2011/03/21 10:33 サーチナ
日本の大地震は、数年前に四川大地震を経験した中国人にも震撼を与えた。大規模な自然災害の前では、中国人も日本人も「人」という同じ立場になるものだ。今回の災害は、人類にとっての災害だと思う。
でも、ネット上や私の周りでは「愛国主義者」や「民族主義者」たちを中心に、日本の大地震を見ながら人の不幸を笑っているような人たちも少なからずいる。「ハハ、小日本よ。お前にもこんな日が来るとはな!」、「天罰だ」、「ざまあ見ろ」などなど。
今日の夜も床屋に髪を切りに行ったら、隣で散髪していた若者が「何百人も死んだんだってさ! いっそ日本人みんな死んじゃえば良かったのに。魚釣島(※尖閣諸島)のことでオレたちにケンカ売ってたからな、まあ天罰だろ」と言ってきた。私はちょっと聞くに堪えず、「魚釣島は魚釣島、地震は地震でしょう。その2つは分けて考えた方が良いんじゃないか」と言った。
彼はあきれた様子で黙ってしまったが、私の髪を切っていた理容師は「まあ日本人だって人は人ですから。少しは同情した方が良いでしょうね」と言っていた。そこで私は「確かに日本はかつて中国を侵略したし、今でも中国に対して幾分間違ったことをしている。でもだからと言って、大地震に遭った不幸を笑っていい理由にはなりませんよ。四川大地震のとき、日本の救援隊は中国の被災地に真っ先に駆けつけた外国部隊の一つだったんですよ」と言い返した。
にもかかわらず今回の大地震では、少数の中国人はその不幸を笑っている。少数であるにせよ、それは中国人全体の面汚しだ。もっと言えば、「民族主義」タイプの人間は今回の地震を見て、日本人に負けたと思った方が良い。
報道を見ていて思ったのは、日本と我々の間には同じ部分もあれば違う部分もあったということ。同じところというのは、学校の教師が生徒をかばったり、軍隊が勇敢にレスキューに当たっていたところなどだ。(私は今まで、我々社会主義国家の軍隊にしかこういうことはできないものだと思っていた)。
日本と違う部分について語るのは、中国人にとっては恥ずかしい話だ。ある8階建てのビルから日本人が外へ避難しようとした際、激しい揺れの中でも誰一人パニックになったり叫び声を揚げたりすることなく、きちんと列になって階段を下りて行ったそうだ。
それから電話ボックスの前に何百人という人が並んでいても、一人もその秩序を乱す人がいなかったという。これには感動した。バス停の前でもみんな自然とS字型の長い行列を作っていた。
地震後、サントリーは自動販売機を無料にし、セブンイレブンも食べ物を無償で提供した。大型スーパーは避難場所となり、公衆電話も無料となった。NHKでは日本語と英語、中国語、韓国語など5カ国語で報道を続け、津波からの避難方法まで指示していた。下水道もすぐに復旧し、簡易トイレもできた。こういう細かな配慮を見ていると、結束すれば地震も恐くないのだという風に思える。
数百人の被災者が集まった広場では誰もタバコを吸う人がなく、ゴミも落ちていなかった。避難所内の階段の前は通路として確保されており、誰もそこに陣取ろうとしない。道路上でも同じように、人々は交通の妨げにならないように移動していた。
NHKでは被災者が血を流している場面や遺体などは放送せず、外国の災害ニュースでこうした場面が含まれている場合は、放送前に議論して放映の可否を決めている。被災者の無残な場面は決して流さず、笑顔の部分を放送するようにしている。(※注=中国では無残な事故現場などもそのまま放送される場合がしばしばある)。
こういう進歩的な細かい部分は、ほかにもいろいろある。別にでっち上げで言っているわけではなく、ネットで検索すれば全部見ることができる。
この話をしながら、私のまぶたには四川大地震での感動的な写真の光景が浮かんでいた。日本の救援隊が丁寧に被災者の遺体を包み、最後に全員が起立し遺体に向かって敬礼をしていた場面だ。
日本が中国を侵略した歴史は今も胸に刻んであるし、侵略を否定しようとする少なからぬ日本人たちや魚釣島に関する一連の行為に対しては、私も強い怒りと憤りを感じる。それでも、今の日本は確かに我々より強いということは認めざるを得ない。しかもそれは、経済的な面に限ったことではないのだ。
ところで、うちの娘は国を愛し故郷を愛しているタイプだが、フランスに3年留学したあと台湾、韓国、日本を回ってから中国に帰ってきた。彼女が言うには、台湾でも日本でも韓国でもほとんど人たちに教養があって近代的な素養があるのに、ひとたび中国大陸に帰ってきて飛行機を降りると、みんなまるで教養がない人たちばかりだという。人間同士も冷淡で警戒し合っていると見えたそうだ。彼女は「中国大陸はダメだ」と言っていた。
私はよく学生たちに日本の『一杯のかけそば(中国題:一碗清湯蕎麦麺)』の話をしながらこう言う。「一個の民族に本物の自信があるならば、ライバルからも思い切って学べるはずです。日本民族がどうして第二次大戦後の廃虚からここまで急速に発展できたのか。この小説の中に、その答えがあるんです」。
先に挙げた様々な違いを見ると、我々のライバルはやはり強いのだと感じる。我々はライバルの日本から学ばなくては、いつまでも遅れたままになってしまうだろう。今から百年前、魯迅は「国民性の改造」を訴えたが、それはまだまだ達成できていないようだ。(引用おわり)
ブロガーは歴史問題や尖閣諸島問題などでは日本に対し反感を抱いている一方、日本人のマナーの良さや周囲への気配りなどについては、率直に賛美している。中国人としては、比較的バランス感覚がある印象だ。プロフィールや文面などから判断すると、ブロガーは教育関係の仕事に就いている様子。知識階級と一般庶民の間では、日本への見方にも違いがあるのかもしれない。