うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

Dramatic 10.16

2006-10-16 23:15:28 | 雑記
7年前の1999(平成11)年10月16日の今頃、私は当時勤務していたバス会社で遅番勤務を終えて帰宅している途中である。いや、もう帰ってるかな?いずれにせよ、かなりダークな気分。それというのも、この日の深夜、祖母が他界していたからである。

前日の15日、ダイヤ改正のため営業所泊まり込み…のはずが、職場にかかってきた父からの電話で事態は急変した。

「おばあちゃん、さっき血圧が急降下して危なかった。でも今は持ち直したから、ムリに帰ってこなくてもいいよ。とりあえず報告だけ」

祖母が胃ガンで療養中であることは事務所の人たちも知っていて、横で聞いていたS先輩が「いいの?帰ってあげた方がいいんじゃない?」と言い、「イヤ、一応落ち着いてるみたいですから、このまま泊まりますよ」と言うと、それを聞いていたH副所長が「そうはいかん。こっちは心配要らないから、早く帰ってあげなさい」とダメ押しの一言。そのお言葉に甘え、帰らせてもらうことにした。駅まではバスで出たが、ふと胸騒ぎがしてタクシーを拾ったのだが、思えばこの選択が良かったのだ。家に着いたのは日付も変わって16日の午前0時20分頃。ドアを開けた途端、何やら騒がしい。イヤな予感がした。母と妹が出かける支度をしていたのである。

「アンタちょうどいい時に帰ってきたわね。おばあちゃんまた危ないって。今から病院に行く支度してたとこよ」

マジ!?私は荷物を放り出し、支度に手間取っている母と妹を差し置いて、自転車で祖母が入院している近所のT病院にすっ飛んでいった。病室に飛び込んだのはちょうど0時30分。医師が祖母に懸命の手当を施しているが、祖母の顔は既に死相が出ている。祖母の冷たい手を握りしめていると、安心したかのように荒かった呼吸が静かになり、心拍数もみるみる下がりはじめ、0時41分、とうとう全ての機能が停止した。
私が来るまで待っていてくれた優しさと、私の誕生日の前日に亡くなるという空気の読め無さが、まことに祖母らしい最期である。病院から職場に電話をかけて「おかげさまで間に合いました。16日の遅番は出ますので…」と報告した。

ちなみに、母と妹は散々手間取った挙げ句、祖母の最期に間に合わなかった(爆)。

時間はさらに遡って31年前、1975(昭和50)年10月16日の今頃。母は横浜の実家で祖父母と3人で過ごしていた。父は仕事中。私は母の腹の中で、この世に飛び出すのを今や遅しと待ちかまえていた(?)。予定日より少し早かったらしいが、母は「腰がかなり重くなってきて、そろそろ来るかな~と思った」と当時の状況を語る。この約3時間後、タクシーで近所の産婦人科に運ばれた母は一晩中陣痛と闘い、翌17日の午前8時48分、私を出産するのであった。

同じ10月16日でも、180度違ったドラマが展開されたもんだねぇ。
コメント
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