岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

再読の本のページの傍線と異なる箇所に太き線引く

2009年10月15日 23時00分00秒 | 岩田亨の作品紹介
この作品も「運河」の <作品批評>で取り上げられたもののひとつだ。

 書物の本文に傍線を引くのは意外と難しいもの。そんなことに焦点を当ててみた。

 難しさその1。読んでいる時は何もかも大切に思えて、結局本文全体に線を引くこともあった。これでは引かないのと同じ。あとから読んでも何が大事で何がそうでないか判別できない。

 その2。古書店で本を買うとしばしば感じるのだが、傍線がひいてあるところに納得ができないのである。「トンチンカンなとこるに傍線を引いている」と言えば元の持ち主に申し訳ないが。

 そこで大切な本は二度読みして、鉛筆で線を引くことにした。本を読むには、詠む目的がある。そしてその目的(問題意識といいかえてもいいが)は時とともに変化する場合がある。

 だから、最初は一番知りたいことに傍線をひく。当然一回目と二回目では読みの深さが違うから、着目するところは異なってくる。短歌の入門書などの場合は、歌境の進展によって着眼点が変わる。かなり前に読んだ書物の傍線などを見ると赤面ものだが、時間の経過とともに読みが深まったことも実感できる。

 価値ある本は二度三度読むのがよいようだ。ちなみにこの一首のなかの本は、尾崎左永子著「現代短歌入門」である。



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