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いすゞ、帰ってこいよ!

2010年12月31日 15時26分25秒 | 日記・政治

いすゞ自動車
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%99%E3%82%9E

空前の業績アップで待望論勃発!


2010年12月30日(木)現代ビジネス


くのファンを悲しませた乗用車撤退から8年。今年いすゞが好調だ。9月中間期の売り上げが、前年同期の277億円の赤字から291億円の黒字に転換し、売り上げ高は前年同期比63.7%増。海外でも絶好調で、中国では前年同期比なんと96.5%増。ほぼ倍増! 今いすゞにがぜん注目が集まっている。

 となるとファンならば当然考えるのが「乗用車復活はないの?」ということ。そこで、本企画はいすゞの乗用車復活を切に願って、お送りする「いすゞカムバック! 祈願特集」だ。まずは元いすゞワークスドライバーであり、元社員の浅岡重輝氏に、在籍当時、いすゞが輝いていた頃の話から伺ってみる。

かつては御三家と呼ばれた! 当時を浅岡重輝が振り返る!

がいすゞに在籍したのは、第1回日本GPに出場した直後の'64年から'73年頃まで。この頃のいすゞという会社はまだまだ古い社風が残っていた。

いすゞは、トヨタや日産とは違い、もともと国策企業としての成り立ちがあり、上層部には公家関連の方も多い会社だった。財力も開発力もあった。これが御三家たるゆえんだった。

 半官半民的で官僚的な上司というと窮屈そうだが、実際はキツい締め付けもなく、やりたいことができる自由さがあったのだ。それでいて人材は優秀、しかもクルマ好きばかり。

 私も例に漏れず、入社してすぐに実験部に配属され好きなことを始めた。ちょうどベレットGTが開発中だった。

 とにかく好き勝手作っていて、2ドアセダンをベースに屋根をぶった切ってピラーを寝かせて、メーターはスミス、スイッチ類はルーカス・・・、なんてやりながら完成したのがその当時、東京モーターショーに出品した車両だった。

 これが好評で、市販化にこぎつけたが、行き当たりばったりで図面もない。ショーに出品したクルマから実測して線図をおこすなんて無茶をやっていた。

 その後は'78年頃から、プロトタイプの開発部署にいて「R6」や「R7」の製作を担当した。勝負よりもむしろ、どう研究に役立つかが重要だった。

この会社の核はやっぱり技術屋で、とにかくアカデミックだったのが印象的。入社すぐから毎日実験してはレポート、レポート。毎日文章を書いていた。物を書くということを覚えたのはこの体験からだ。おかげで企画書を書くのが上手くなって、さらにやりたいことを実現できるチャンスが増えた。

 好きなこともやれたし、技術もあったけど、危機的状況になってしまったのは利益体質と販売力に問題があったんだと思う。

 ただ、状況が悪くなると面白い人間も自由な社風もかなり少なくなってしまった。いすゞにはもう一度自由な社風を取り戻してほしい。それには会社をだまくらかすような社員が必要だな。まずはそこからだ。

 現在トラック業界での地位は?

 近年のいすゞは、トラック業界では正直少々地味。今年9月のポスト新長期排出ガス規制の際のギガのデビューも最後発。バスでは日野と技術供与関係にあるとはいえ、ダイムラーのふそう、ボルボのUDトラックスのように、かつてのトヨタのような仲間の存在が見えないこともあり、孤立化し、独立した哲学で進んでいるように見える。

 しかしディーゼル4社中で最後発となったギガは、そのいすゞ哲学を見事に反映している。

 技術的にはさすがはディーゼル王国。排出ガス規制対策としてどのメーカーもEGR、尿素SCR、小排気量化を推進しているが、これまで13.0~15.7リットルだったエンジンを9.8リットルに統一したのはさすがいすゞ。

これは排ガス対策だけでなく、軽量化も含めて燃費向上にも大きく貢献。しかし小排気量化してもパワーは必要なため、全回転域でまんべんなく空気を入れる工夫をしたり、ラジエターやインタークーラーなどにより、車両全体の冷却性能を改善することにも注力するなど、空気にこだわるいすゞ気質を発揮。

 だからということでもないだろうが、新型のギガのデザインはもともと骸骨顔だったが、いっそう"穴"の部分(6大陸を表現した意匠)が大きくなった。

 名ミッション「スムーサーG」もエンジンの小排気量化に伴って、ユニットの軽量・小型化に成功。あのクラッチを持った12段ギアのATは、まだ健在。健在どころか、軽量化によって他メーカーに対してアドバンテージさえ見せることになった。

孤独感こそ見えているいすゞだが、世界中が排出ガス規制をクリアすることに血眼になっているトラック業界にあって、唯我独尊の道を行けるメーカーなのかもしれない。

日本にどのくらいのこっているの?


'02年9月いっぱいで乗用車の生産から撤退したいすゞ。歴代車で一番売れたのは、初代のFRジェミニ(キャッチフレーズは世界のジェミニ)だが、いすゞがノックダウン生産していたヒルマンミンクスが3万台オーバーも売れていたのにはビックリ。

 古いモデルが多いだけに、いすゞの乗用車の生存率はわずか5%。このデータは登録ベースのため、登録を切っているクルマの数は含まれていないが、それにしても少なすぎる。

 生存台数では、ビッグホーン(全体の半分以上!)、ジェミニと売れたクルマが上位を占めるが、ビークロスの生存率66.8%は驚異的。マニア受けするクルマの真骨頂といったところか。

 今後減っても増えることのないいすゞの乗用車。生き残っているクルマは大事にされるだろうが、日本クルマ界の絶滅危惧種として保護すべき。でしょ?

