正岡子規の弟子でありながら子規より年下。旧派和歌の出でありながら子規と巡り合ってからは写生派。斎藤茂吉の師でありながら激しい論争をした。かと思えば、茂吉の最大の庇護者であった。そんな伊藤左千夫ならではの作品だと僕は思うのですが。 . . . 本文を読む
短歌を詠み始めて間もない頃、寺山修司の歌集を探し回ったことがあります。それは、短歌作者や短歌愛好家にとどまらず広く読まれていたからです。何故かくも多くの人に読まれたのか。これを知りたかったからでした。 . . . 本文を読む
近藤芳美の代表歌です。「社会詠」ですが、斎藤茂吉や佐藤佐太郎とはかなり表現方法が異なります。しかし、現代短歌の秀歌と言えるでしょう。政治的プロパガンダと呼ぶ歌人もいますので、「プロパガンダ論」も少々。 . . . 本文を読む
この記事の作品は塚本邦雄の代表作のひとつです。「斎藤茂吉と塚本邦雄(1)(2)」の記事 <カテゴリー「斎藤茂吉の短歌を読む」> にも書きましたが、塚本邦雄の作品には強烈な寓意があります。その特徴をよくあらわした一首だとも言えると僕は思います。 . . . 本文を読む
歌人それぞれには代表作というものがあります。ここでとりあげる作品は岡井隆の代表歌ですが、自註によると思わぬエピソードが背景にありました。それは又、短歌と俳句の相違点をあらわしているように僕には思えるのですが、どうでしょうか。 . . . 本文を読む
北原白秋。すぐれた歌人であり詩人でもあります。「春の鳥な鳴きそ鳴きそ・・」の歌も有名ですが、僕は「林檎の香・・」の歌が相聞歌の傑作だと思います。現代歌人では岡野弘彦の「白きうなじ・・」でしょうか。僕の「相聞歌考」です。 . . . 本文を読む
1960年代末、学生運動の激しいとき、岡野弘彦は学生を相手に夜遅くまで話し合ったそうです。大学の「学生担当」だったのでしょうから、いわば学生をなだめる側にまわったことになります。ところが岡野弘彦の心の中はただ、「なだめる」のではなかったようです。 . . . 本文を読む
短歌における「写生」を唱えた正岡子規。「薔薇の芽の歌」はあまりにも有名です。時代は明治。今から見ればとりたてて新しさがある訳ではありませんが、当時としては画期的だったでしょう。そのあたりのお話です。 . . . 本文を読む
若山牧水の歌としては最も人口に膾炙しているもののひとつ、「幾山河・・・」の歌。語り尽くされている感もありますが、ここでは少し変わった角度から論じてみたいと思います。散文・近代詩・短歌・俳句の比較という形で。 . . . 本文を読む
「虚=詩的真実(フィクション)」をめぐって、佐藤佐太郎と意見を異にした土屋文明(「写生と写実」「虚と実」の記事「写生論アラカルト参照」。象徴性の強い佐太郎の短歌と対照的な一首です。初めて読んだときと、しばらくたったときではかなり違った印象をもった作品です。その印象の違いとは? . . . 本文を読む
自分の表現方法と違った傾向の歌を読むことは、しばしば新しい発見をもたらします。まして、「近代の秀歌」といわれる作品やその作者の作品群を読むことは。中国の古い言葉にもありますね。「敵を知り己を知れば、百戦危うからず」。これを「他人を知ることによって、己を知る」と僕は読み変えています。 . . . 本文を読む
小学校6年生の国語の教科書にあった歌です。「百人一首」しか知らなかった僕には、これはひとつの衝撃でした。心に深く刻み込まれている一首。今もときどき、そのときの驚きを思いだします。 . . . 本文を読む