満開の桜の木の下で
はっきりしないお天気が続いていますね。昨日は散歩がてら買い物にき、近くの公園によって帰りました。
いつも思うのですが、東京の公園や街路には、大きくて古い木がたくさん植わっていますね。でも毎年枝先の切り戻し作業をするからでしょう、見た目はすっきりとしていますね。手入れが行き届いていますね。
いつも行く公園の桜の木もかなり古くて、太い幹には瘤のようなものもできています。それでもため息の出るような美しい花を毎年見せてくれます。古木に咲く花には、独特の美しさがありますね。
今年もため息がつきたくて行ってみましたが、満開にはまだ数日かかりそうでした。でもよく見ると満開の木もありました。おそらく数年前に植えられたものでしょう。幹も細くて木も小さいです。
それでも枝を思い切り伸ばして、「見てよ」ばかりに花が咲き誇っています。でもよく見ると若干花の色の赤みが強い気がします。ソメイヨシノとはちょっと違うような気がします。桜の木も私たちの気づかないところで、世代交代しているのでしょうね。
いつの日かこの新しい品種の桜が、日本の桜になる日が来るかも知れません。ちょっと寂しい気がして、満開の花を見上げました。
するとどうでしょう。空一面に、いいえ宇宙全体に。桜の花が咲いていて、私は桜の宇宙を漂っていました。
以前盆栽は下から見上げるものだと教わったことがあります。その時教わった通りに、小さな盆栽を下から見あげて驚きました。樹齢何万年ってくらいの古代木の下に、自分が立っているような気がしたからです。
桜に限らず物でも人でも、見る側の見方ひとつで良くも悪くにも見えませんか。幸い盆栽の見方は知ることができましたが、残念なことにその他の物の正しい見方は知りません。第一印象だとか先入観とか、つまりは何事も最初から色眼鏡で見てしまっているのですね。
この新しい品種の桜を、私は色眼鏡で見ていたのです。けれども見上げた桜はあまりにも美しく、色眼鏡なんてどこかに置き忘れてしまいました。
ソメイヨシノだろうと新しい品種だろうと、もうどっちだって良いではありませんか。桜は桜。満開の桜の木の真下から、真上を見上げて下さい。桜の宇宙が見えますよ。