岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「星座α」22号:作品批評・茂吉と佐太郎に学んで

2020年10月11日 23時06分24秒 | 作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで
「星座α」22号作品批評

 今、詠えるものを印象鮮明に

 印象鮮明に、というのは茂吉の言葉だが、叙景歌なら景が顕つように、心理詠なら心情が鮮やかに伝わるようにしたい。

・(ウイルスに脅える5か月の歌)

・(マスクをつける歌)

・(コロナ禍でキャンセルの増える歌)

 新型コロナウイルスを素材にしたもの3首。感染拡大が深刻なだけに、こうした作品は数多く世に出るだろう。類歌も多くなろう。しかし脅えるだけでなく心情を表現し続ける意味は大きいと考える。

・(汚れなき子どもの瞳の歌)

・(坂道を自転車で駆け上がる少年の歌)

 子どもを素材にしたもの2首。こどもの在りようと、作者の心情が鮮明に伝わって来る。後者、動詞が多いが、それがペダルが回転数をあげておるようで効果的と思う。

・(庭先の紅葉の葉に光があたる歌)

・(一面の蓮田を渡る風の歌)

 叙景歌を2首。景が鮮明に顕っている。又、前者は視覚、後者は聴覚を活かしている。抒情詩を創作するには、語感を研ぎすます必要もある。

・(諦めと悟りの語源が同じという歌)

・(満月の夜、亡母と昔語りする歌)

 境涯詠を2首。作者自身が水からの生き様(いきよう)を凝視するのも又重要である。佐藤佐太郎の自己凝視のあり方に学ぶことは多い。

 今回叙景歌が少なかった。だが、目に見えるものを的確に表現出来ずに、心理や社会を表現し難かろう。



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