2012年2月5日、三社参りの最後は高田馬場駅から早稲田まで歩いて穴八幡に行った。早稲田通りに面した坂を登ると神社の横に出た、そこに昔の界隈の絵が展示されていた、江戸時代の様子らしい。社伝によれば、1062年、奥州鎮圧の凱旋の途中、源義家が日本武尊にならって兜と太刀を納め八幡神を祀ったのが始まりとされる。江戸時代に僧侶・良晶が草庵を築こうとしたときに大きなほら穴を発見し、そこに金銅の阿弥陀如来像が立っていたという故事から穴八幡と呼ばれるようになった。
社殿の横から入ってしまったので、一度楼門の外に出てから入り直す、境内は広く社殿も立派。境内の右の方には何故か大きな布袋様が座っておられた。参拝後は楼門から出て石段まで来ると流鏑馬の像、”高田馬場の流鏑馬”は江戸時代に始まり、今は保存会により戸山公園内で毎年行われている。石段を下りると、鳥居の横には「一陽来復」のお守りの看板、冬至の日にこのお守りを頂いて家の中の高所に貼ると金運に恵まれると言う。ここからは地下鉄の早稲田駅が近かった。
江戸時代の様子
楼門
境内
社殿
拝殿正面
布袋様
表参道
石段
流鏑馬の像
表参道入口
社殿の横から入ってしまったので、一度楼門の外に出てから入り直す、境内は広く社殿も立派。境内の右の方には何故か大きな布袋様が座っておられた。参拝後は楼門から出て石段まで来ると流鏑馬の像、”高田馬場の流鏑馬”は江戸時代に始まり、今は保存会により戸山公園内で毎年行われている。石段を下りると、鳥居の横には「一陽来復」のお守りの看板、冬至の日にこのお守りを頂いて家の中の高所に貼ると金運に恵まれると言う。ここからは地下鉄の早稲田駅が近かった。
江戸時代の様子
楼門
境内
社殿
拝殿正面
布袋様
表参道
石段
流鏑馬の像
表参道入口