ラリー車、デートカー、高級車 こんなクルマがありました!

 日本の自動車産業は大量生産、大量消費が基本だが、そのなかでトヨタ、日産の後を追わず独自路線を突き進んでいたのがいすゞ。これがかつて御三家と呼ばれていたゆえんではあるが、諸刃の剣とはまさにこのことで、自らの首を絞める要因になったのは否定できない。

 しかしラリーベース車あり、見ているだけで惚れ惚れするようなデートカーあり、イルムシャー、ハンドリングを追求した硬派なハンドリング・バイ・ロータスをいろいろなモデルに設定してスポーツ性をアピールしたりと、とにかくいすゞ車は個性的で存在感抜群だった。いすゞの古きよき時代のクルマに乾杯。

いすゞが誇った先進技術アレコレ!

 いすゞの生み出した画期的技術といえば、今や主流となりつつある2ペダルMTの先駆けのNAVI5('84年)、後輪にアクティブステア機構を持たせたニシボリックサス('90年)が有名だが、それだけじゃない。

 それ以前では、'71年にいすゞは117クーペに日本初の電子制御燃料噴射装置(ボッシュのDジェトロニック)を装着。Lジェトロニックで排ガス規制をクリア。

 それよりも凄いのはアッツァで、日本初、世界初のオンパレード。エクステリアでは、世界初のフラッシュサーフェスを採用(アウディ100よりも先)。ワンブレードワイパー採用は日本初。

 そして、マイコン制御エンジン、ホットワイヤー式エアフローセンサー、デスビ内蔵光電式クランク角センサー、メモリー付きチルトコラム(ステアリングが上に跳ね上がる)、マルチコントロールシート(無段階リクライニング機構)はどれも世界初の技術で、その後他メーカーも追従。

そのほか、アッツァ、ジェミニに採用されたウェイストゲートの制御にステッピングモーターを使ったエレクトロターボなどもあるように、先進技術に対しては非常にアグレッシブ。

 技術ではないが、日本車で初めてレカロシートを純正採用し、日本でのレカロブームの火つけ役となったのも先見性のあったいすゞだった。

いすゞのすばらしいデザインの秘密!

いすゞの優れたデザインの秘密について、元いすゞの広報マン、辻村百樹氏を直撃。

 ★ ★ ★

 これという解はないが、私が思いつくことを挙げてみると、いすゞの初代デザイン部長の井ノ口誼さん(東京藝大出身)の存在が何よりも大きいと思う。

 いすゞはヒルマンミンクスのノックダウン生産を終え、クルマを自社開発するにあたり、デザインが重要だということで、井ノ口さんを含め3人くらいの東京藝大の学生を招聘。新たなことを始めるのに学生を呼んだというのもいすゞらしい。

 井ノ口さんはその後いすゞデザインを牽引していくことになるのだが、デザインに対しポリシーがあって、しかもカプセルシェイプ、張りのある面、黒帯と呼ばれたいすゞトラックのアイデンティティとなったキャラクターラインなど常に明確なテーマを持っていた。

 いくら有能なデザイナーがいても、デザインを知らない上層部が手直しする、というのはクルマ界では当たり前のことだが、いすゞはほかのメーカーに比べるとそれが少なく、デザイン部が自由にできる環境にあり、いいデザインが生まれたのだと思う。

 井ノ口さんはベレットをデザイン。いすゞがトラックメーカーだったからこそ、それから離れてとにかくカッコいいクルマを作ろうとしていたという。

それから、いすゞがイギリス車として上品なヒルマンと組んでいたこともその後のデザインに好影響を与えた。トヨタ、日産がアメリカを見ていたのに対し、いすゞはヨーロッパ志向。イギリスではなくイタリアに目を向け(デザインだけでなく、チューニングをイタリアのコンレロに発注したりした)、ギア社との関係を通して、ジウジアーロとの関係も始まった。

 そして、'71年にGMの傘下に入るわけだが、そこでのオペルとの関係。当時のオペルは現在のアウディのような存在。デザインの影響力は絶大で、いすゞはオペルのデザイン先進性に刺激を受けたのも大きい。

 かつていすゞはトヨタを追っていた時期があるが、同じ土俵で争っていてもダメ、とニッチ戦略の独自路線に特化したことも見逃せない点で、いいデザインを生んだ要因だと考える。

かつて私もいすゞ車に乗っていました!

 BC周辺はいすゞ好きがいっぱい!

