草むしりしながら

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草むしり作「わらじ猫」前16

2020-01-23 06:59:54 | 草むしり作「わらじ猫」
 草むしり作「わらじ猫」前16

㈡吉田屋のおかみさん⑩

「わぁ」
 太助が落ち葉を熊手でかきだしていると、長いものが目の前に落ちてきた。マムシだと思い、驚いて飛び上ってしまった。信二が紐を放り投げたのだ。よく見ると出掛けに取り上げられた、独楽の紐だった。

「独楽回しでおいらに適う奴なんか、この町内には居ない」
 と自慢するだけあって信二いつも独楽を回している。おかげで白かった紐が、今では手垢で黒光りしている。表面も擦り切れてまだら模様になっており、蛇に見えないこともない。

「坊ちゃん、駄目ですよ。そんなことしゃ。独楽の紐じゃありませんか。さっきおかみさんに取り上げられたのに、いつの間に持って来たのですか」
 信二はおなつが止めるのも聞かずに紐を拾いあげると、今度はクネクネとうねらせながら、太助に向かってまた放り投げた。

「坊ちゃん、脅かしっこなしですよ」
 太助は心底蛇が苦手のようだ。紐だと分かっていてもつい逃げてしまう。調子に乗って紐をくねらせながら太助を追い掛け回す信二。止めようと信二を追いかけるおなつ。
 
 お仲は子どもの放り投げる紐を本気で怖がる太助の様子が面白くてならなかった。太助が植え込みの中から掻きだした落ち葉を竹箒で掃きながら、笑いをこらえるのに必死だった。好意でやってくれているものを、笑っては悪いような気がしたからだ。

―こんな所にわらじがある。
 落ち葉の中に、鼻緒の切れたわらじが片方混ざっていた。おかしなものがあると思い、手に取って見ようとしたときだった。信二がまた紐を投げつけたようだ。太助が大げさな身振りで逃げ回っていた。悪いと思いながらも思わず笑ってしまった。ちょうどそのとき植え込みの中で、ガサリと音がしたのだが、気がつかなかった。

「お仲が笑っているよ」
 賑やかな裏庭の様子を縁側から見ていた大奥様は、三人の様子を楽しそうに見ているお仲に気づいた。
 
 お仲は大久保屋の下働きの女中として、奉公に上がってから五年近くになるが、今までひと言も口を利いたことが無かった。子どものころ両親と死に別れ、親戚をたらいまわしにされて育ってきたようだ。つらい思いを黙って耐えてきたからだろうか、それとも何か心に深い傷を負ったのだろうか。いつも泣き出しそうな顔をした娘だった。

 それでも口を利けない分体がよく動く。朝一番に起きてから、夜最後に戸締りをして眠るまで、いつも体を動かしている。その働きぶりはすぐに大奥様の目に留まり、今では何かにつけて「お仲、お仲」と名指しで用事を言いつけられるようになった。しかし相変わらず口を利かず、泣き出しそうな顔も変わらないままだった。

―いつか喋れるようにしてやりたい。
 大奥様はお仲の笑い顔を見ながらそう思った。
「お秀、お仲に魚屋さんにもお昼も出すように言っておくれ。それからおなつにも卵焼きをつけておやり」
 大奥様は準備の整った膳の前に座った。吸い物椀の蓋を開けると、嬉しそうに鯛の潮汁に口をつけた。鯛の潮汁は大奥様の大好物だった。

 帰りは籠でお帰りと、大奥様も言ってくれたのだが、いたずら盛りの信二が籠の中でおとなしくしているはずがない。けっきょく歩いて帰ることにしたのは、これから起こる騒動を少しでも先に延ばしたかったからだ。

―どっち道、嫌われるのはわたしだ。
 おかみさんそう呟いて、大久保屋を後にした。
 大奥様が見送りにお仲を付けてくれて、太助までもが送ってくれることになった。今日はもう仕入れた魚が全部はけてしまったそうだ。

 子どもたちは機嫌よく歩いていたのだが、途中からは太助の背中に信二が、お仲の背中にはお里が負ぶさって寝てしまった。お糸のほうは疲れた様子も無く歩いている。いやどちらかといえば上機嫌で、スタスタと歩いている。

  お糸は帰り際に大奥様に頂いた,大久保屋の袋物が嬉しくてしょうがないのだ。誰かに見せたくてしょうがないようすだ。ちょうどいい具合に同じ町内の味噌屋の娘とばったり出会い、これ幸いにとばかりに娘の家に遊びにいってしまった。

「今、帰りましたよ」
 おかみさんが勝手口から声をかけるとタマが飛び出してきた。
「おやまぁ、ずいぶんと沢山産んだね」
タマの後からこどもたちがヨチヨチと続いて出て来た。
「いったい何匹いるのだろうね。ひい、ふう、みい…………」
「お帰りになっておいででしたが。気が付かなくて申し訳ございませんでした。おやまぁ、タマずいぶんと多いね」
 慌てて迎えに出たお関もタマの子どもを見て、驚いたように大声を上げた。

「しぃー」おかみさんは口に人差し指を当てると、お関に眠ったこどもたちを見せた。
「なんだいタマ、もうハチのところに連れて行けって言うのかい、ちょっと早いんじゃないか」
 いつものように太助の桶の中に子どもたちを入れようとするタマに、太助が声をかけた。いつもは子どもたちにも仔猫を抱かせてやるのに、今度はやけに急いでいる。仔猫もまだ乳離れには早い気がするのだが。

「痛ぇな、分かった、分かりましたよ。ハチのところに連れて行きゃぁいいんでしょう」
 余計なこと言うなと言いたげにタマが、太助の足に噛み付いたのだった。
仔猫は全部で5匹生まれていた。どれも皆タマと同じように脚の裏の肉球に黒い部分があった。タマと同じように鼠をよく捕るようになるだろう。

「おなつ、今すぐに大久保屋にお行き。行って大奥様に仕込んでおもらい。このことはタマが決めたのだよ」
 子どもを運び終わったタマが、おかみさんの足元にじゃれ付き始めた。
「おやタマわたしにお礼のつもりかい、嬉しいね。これから子どもたちに恨まれるって時に、お前はわたしの気持ちが分かってくれるのだね」

 おなつは深々と頭を下げると、身の回りのもの包んだ風呂敷包みを両手で抱えるようにして、吉田に背を向けて歩き出した。来たときと同じようにタマを肩に乗せていた。

 何度も何度も後を振り返るおなつの姿が見えなくなるまで、おかみさんは見送っていた。

 おなつの背中が揺れるたびにタマの尻尾が揺れて、おかみさんに「さようなら」と挨拶をしているようだった。

「お関、お前もわたしが厄介払いをしたと思うかい」
 おかみさんは、同じようにいつまでもおなつを見送っていたお関に話かけた。
「そんこと、ありませんよおかみおさん。あたしはねおかみさんが自慢なのですよ。なんて言ったって、天下の大久保屋で行儀見習をしていたのですからね。今度から自慢がもう一つ出来ました。今度は大久保屋にあたしが仕込んだ娘が奉公に上がったのですから。こんな嬉しいとはありませんよ」

「嬉しいね、お前がわたしのことをそんな風に思ってくれているなんて。今後ともよろしく頼むよ。さし当ってはあの子たちだね、考えただけでも気が重くなるね。それにまた新しい下働きの娘を探さないとね。今度もまたしっかり仕込んでやっとくれ」
「はい、かしこまりました。今度は猫付娘じゃないでしょうから」
「それにしても不思議な猫だったね」
二人は顔を見合わせて頷きあった。


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