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旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

旅の小窓~三陸2013 鉄道の旅 4

2015-03-17 05:06:33 | 旅の小窓
 30分ほどで吉浜駅に着きました。
 吉浜駅は、国鉄時代の盛線の終点駅でしたが、三陸鉄道に移管されると同時に釜石駅まで延伸され、現在の南リアス線になりました。
 現在は無人駅で、「きっぴんセンター」が併設されていました。
 駅舎は、復旧にあわせてネスレ日本の協賛で、「キット、ずっとプロジェクト」にちなんで、壁いっぱいに桜の花が描かれていました。


 またこのプロジェクトのセレモニーが、吉浜駅で行われたことから志村けんさんが名誉駅長になっていました。



 次の列車まで約2時間。駅周辺を散策しました。
 今では珍しい、アルコール類の自動販売機。


 明治7年開局の旧吉浜郵便局。郵便マークはついていますが、現在は使われていません。


 そばには、現在の郵便局がありました。


 大船渡市農業協同組合吉浜支店。


 地域ぐるみでジョギングをしているのでしょうか…


 正寿院は、陸前高田市を発祥とする優れた技術を持つ大工さんの集団、気仙大工によって建てられたものです。


 この辺は、シカ猟が行われているようで、注意を呼びかける看板。


 新山神社


 今回の震災で、この吉浜地区は、漁業施設や海岸に近い田畑が被害を受けたほかは、行方不明者が一人と、田の地区に比べて奇跡的に被害が少ないところです。
 その理由が、この新山神社が昭和8年の昭和三陸大津波で被害を受けた教訓から、浸水したところには二度と家を建てないことを、先祖代々守ってきたからだそうです。
 その教訓が、「津波の追憶」という日に刻まれていました。



 この碑のそばには、石川啄木の歌碑もありました。偶然にも、野辺地の愛宕公園にある歌碑と同じ歌でした。



 ここから先は、低地の田畑を通って海岸に道が延びていました。被害の爪痕がまだ残っています。



 折り返して再び、駅に向かいます。
 スーパーでおやつ、酒屋で復興支援のため地酒「酔仙」を買いました。



 駅に戻って、最初は気づかなかった気球が待合室にありました。
 三陸大気球観測所があったことを記憶に残すためのもののようです。




 「銀河連邦」? 宮沢賢治の世界かと思ったら、JAXAの施設がある五市町で組織した友好団体だそうで、三陸大気球観測所が廃止された今でも交流しているそうです。


 「吉浜元気組」。地元の若手漁師さんを中心にした地域興しの団体のようです。動物(しか?)が手に、「きっぴんアワビ」をもっていました。


 折り返し、17時9分発盛行となる盛からの列車がきました。



 車両は、クウェートの支援で購入した新造車両です。
 そのため、アラビア語・英語・日本語で、感謝の言葉


 吉浜駅から乗車したのは私たちだけ。やはり全線開通しなければ…。


 吉浜駅三陸駅間は、新しく盛り土されていました。



 三陸駅では、数分の停車。


 ホームからみる現在の三陸駅前。


 運転士さんが見せてくれた、震災前の三陸駅前の写真。


 復旧工事中の舘崎漁港。


 小石浜駅として開業した駅ですが、地元のホタテブランド「恋し浜」にちなんで、駅名を改称したところです。


 駅待合室には、ホタテ貝を絵馬にしてつるしてありました。


 ホームにはバラ・星・天使の透かし彫りの案内板に、「幸せの鐘」がありました。


 陸前赤崎駅まで来ると、前方に大船渡の市街地が見えてきます。


 大船渡市民体育館。窓ガラスなどまだ壊れたままです。


 右に大きくカーブすると、間もなく盛駅。4分ほど遅れて、17時54分に到着しました。


 沿線の案内などしてくれた今日の運転士さんは、佐々木光一さんでした。


 盛駅から先気仙沼駅までの大船渡線は、震災被害のため不通で、BRTシステムで、バスによる運行をしています。
 そのため、三陸鉄道が着いた3番線には線路が、2番線にはバスが通るアスファルト道路があり、今までに見たことのない光景です。


 18時発の陸前矢作行で、隣の大船渡駅へ向かいます。


18時5分。大船渡駅到着。
ここに駅があったことが想像できないほど、何も残っていませんでした。



 つづく