 BCの周りにはホント、かつていすゞ車を所有した人間が多い。社用車にいすゞ車を2台使っているというウチの会社もマニアックかつ好き者っぽくていいでしょ。元117クーペオーナーもいるし、ビークロスオーナーもいる。

 さすがの三本御大でもヒルマンミンクスは乗ってないが、常日頃ディーゼル好きを公言しているとおり、いすゞ車も例外じゃなくディーゼル。それにしても117クーペにディーゼルがあったとは・・・(←恥ずかしながら担当は知らなかった)。

 購入形態は中古がメインだが、新車で購入したフカダのアッツァは購入後わずか1年で廃車(涙)。そして鵜飼→深川沙魚氏と渡った初代FFジェミニも沙魚氏が友人に譲ってわずか1年で廃車・・・。

 でも、結末はどうであれみんなに共通しているのは、泣く泣く手放している点だ。

元いすゞワークスの米村太刀夫氏が考える、いすず乗用車復活の秘策
 元いすゞワークスに所属し、現在は自動車評論家として活躍中の米村太刀夫氏が、古巣いすゞの乗用車復帰について提案とエールを送る!

 ★ ★ ★

 

いすゞは'53年に英国のヒルマンのノックダウンから乗用車に参入した。後期のヒルマンミンクスにはオプションでコラムシフトをフロアシフトに改造するスポーツキットもあり、自動車好きには好評を博していた。当時のいすゞの役員が自社で設計・製造したクルマで公の場に乗り付けたいという願望を満たすためにベレルを作ったが不評であった。

そこで若い技術者を中心に企画されたベレットが誕生。フロアシフト、ラック&ニオン式ステアリング、四輪独立サス、セパレートシートなどの斬新な内容はたちまち若者の心を捉えた。またエンジン、サス関係のスポーツキットを多数用意して、わずかな改造でベレットは競争力のあるレーシングマシンとなった。

 もしいすゞが乗用車市場にカムバックするとすれば、トヨタや日産のような「乗用車のデパート」は現実的ではない。やはりニッチ商品を狙うのが最善だろう。幸い個性の強い独特のクルマ作りを続けてきたホンダが今や大企業になってしまい、昔のトヨタの乗用車のような「優等生」的なクルマしか作れなくなった。

 昔のホンダ車は他社が驚く新機構などを盛り込んだ商品を出し、特に若者の心を虜にした時代がある。半面「失敗作」も多かったのも事実。「あれは失敗でした」とホンダの技術者が「頭ポリポリ」をしてもそれはそれで許されたのである。

 いすゞはミドシップスポーツを市販することを真面目に考えた時代があり、それをレースに参加して鍛える方法を模索した。ベレットMX1600がそれであり、そのレーシングバージョンがベレットR6だった。'50~'60年代のジャガーやメルセデスのスポーツカーがレースを通してクルマを開発していったのと同じ手法を取り入れたのだ。

 あれから何十年が経過して、現在のいすゞには乗用車の設計・開発に携わった技術者は残っていないだろう。これが逆に既存の物の考え方にとらわれる心配がないのが嬉しい。ともかく若い想像力豊かな青年を新規採用して彼らに乗用車プロジェクトを任せればいい。

それでもマンパワーが不足するだろうからアウトソーシング化を積極的に図るのが得策だ。例えばエクステリアデザインはいすゞが昔から行なっていたようにイタリアンをそのまま市販化させる。日本ではホームデザイナーがカタチをいじるのこれで悪化することが多い。

 韓国製の乗用車がハッとさせる美しさを見せるのは「いじらない」を実行しているからだ。サスペンションの設計や開発はドイツイギリスにある開発会社に委託するのが得策だ。

 最近タイヤメーカーは「モジュール」と呼ぶサス、ブレーキ、タイヤを組み上げた状態で納入するのでこれを積極的に導入するのがいいだろう。サスチューンもこの連中が責任をもって仕上げてくれるので開発費の削減額は大きい。

 エンジンとトランスミッションの駆動系は、従来いすゞが保有していた乗用車用製造設備が残っていないだろうし、レシプロエンジンの製造設備はトランスファーマシンなど膨大な費用がかかるので頭痛の種だ。そこで一気にEVにしてしまうのはいかが? 

 電動モーターはレシプロエンジンと比べて部品点数が少ないので自社製造をするための設備投資額は少ないだろう。また重電機メーカーやベンチャー企業を共同で開発する手もある。EVなら変速機は不要なのでより簡単に実現できる。電池の開発は日進月歩で進んでいる。

 現在の技術だと走行距離がレシプロエンジンを積む乗用車と比べて劣っているが、近い将来同等になり、充電のためのインフラも整備されるので心配無用だ。電子制御のデバイスとこれを活用させるためのソフトの開発は我が国の若者の頭脳を活用すればOKだ。

 で、どんなクルマを作るかであるが、総合的に判断すればスタイリッシュな4ドアセダンで、そのままでスポーツカーと呼ばれるものがいいと思う。何十年も前にいすゞから登場したベレットの生まれ変わり「ニューベレットEV」を提案したい。


余命3ヵ月のガン患者が「第4の治療」で生還するまで!

