岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

佐藤佐太郎38歳の孤独と貧困

2010年01月03日 23時59分59秒 | 佐藤佐太郎の短歌を読む
・明けくれの貧しき吾と思ふなり人参の花ここにも咲きて・

 第五歌集「帰潮」所収。佐太郎は11月13日生まれだから、正確には37歳かもしれないが、このブログでは誕生日を迎えた年齢をタイトルにしている。

 さて何度か書いてきたが、「帰潮」を出版した頃の佐太郎は経済的にどん底にいた。

 年譜によると次のようになる。

1945年(昭和20年):岩波書店を退職。郷里に帰る。

1947年(昭和22年):出版社を興すも失敗。

1949年(昭和24年):養鶏を傍業とした。

1952年(昭和27年):「帰潮」上梓。第三回読売文学賞受賞。

 ここで脚光をあびるが、授賞=著述業として生活が成り立つわけではない。(受賞者全員が著述業につけるのなら、毎年大量の著述業者が生まれる。小説・詩・俳句・エッセイと多くのジャンルがある。日本の出版業界にそんなに多くの著述業者を抱えるほど作家が不足している訳ではない。)

 「佐藤佐太郎短歌入門:田中子之吉著」によれば、佐太郎の生活が経済的に楽になったのは、1953年(昭和28年)に毎日新聞歌壇選者となってからで、それまでは、田中子之吉自身が米を届けたりしていたという。

「君。いつもすまんね。まあメシでも食っていきたまえ。」

食卓には麦だか芋だったかを混ぜたご飯が出てきた。「終戦後何年もたっているし、世間では白い米をたべるようになっているのに、先生の食卓に白いご飯はなかった」と同書で述べられている。

 佐太郎には苦難の時代。「人参の花ここにもここにも咲きて」の下の句が、心にしみる。




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