草むしりしながら

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十月十日によせて

2023-10-11 09:07:04 | 日記

十月十日によせて

 十月十日はジュウジュウで焼き肉の日とか?昨日のテレビで言っておりました。でもその日が元体育の日だなんて。ましてや1964年の東京オリンピックの開会式が開催された日だったなんて。少なくても私の見た限りテレビでは言っておりませんでした。

 それでも私にとって十月十日はやはり体育の日であり、オリンピックも子どもの時に開催された東京オリンピックのことなのであります。

 ただそれほどまでに東京オリンピックに拘っている割には、柔道とマラソンと重量上げくらいしか覚えていません。たぶん親が熱狂して見ていたので、わけもわからず一緒に熱狂していただけなのでしょう。

 それにしてはどうして女子のバレーボールを覚えていないのでしょうか。「鬼の大松」やあの有名な「回転レシーブ」さえまったく記憶にないのです。

 もしかしたら同じ女子でも体操の方に興味が行っていたのかも知れません。それも日本の選手ではなくベラ・チャスラスカという名のチェコスロバキアの選手に。

 なんて美しい人なのだろう。東京大会では日本女子も団体三位の成績を収めていましたが、私の目はチャスラスカ選手一人しか見ていませんでした。

 どんな人なのだろうか。チェコスロバキアってどんな国なのだろうか?確か「おお牧場はみどり」って歌は、チェコスロバキアの歌だった。くらいの知識しかありませんでした。当時NHKの「みんなのうた」で「おお牧場はみどり」が流れていたのでしょう。

「おお 牧場はみどり 草の海 風が吹くよ」

 私の頭の中で草原の中を走る馬車が浮かびました。

 それから四年後のメキシコシティーオリンピックでも、私の目はやはりチャスラスカ選手に注がれていました。ただ彼女を取り巻く環境は四年前とは大きく違っていました。

 メキシコ大会直前に故郷チェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」に対して、旧ソビエトなど東ヨーロッパ諸国が軍事侵攻していたのです。

 彼女自身「プラハの春」を支持する「二千語宣言」に著名したため、練習も出国も一時不能になっておりました。しかし大会直前なんとか出国が許可されたこの大会では、東京大会を上回る4つの金メダルを奪得しました。

 その時着た濃紺のレオタードは抗議の意味を込めたものだったと。もちろんオリンピックでは政治的な行動は慎まなくてはならないのですが……。私の目に映った彼女はただの美しい人ではありませんでした。戦う人だったのです。

 あの美しい草原を馬車ではなく戦車が走っているのか……。その時の私は漠然とそんなことを思うだけでした。なぜチェコにソ連(ソ連だけだと思い込んでいた)が軍事侵攻するのか。当時の私は知ろうともしなかったし、チェコスロバキアとはどんな国なのかさえも、調べようともしませんでした。

 あれから五十五年経ちました。私も年をとりました。しかし未だにチェコスロバキアと言われれば「おお牧場はみどり」の民謡とベラ・チャスラスカ選手を連想してしまいます。チェコスロバキアの皆さま申し訳ありません。

 私もこんな調子なのだから、よそ様のことはあまり言いたくはありません。ただあえて言わせてもらえば、当時チェコに軍事侵攻していた旧ソ連はロシアという国になっても、まだ他国に軍事侵攻しています。

 来年はパリオリンピックが開催されますが、それまでに何とかこの問題を解決できないものでしょうか……。

 参加した選手がチャスラスカ選手のような決心をして、オリンピックの舞台に立たなくていいように。何とかこの問題が解決できないものかと、年をとっても中身はまだ子供のままのお婆さんは、世界の片隅で願っています。