2010年12月31日 15時25分47秒 | 日記・政治

ナチュラルキラー細胞(-さいぼう、NK細胞)
http://ja.wikipedia.org/wiki/NK%E7%B4%B0%E8%83%9E

抗がん剤
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%97%E3%81%8C%E3%82%93%E5%89%A4



混合診療」という障壁、高額の医療費…「矛盾」と戦って勝った女性患者の記録

2010年10月31日(日)現代ビジネス

余命3ヵ月の卵巣ガン患者に免疫療法と抗ガン剤治療を併用して行った結果、2ヵ月でガン細胞が消滅した---。

 ガン治療に関する驚くべき報告がなされたのは、8月22日から6日間、75ヵ国、約6000人の医療関係者・研究者が参加した今年の「第14回国際免疫学会議」でのことだ。

 この治療を施されたのは、45歳の女性、杉本由佳さん(仮名)。杉本さんの病状は、ステージⅢcの卵巣ガンで、腹膜やほぼ全身のリンパ節に転移していた。正常値が35以下の腫瘍マーカー(CA125・註1)の値は911を示した。今年1月、子宮、卵巣などの摘出手術を行ったが、リンパ節などに残るガンを完全に取り除くことはできなかった。

 そんな杉本さんを救ったのが、蔵前内科クリニック(東京都台東区)の曽振武(そしん ぶ)院長に勧められた、NK(ナチュラルキラー)細胞を使った免疫療法と抗ガン剤治療の併用だった。

 曽院長は、この免疫療法と抗ガン剤治療を組み合わせたことで、双方の効用を最大限に引き出し、ガン患者を救うことに成功したのだ。再発の可能性を考慮に入れたとしても、曽院長が行った療法は、末期ガン患者の希望をつなぐものとして、学会でも注目されることになった。

 だが、ガンが消えるまでに杉本さんの前に立ちはだかったのは、教科書通りに抗ガン剤治療だけを勧める大病院の慣例と、後述する混合診療という障壁=高額の医療費負担だったのである---。

 杉本さんが身体に異常を感じたのは、1年ほど前のことだった。

「昨年の9月頃だったと思います。腰のあたりにコリッとしたものを感じたのが始まりでした。それは徐々に大きくなっている感じがして、かかりつけの病院に行くことにしたんです」

杉本さんが訪れたのは、東京・新宿区内にある総合病院だった。検査を終えると、主治医は黙って診察室の裏に入って行った。だがその医師の話し声が筒抜けで、杉本さんは不安が現実となったことを知った。「入院の手配をして」---。

「診察室に戻ってきた先生は、深刻な顔をしていました。コリコリしたものは10cmほどの塊になっていたらしく、『卵巣ガンかもしれない。詳しく検査しましょう』と言われました」(杉本さん)

 精密検査の結果は、やはり卵巣ガンだった。まもなく、腹膜や全身のリンパ節に転移していることが判明した。ガンの進行度は、前述の通りステージⅢc。進行ガンで、余命は3ヵ月だった。

 卵巣ガンは一般的に、ステージⅠ~Ⅱであれば手術で完全に切除できるが、Ⅲ~Ⅳになると手術だけでは完治できないとされている。

「何を言われているのか分からない感じで、自分がドラマの中にいるようで現実感もありませんでした」(杉本さん)

 主治医は手術で早急にガンを取ることを勧めた。

 しかしその一方、「ガンが膀胱の上の大きな血管の上にベタッと癒着している状態なので、すべては取り切れないかもしれない」と、診察や説明の中で「治る」という一言を口にすることはなかった。

 皮肉なことだが、主治医のあいまいな態度が、結果として杉本さんの命を救うことになる。恐怖心が拭えない杉本さんは、夫が見つけてきた蔵前内科クリニックの門を叩いたのだ。

 この時、曽院長がさも当たり前のことのように言った言葉を記憶している。

「ガンは治せるからね。大丈夫だからね」

定的なニュアンスの言葉を総合病院で聞き続けた杉本さんは、「精神的にすごく楽になれた」という。杉本さんは総合病院での手術後に、蔵前内科クリニックで治療を受けることを決めた。

「抗ガン剤には賭けられない」

 杉本さんが受けることを決めたNK細胞療法とは免疫療法の一つで、人間が本来持っている免疫力を回復あるいは増強することでガンに打ち勝つという治療だ。患者から30~50cc程度の血液を採取し、リンパ球の一種であるNK細胞を抽出する。

 これを無菌状態で約2週間増殖させ、再び体内に戻す方法である。培養によって増殖させるNK細胞の数は30億~50億個。健康な人の場合、血液中のNK細胞は5億~10億個なので、最大10倍のNK細胞が注入される計算になる。

「ガンを退治できる最大のポイントは、NK細胞を増やすとCD4と呼ばれるリンパ球が増えることにあります。CD4はガンを倒す司令塔のようなもので、CD4が増えればガンに対する免疫力が向上するのです」(曽院長)

蔵前内科クリニックは '98 年からNK細胞療法を取り入れており、日本におけるNK細胞療法の草分けだ。

 訪れる患者の多くは他の病院でさじを投げられた進行ガンか末期ガン患者が多い。NK細胞療法だけでなく他の病院で抗ガン剤や放射線治療などを並行して受ける患者も多いが、5年生存率は2割弱あるという。

 日本においては、ガンが発生部位から離れた臓器に転移している末期ガン患者の5年生存率は8.7%なので、蔵前内科クリニックの実績がいかに突出しているかが分かるだろう。

 1月末、杉本さんは総合病院で子宮摘出手術を受けたが、やはりガンは取り切れなかった。

 手術前に担当医からは「ガンが取り切れなかった場合、抗ガン剤治療をしましょう」と簡単な説明はされていたが、手術後改めて抗ガン剤治療を勧められた。しかし、杉本さんには抗ガン剤に対する不安があった。

