旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅11~「道の駅そうべつ情報館i」&「洞爺湖温泉」

2015-01-09 04:00:12 | 世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖
 最後は、「道の駅そうべつ情報館i」。ここには、壮瞥町の特産のくだもの・野菜などの直売所のほか、観光案内所)、火山とともに生きる町の歴史を知ることができる「火山防災学び館」などが併設されています。
 2階にある火山防災学び館には、有珠山・昭和新山を一望できる展望スペースがあり、そこからは、三松ダイヤグラムと同じように、昭和新山の姿を見ることができます。


 ここまで回ったところで、そろそろレンタカーを返す時刻となり伊達紋別に向かったのですが、途中、駅の後と思われる場所を見かけました。



 地図を見ても、後から調べても、ここに駅があったという記述を見つけることはできませんでした。
 後日、「三松正夫記念館」館長の三松三朗氏に伺ったところ、道路が新しくできる以前の旧道の石垣と川の表示板とのことでした。

 さて、レンタカーを返して、列車とバスを乗り継いで、今夜の宿、洞爺湖温泉にある「北海ホテル」に向かいました。


 修学旅行や老人クラブの旅行でよく利用されるホテルで、施設設備や立地は決して良くはありませんが、安いのが一番。
 そしてここのホテルでなければ、というのが「洞爺サーモンの姿づくり」が必ず出ることです。


 洞爺サーモンとは、ニジマス一種で、ドナルドソン博士によって改良されたことから、「ドナルドソンニジマス」ともいわれます。
 北海ホテルは、洞爺湖温泉で唯一の漁業権を持っているホテルなので、必ず姿づくりがつくのです。
 そして洞爺湖温泉は、来年誕生100年を迎えます。
 普通、温泉の誕生を示す場合、開湯年度を示す事が多いのですが、洞爺湖温泉は1910年(明治43年)の有珠山の小火山、四十三山の噴火活動によって湧出していたことが、三松正夫らの記録で明らかになっているので、誕生年が分かっている珍しい温泉です。
 あまり知られてはいませんが、源泉を突き止め開湯したのは、三松正夫の他、杉山春巳、安西岩吉の計3人で、1917年(大正6年)6月、湖岸で43℃の源泉を発見し、翌月に道庁から利用許可を受け、秋には竜湖館という温泉宿を始めており、これが洞爺湖の温泉旅館第一号だそうです。開湯当初は「床丹温泉」という名前でしたが、後に湖名にちなんで洞爺湖温泉に改名したそうです。
 夕食の後は、今年で28年目を迎える「洞爺湖ロングラン花火大会」。


 「ロングラン」の名にふさわしく、4月下旬から10月の終わりにかけて、毎晩8時45分から20分間に約300発の花火が打ち上げられます。湖に浮かべた船から湖畔を移動しながら打ち上げられる花火と、水面に扇形に広がる水中花火を楽しむことができました。
 北海ホテルの横には、一見「わかさいも」?と思われる彫刻があります。


 これは、わかさいものモニュメントではなく、「とうや湖ぐるっと彫刻公園」の作品の一つで、岡本 敦生 作「地殻・原始の海」です。
 この公園には、洞爺湖を囲むように湖畔に全58基があります。
 この公園を作るきっかけは、1977年に有珠山が大噴火し、再起不能とまでいわれた被害から復興した人びとに、また湖畔のサナトリウムで不治の病だった結核と闘った教員とその家族たちに「生き抜くことのよろこびと尊さを知った体験のメモリアルを残そう」と呼びかけた町長と、それにこたえた人びとの熱い思いだったそうです。
 共通テーマは「生の讃歌」だそうです。

 つづく


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