「五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。」ルカ12:6
イエス様の時代もすずめはありふれた値打ちのない鳥だったようです。そのような小さなものすら、神様は忘れることなく顧みておられます。これは大きな慰めであり、励ましです。あなたがどんな者であろうと、神様は決して忘れないどころか、すずめよりも勝ったものとして取り扱ってくださいます。この神様を信じ、信頼しなければ、誰を信じることができましょうか。(KE)
「するとイエスは言われた、『カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい』。」マルコ12:17
ローマ時代の貨幣は皇帝の肖像が刻まれていました。この世の富が誰のものであるかのあかしです。だから、イエス様は税金を納めよと言われました。同時に、私達は神様の肖像、神様の像が刻まれた存在です。私達を創造し所有するのが誰であるかを表わしています。あなたは神様の手に握られていますか。そうでなければ、神様に所有権を返してください。(KE)
「ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。」第一ペテロ2:23
死にいたるまで従順であられたイエス様の姿です。「正しいさばきをするかた」をしっかりと見つめて生きること、これが私たちの倣うべきことです。感情や情動にまかせて損得・利害に振り回されているかぎり、主の救いに生きることは出来ません。今日、あなたは何を見ていますか。心の目をひらいて、主を見上げつつ、イエス様に倣う者となってください。(KE)
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いてくださることとを、必ず信じるはずだからである。」ヘブル11:6
神様に喜ばれる人となりたいと願って、生活を立て直し、行いを慎み、努力しようとします。しかし、人がどんなに努力しても聖人君子になることは出来ません。また、神様はそのようなことを喜ばれるのではありません。みことばのように、神様を信じていっさいをゆだねきって生きること、これこそ神様に喜ばれることです。(KE)
Photo by 輝子さん
十字架のイエス・キリスト
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