「抗ガン剤治療で身体がボロボロになった友人が身近にいたからです。自分の子供がまだ小さいのに、身体がどうなるか保証のない抗ガン剤治療に賭けるわけにはいかない、と思いました」


 そんな杉本さんの心配をよそに、担当医は『治療法は抗ガン剤しかない』と言うばかり。

 普通の人なら大病院の医師の勧めをなかなか断れないものだが、杉本さんは、「免疫療法をやってみたい」と医師に告げ、2月初めに総合病院を退院し、NK細胞療法を受け始めた。

曽院長が回想する。

「抗ガン剤を使うにはリンパ球CD4が充分にないとダメなのです。しかし、この時の杉本さんはCD4が正常値の半分にまで落ちており、抗ガン剤治療を行うのは危険でした。

 CD4が不足した状態で抗ガン剤を使うと、抗ガン剤で死ななかったガンが、免疫力が落ちているスキをついて一気に全身に転移してしまうからです。

 しかも、抗ガン剤の影響でCD4自体もやられてしまい、数が減って元に戻らなくなってしまいます」

 退院直後の2月頭から始めたNK細胞療法は4月末に1クール12回が終了した。だが、治療の成果を確認するため5月初めに「PET/CT」で検査をしたところ、予想に反してガンは悪化してしまっていた。

「若いのでガンの勢いが非常に強く、全身のリンパだけでなく、脾臓にまで転移していました。こうなるとNK細胞療法だけではガンを退治できません」(曽院長)

 そこで、曽院長はNK細胞療法に加え、抗ガン剤も使うことを杉本さんに勧めた。当初、正常値の半分にまで落ち込んでいた免疫力(CD4の数値)も正常値に回復し、それを維持できていた。

「免疫力が正常に戻った状態で、NK細胞を大量に体内に送り込んでいれば、抗ガン剤を使ってもCD4は減らず、むしろ増えていく。このため抗ガン剤本来の効果が発揮されるのです」(曽院長)

 曽院長はこのタイミングで抗ガン剤を使えば効果はあると確信していた。しかし、杉本さんのショックは大きかった。

「抗ガン剤と聞いた時『私はもうダメなのか』と思いました」

 迷い、動揺したが、「もう他に選択肢はない」と自分に言い聞かせ、抗ガン剤治療を受けることを決意する。

そして、ガンが消えた!

抗ガン剤治療は保険が適用されるが、NK細胞療法は自由診療、つまり全額自己負担である。蔵前内科クリニックの場合、1クール12回で240万~360万円もの費用がかかる。

 しかも、日本の医療制度では、保険診療と自由診療の二つを同時に受ける混合診療を選択すると、自由診療分だけでなく保険が適用されるはずの抗ガン剤治療も原則的に全額が患者の自己負担となってしまう。

 杉本さんが大病院で抗ガン剤を勧められた理由の一つには、この混合診療の問題がある。

「今の保険医療において、杉本さんのような病状で使用できる治療法は抗ガン剤しかありません。保険がきかなくなるので医師は自由診療との併用を患者に勧めることができないのです」(曽院長)

杉本さんはNK細胞と抗ガン剤の混合診療を始めることになったのだが、設備がないので蔵前内科クリニックでは抗ガン剤治療を受けることができない。結局、埼玉県所沢市のクリニックで抗ガン剤治療を受けることになり、5月末から治療を開始した。効果はすぐに顕れた。

「腰のあたりにあったコリコリしたものが日に日に小さくなっていくのが分かりました。1ヵ月後、腫瘍マーカー(CA125)を調べたのですが、併用治療前には一時1554にまで上昇した値が173と一桁も減っていたのです」(杉本さん)

 さらに1ヵ月後には、腫瘍マーカーの値は15.5と正常値にまで下がった。「PET/CT」でも、ガンがきれいに消滅していることが確認された。ガン消滅から3ヵ月近く経ったが、今のところ、杉本さんに再発の予兆は現れていない。杉本さんのガンはきれいに消えたのだ。

 NK細胞療法は末期ガン患者の希望となりえるのだ。杉本さんのケースについて、東京女子医科大学先端生命医科学研究所の有賀淳教授はこう分析する。

「抗ガン剤治療とNK細胞療法を併用して効果が高かったという結果が出ることは不思議ではありません。免疫療法の一つである『がんペプチドワクチン療法』(今年5月に厚生労働省が高度医療として承認)の臨床試験でも、抗ガン剤を一緒に使い効果が出たという話も聞いています。

 

杉本さんはNK細胞と抗ガン剤の混合診療を始めることになったのだが、設備がないので蔵前内科クリニックでは抗ガン剤治療を受けることができない。結局、埼玉県所沢市のクリニックで抗ガン剤治療を受けることになり、5月末から治療を開始した。効果はすぐに顕れた。

「腰のあたりにあったコリコリしたものが日に日に小さくなっていくのが分かりました。1ヵ月後、腫瘍マーカー(CA125)を調べたのですが、併用治療前には一時1554にまで上昇した値が173と一桁も減っていたのです」(杉本さん)

 さらに1ヵ月後には、腫瘍マーカーの値は15.5と正常値にまで下がった。「PET/CT」でも、ガンがきれいに消滅していることが確認された。ガン消滅から3ヵ月近く経ったが、今のところ、杉本さんに再発の予兆は現れていない。杉本さんのガンはきれいに消えたのだ。

