いつだったか読んだ糸井重里さんのコラムにこんな文章がありました。
「マルコによる福音書」の作者が、
「人は自分のことは棚に上げて、他人の欠点を責めるものである」と書いた部分を、
吉本隆明さんが、講演のなかで
「人間理解として、これだけ言えているのはすごい」と語っているということだった。
特に、ぼくが感じたおもしろさは、
「人間のなかには、自分のことを棚に上げて他人の欠点を責める人間と、そうでない人間がいる、ということではなく、人間というのはすべてそういうものなのだ」
というところだった。
~ほぼ日ダーリンコラムより
昨夜、夕飯のことで家族とちょっともめて不貞寝してしまい、今朝起きてから反省しつつこのコラムを思い出しました。
そして、今日読んだコラムがこれです。
常識に外れてる、って責められてた人たちが、「そのくらい外れてもいいか‥‥」って、思われるようになったということでしょう。
不況のせいも関係しているのかもしれないね。
「完全な常識」みたいな幻想が、そんなもの誰も守れないし、みんなが守ろうとしたら息ができなくなるよ、って、少しは気がついてきたんじゃないかな。
常識をわきまえていて、教養がある程度ゆたかで、倫理的にも問題なくて、
いつでも正義の旗を振っているなんて人間、ほんとにいたら、おかしいんだよ。
~ほぼ日ダーリンコラムより
最近、「常識」てなんだろうなぁ・・と考えていたところだったので、ちょっと載せてみました。
「完全な常識」とは言わないけれど、「ある程度の常識」は守っていきたいですよね。
3月・4月にやる舞台・・「ムサシ」のチケットがどうにも取れなかったのです。
先行発売の抽選には何回もはずれるし、発売日なんて電話もネットもつながらないし、気がつけば完売。
それなのに、ネットオークションでは早々と売りに出されているし・・・
世の中どうなっているんでしょうか・・ 「常識」 は通用しないのでしょうかね。