかぶかと雪閉ざしたるこの町に思ひ出ししごとく「永霊」かへる・斎藤茂吉

・みいのちは今日過ぎたまひ現身の口いづるこゑを聞くこともなし・佐藤佐太郎




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