 NK細胞療法は末期ガン患者の希望となりえるのだ。杉本さんのケースについて、東京女子医科大学先端生命医科学研究所の有賀淳教授はこう分析する。

「抗ガン剤治療とNK細胞療法を併用して効果が高かったという結果が出ることは不思議ではありません。免疫療法の一つである『がんペプチドワクチン療法』(今年5月に厚生労働省が高度医療として承認)の臨床試験でも、抗ガン剤を一緒に使い効果が出たという話も聞いています。

 ただし、抗ガン剤、NK細胞どちらが効いているのか、ということになると分かりませんし、すべての化学療法との併用で効果が出るとも思えません。どういう種類の抗ガン剤との併用が良いのかなど、検証する必要があるでしょう」

 NK細胞療法のような免疫療法は、外科手術、抗ガン剤、放射線に次ぐ「第4のガン治療」として期待されているが、前述の通り制度的に患者はその治療を選択しにくいのが現状なのだ。

 医療とは患者のためのものだ。そう考えた時、結論は自ずと見えてくる。効果が期待できる免疫療法を速やかに保険適用の治療にすれば、患者の負担は減り、ガン治療の選択肢は広がる。有効な免疫療法について、国の予算で検証し、保険適用の道が開けることに期待したい。

 


今年のおかしな関係?

2010年12月30日 11時28分49秒 | 魚沼、中越、新潟の話題

山路 徹
http://twitter.com/#!/yamajitoru

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E8%B7%AF%E5%BE%B9


大桃 美代子(魚沼市出身)
http://twitter.com/#!/omomo_miyoko(@omomo_miyoko 東京・新潟)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A1%83%E7%BE%8E%E4%BB%A3%E5%AD%90

麻木 久仁子
http://twitter.com/#!/kunikoasagi

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E6%9C%A8%E4%B9%85%E4%BB%81%E5%AD%90


中国・北朝鮮を監視…無人偵察機の導入検討?

2010年12月30日 11時28分15秒 | 国際情勢、安全保障

RQ-4 グローバルホーク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AF


読売新聞 12月30日

防衛省は29日、無人偵察機の導入の可否を判断するため、2011年度から本格的な調査・研究に着手する方針を固めた。

 最新鋭の高高度無人偵察機「グローバルホーク(GH)」を活用する米軍に自衛隊幹部らを派遣して、運用や維持・整備の現状などを調べる。日本周辺海域で活動を活発化させる中国海軍の動向や朝鮮半島の警戒・監視活動の強化を目指すもので、費用対効果なども含め、導入を視野に検討する。

 無人機は、滞空時間の長さなどの利点があることに加え、紛争地域で犠牲者が出ないため、米軍、英軍などがすでにイラクなどで積極活用している。ドイツ軍も近く導入予定だ。

 日本政府も、17日に閣議決定した11年度以降の次期中期防衛力整備計画(中期防)で、「無人機を含む新たな各種技術動向等を踏まえ、広域における総合的な警戒監視態勢の在り方について検討する」と明記した。防衛省は計画最終年度の15年度までに導入の可否を判断する方針だ。

 米空軍のGHは、全長約14・5メートル、翼幅約40メートルの軍用機で、自衛隊にとってこれほど規模の大きな無人機導入は初めてとなる。センサー類を除く機体本体は1機約25億円。防衛省幹部によると、日本全域の警戒・監視のカバーには3機が必要だという。司令部機能を持つ地上施設の整備などを行うと、「初期費用の総額は数百億円に上る」(防衛省幹部)といい、予算面の検討が課題となっている。防衛省筋によると、無人のため、配備後の費用は漸減していくという。

 無人機導入をめぐっては、自衛隊内で人員削減を警戒する向きもある。現在、日本周辺の警戒・監視活動は有人機の海上自衛隊P3C哨戒機などが行っているが、「無人機になればその分、操縦やシステム運用の人員が減らされるのではないか」(空自関係者)との見方があるためだ。

 ◆無人偵察機=要員が乗らない偵察機。米空軍の最新鋭のグローバルホークの場合、旅客機の巡航高度よりはるかに高い上空約1万8000メートルを飛び、高性能センサーやレーダーで最大半径約550キロ・メートルの偵察・監視を行える。

 乗員交代が不要なため、30時間以上滞空でき、1回の任務で幅広い地域をカバーできる。今年1月のハイチ大地震では、被害状況の把握などでも活躍した。


新防衛大綱には「戦略」がない!

2010年12月30日 11時27分46秒 | 国際情勢、安全保障

日本の脅威はテロより中国・北朝鮮!


2010年12月22日(水)日経ビジネス 孫崎享

国内の新聞は「選択と集中」を評価した!

