旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅10~その5「新山沼展望公園」&「昭和新山鉄橋遺構公園」

2015-01-08 04:18:41 | 世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖
 「新山沼展望公園」は、壮瞥町市街地南部の平野部を展望する場所。公園という名前があるが、公園とは呼べない、昭和新山のふもとにある新山沼を見下ろす展望台です。


 緑色の屋根の横綱北の湖記念館と、その西側にある新山沼を展望することができました。
 また、斜面には町道整備で露出した、ドンコロ山や有珠山の火山噴出物を直接みることができました。


 ここから下ったところに、新山沼がありました
 新山沼とは、1943年以降の昭和新山隆起に伴って、壮瞥川が堰き止められできた沼で、壮瞥川は洞爺湖の湖水が流れ出る唯一の川です。


 そばには、両国国技館を模した外観の横綱北の湖記念館が、壮瞥町郷土資料館とともに建てられたいました。


 北の湖は、ここ壮瞥町の生まれの数々の記録を残した大横綱で、記念館には、北の湖の歩みを綴る写真、優勝などの記念品から歴代横綱一覧などの相撲の歴史に関する資料、また、七十手絵図や行司装束、桟敷席など相撲に関する資料を多数展示してあり、中でも圧巻はまず優勝額、国技館にかかっていた大型のものが3枚。またミニチュアは24枚すべてがずらっと並べられていました。

次に訪ねたのは、「昭和新山鉄橋遺構公園」



 国道わきの小さな駐車場から100段ほどの階段をあがった高台に、昭和新山の隆起によって持ち上げられた旧国鉄胆振線の橋脚、橋台が残されています。


 階段を見ると、隆起した高さが分かります。

 
遺構までは、階段がある道と無い道の2つのルートがあります。


 この鉄橋は、壮瞥川を渡っていたもので噴火前は川が流れ鉄道が走る、のどかな田園地帯だったのが、昭和新山の1943年~45年の活動で大地が隆起し、鉄橋橋脚が山腹に残されました。


 橋台は昭和新山とは反対側に傾いている。地盤が単に隆起しただけではなく、傾斜したことを物語っています。


 つづく


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