今日(9/15)は娘の小学校最後の運動会。
中学校はお弁当もって見に行くことはないから、
これが最後の運動会。
夫もお昼前にかけつけた。
以前より笑って話してるような気がする。
子供の運動会というものに参加してはや12年。
赤ちゃんの娘を抱いて参加してからになる。
そしてそのころからわたしたち夫婦の間にも隙間ができて
きたように思う。
考えてみれば、どんな夫婦も子供中心の生活になったころから
お互いの愛情を考える余裕もなくなり、冷めたものになって
ゆくもので、それをどう割り切るかなのでしょう。
わたしはそういう割り切り方ができなかった。
わたしってそういう意味でつくづく結婚に向いていない
んだと思う。結婚には生活がついてくる。お互いのことだけでなく、
子供はもちろん、親とかまわりとか。
それらを割り切ってとらえて生活することができなかった
わたしたちにはいまの離婚は当然の成り行きと思える。
いっぽうで子供への愛情は夫もわたしも自慢ができるくらいだ。
なので、今回の離婚で子供たちがめげていたり、ぐれたりする
様子はなく、たいへん明るく受け止めてくれているようだ。
かたちなんか関係ない。
そこに愛情があるかどうかだけ。
わたしのこれからはどうなってゆくんだろうな。
でも決してあきらめてなんかいない。
かたちにこだわることなく、思い方ひとつで
幸せは自分の手につかめるものだと信じている。
思い方ひとつなんだ。
幸せって。
それを今回の離婚で学んだみたい。
中学校はお弁当もって見に行くことはないから、
これが最後の運動会。
夫もお昼前にかけつけた。
以前より笑って話してるような気がする。
子供の運動会というものに参加してはや12年。
赤ちゃんの娘を抱いて参加してからになる。
そしてそのころからわたしたち夫婦の間にも隙間ができて
きたように思う。
考えてみれば、どんな夫婦も子供中心の生活になったころから
お互いの愛情を考える余裕もなくなり、冷めたものになって
ゆくもので、それをどう割り切るかなのでしょう。
わたしはそういう割り切り方ができなかった。
わたしってそういう意味でつくづく結婚に向いていない
んだと思う。結婚には生活がついてくる。お互いのことだけでなく、
子供はもちろん、親とかまわりとか。
それらを割り切ってとらえて生活することができなかった
わたしたちにはいまの離婚は当然の成り行きと思える。
いっぽうで子供への愛情は夫もわたしも自慢ができるくらいだ。
なので、今回の離婚で子供たちがめげていたり、ぐれたりする
様子はなく、たいへん明るく受け止めてくれているようだ。
かたちなんか関係ない。
そこに愛情があるかどうかだけ。
わたしのこれからはどうなってゆくんだろうな。
でも決してあきらめてなんかいない。
かたちにこだわることなく、思い方ひとつで
幸せは自分の手につかめるものだと信じている。
思い方ひとつなんだ。
幸せって。
それを今回の離婚で学んだみたい。