 新たな防衛大綱が12月17日、閣議決定された。当面、この防衛大綱は新聞報道の解説に従って理解される。

 朝日新聞の見出しは「動的防衛力 照準は」、「監視能力生かし即応」、「中国の台頭警戒」などである。社説では「中国の軍事動向への警戒心を色濃くにじませるとともに、脅威には軍事力で対応するというメッセージを前面に打ち出した」「“基盤的防衛力”に代えて、“動的防衛力”という概念を取り入れた」としている。

 日本経済新聞は「新防衛大綱、戦略を転換」「脅威にらみ“選択と集中”」「中国けん制鮮明」「海空を重視」「南西シフト」とした。

 防衛大綱のポイントとして次を紹介した。


・ “動的防衛力”を構築
・ 朝鮮半島で軍事挑発を繰り返す北朝鮮の動向は喫緊かつ重大な不安定要因
・ 従来の基盤的防衛力構想によらず、即応性、機動性、柔軟性、持続性、多目的性をそなえた動的防衛力を構築
・ 日米同盟は必要不可欠
・ 島しょ部に必要最小限の部隊配置
とした。

 18日付日本経済新聞は1面に秋田浩之編集委員の解説を掲載した。「“選択と集中”。経営の世界では、資金や人材をこれと思う重点部門に集中し、成果を高めようとする戦略をこう呼ぶ。(中略)新たな防衛大綱にも同じ言葉が当てはまる。(中略)そこで重点をおいたのが、中国と(中略)北朝鮮だ」。

 「“動的防衛力”という看板を掲げ(中略)直面する脅威に優先度をつけ(た)。(中略)手薄だった南西諸島や島しょ部の防衛強化を掲げたのは、中国を意識した布陣だ。一方、北朝鮮のミサイルを念頭に(中略)イージス艦を6隻に増やす」。

 簡潔、要領を得た解説である。特に出だし「“選択と集中”」と切れ味よく文
章を切り出したのに感心した。もっとも、朝日新聞を見ると種明かしが出ている。「仙石由人官房長官は17日の会見で、新防衛大綱のポイントの一つに“選択と集中”を挙げ(た)」。


海外メディアは大綱の主眼を「中国の脅威への対抗」と報道!

 海外のメディアはどう評価しているか。

 米軍の準機関紙である星条新聞は「日本、防衛政策を中国、北朝鮮にシフト(Japan shifts defense strategy toward N. Korea, China)」の標題を掲げ「冷戦時の戦略を動的防衛力に置き換え、安全保障の焦点をロシアから北朝鮮・中国にシフト。米・韓・豪・印との地域的安全保障の結びつき強化を呼びかけ。新たに6隻の潜水艦と2隻のイージス艦を獲得。米国は日本、韓国に日韓合同演習を呼びかけているが両国ともこれを受け入れていない。マレン統合参謀本部議長は20世紀の問題を越えてこの地域をより守る方向に動くべきだと強要した。日韓連合をつくるべきだとの米国の努力は効果をもたらしていない」と報じた。

 ウォール・ストリート・ジャーナル紙は「中国に焦点を絞り直し(China warning raised in new defense policy / Pushes shifting SDF presence to Nansei isles)」の標題で報じ、ファイナンシャル・タイムズ紙は「日本、中国不安に備え軍を再編(Japan retools military to face China fears)」の標題で「日本は勃興する中国の力に脅かされる南方の島々の防衛を強化するため、その軍事力の焦点を変える歴史的指示を行った」と報じた。

 ニューヨーク・タイムズ紙も「日本、中国に対抗する防衛政策を発表(Japan Announces Defense Policy to Counter China)と報じた。これらの報道はいずれも新防衛大綱の最大の眼目を中国の脅威に対抗するためとしている。

新防衛大綱には「戦略」がない!

 これまで、日本の新聞、および海外で新聞の報道ぶりを見た。今後日本の新防衛大綱が論ぜられるとき、こうした報道を基礎に論ぜられるからである。

 では、私個人はどう見るか。最大の問題点は新防衛大綱における戦略の欠如である。あるいは戦略を考える弱体さである。

 防衛大綱は日本における国防政策の基本的指針を決定するものである。我が国をどう守るか、その基本を示すべきだ。では、この重要な課題を、世界各国と同様の高いレベルで考察しているか。

 私は著書『日本人のための戦略的思考入門』で戦略を「人、組織が死活的に重要だと思うことに目標を明確に認識する」と定義し、戦略を考えるのに最も優れた枠組みはマクナマラ戦略であるとしてこれを紹介した。マクナマラは第二次大戦時代空軍に入り、大量の軍用機を管理した後、米国自動車会社フォードに入社し、社長に就任した。その後ケネディ大統領時代に国防長官に登用された。マクナマラは軍、企業での経験を生かして戦略を生み出した。

 マクナマラは戦略を次のステップに分類した。
第1段階、外的環境の把握(将来環境の変化)、自己の能力の把握
第2段階 課題の把握(組織生存のために何が課題か検討)
第3段階 目標設定、代替戦略の提示、戦略比較、選択
第4段階 任務別計画策定、資源配分、スケジュール

 新防衛大綱の最大特色の一つが“動的防衛力”の採用である。「従来の基盤的防衛力構想に頼らず、即応性、機動性、柔軟性、持続性、多目的性をそなえた動的防衛力を構築」としている。

 基盤的防衛力構想の骨子は「わが国に対する軍事的脅威に直接対抗するよりも、自らが力の空白となってわが国周辺地域における不安定要因とならないよう、独立国としての必要最小限の基盤的な防衛力を保有する」というものである。私は日経ビジネスオンラインの10月20日付のコラム「新防衛大綱は自主防衛の重要性を意識せよ」において「基盤的防衛力構想」を脱するべきことを説いた。確かに新防衛大綱は「基盤的防衛力構想」を捨てた。

 しかし、私は同時に、(1)敵が誰か、(2)いかなる手段で攻撃してくるか、(3)いかなる防衛手段があるかを考察した形をとって新防衛大綱を作成するべきであることを主張した。

 即応性、機動性、柔軟性、持続性、多目的性をそなえた動的防衛力はその要件を満たしているか。上のマクナマラ戦略を見ていただきたい。動的防衛力はまさに「第4段階 任務別計画策定、資源配分、スケジュール」の範疇である。

 私は『日本人のための戦略的思考入門』の中で「ジョンズ・ホプキンズ高等国際研究大学院が第一次大戦から第二次大戦までの期間と第二次大戦間で、10数名の学生(米軍の佐官クラスを含む)とともに行った評価で戦術、作戦では各国別に差はない。日本はトップクラスにいる。しかし、戦略になると、極端に低くなる。前者の期間では10点満点中の3点、後者の期間では2点である」ことを紹介した。「基盤的防衛力構想」に代わる戦略構想は「“動的防衛力」と言われてもただ驚くだけである。これは運用方針であって戦略ではない。日本の安全保障関係者の戦略的思考の欠如を改めて知らされた。


何が脅威か、明示すべき!

 新防衛大綱は「防衛力の在り方」において次の項目を列挙している。
・情報収集などによる情報優位の確保
・周辺海空域に関して侵害行為に実効的に対応
・島嶼部の防衛
・弾道ミサイルに実効的に対応

さて、戦略を「人、組織が死活的に重要だと思うことに目標を明確に認識する」として、日本に対する死活的脅威は何であろうか。

 中国に関しては核兵器であり、弾道ミサイル、クルーズミサイル攻撃である。

 11月4日付ワシントン・ポスト紙は「中国ミサイルは米国基地を破壊できる(Chinese missiles can ravage U.S. bases)」との見出しの記事で「80の中・短弾道弾、350のクルーズ・ミサイルで在日米軍基地を破壊できる」と報道した。クルーズ・ミサイルは地形を自ら照合しながら、レーダーによる捕捉が困難な低高度を飛ぶことができるとされている。この記事では対象は米軍基地であるが当然日本のどこでも対象として破壊できる。現在中国は通常兵器でも、これだけの対日攻撃が可能である。

 では北朝鮮はどうか。北朝鮮は射程約1000~1300km で日本全土を射程に収めるノドンを有し、配備数は150-320基と言われている。これが日本にとって最大の脅威である。それは中国の潜水艦などの海軍力よりはるかに日本にとって脅威である。

 なぜその脅威を詳細に述べないのか。「我が国を取り巻く安全保障環境」の分析の中で、長々と述べているテロなどのグローバルな脅威よりはるかに重要である。あたかもこれに対抗するにミサイル防衛が役立つように記述しているが、日本の政治・経済・社会の中心地が攻撃対象地になったときには全く無力である。仮にミサイル防衛システムの構築が可能となる日が到来するとしても、それははるか将来の話である。この防衛大綱が対象とする期間中に、実効性のあるミサイル防衛システムはとても構築できない。

 こうした中国の短距離弾道弾やクルーズ・ミサイル、さらには北朝鮮のテポドンに対抗する唯一の答えとして、新新防衛大綱は「日米関係の強化」に言及しているだけである。確かに、米国は北朝鮮には抑止として有効である。しかし相手が中国になり、80の中・短弾道弾、350のクルーズ・ミサイルにどう対応するかのなると、術がない。


日米同盟は必要、ただし「同盟強化」を唱えるだけでは不十分!

 かつて、キッシンジャーは、代表的著書『核兵器と外交政策』の中で、核の傘はないと主張した。キッシンジャーは、ニクソン、フォード両大統領の国務長官と国家安全保障問題担当補佐官を務めた。米国内で外交・安全保障の第一人者とみなされてきた人物である。

・ 全面戦争という破局に直面したとき、ヨーロッパといえども、全面戦争に値すると(米国の中で)誰が確信しうるか、米国大統領は西ヨーロッパと米国の都市50と引き替えにするだろうか
・ 西半球以外の地域は争う価値がないように見えてくる危険がある

 また1986年6月25日付読売新聞1面トップは「日欧の核の傘は幻想」「ターナー元CIA長官と会談」「対ソ核報復を否定。米本土攻撃時に限る」の標題の下、次の報道を行った。

 「軍事戦略に精通しているターナー前CIA長官はインタビューで核の傘問題について、アメリカが日本や欧州のためにソ連に向けて核を発射すると思うのは幻想であると言明した。我々は米本土の核を使って欧州を防衛する考えはない。アメリカの大統領が誰であれ、ワルシャワ機構軍が侵攻してきたからといって、モスクワに核で攻撃することはありえない。そうすればワシントンやニューヨークが廃墟になる」。

 「同様に日本の防衛のために核ミサイルを米国本土から発射することはありえない。我々はワシントンを破壊してまで同盟国を守る考えはない。アメリカが結んできた如何なる防衛条約も核使用に言及したものはない。日本に対しても有事の時には助けるだろうが、核兵器は使用しない」。

 こうした問題に解を出してこそ、日本の防衛大綱になりうる。「日米同盟強化」を唱えれば、すべて解決するとするのはあまりにも教条的すぎる。